最後の……

a first person narrative/teito ver.
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 今のオレの思考は先に進むことが出来なくて、時間が止まったかのように知らない空間を一人で彷徨っている感じがする。
 ただやりすごす時間がやたらと長くて、次第に息苦しくなる。それが恐怖に変わり、オレは叫びたくなって思いとどまる。それが出来るのは、そばにあの人が居るから。それだけで安心出来るなんて、笑えるくらい単純だって思うし、あんな夢を見た後で性懲りもなく後を追いかけたくなるのも、子供みたいだって嫌になるけど。
 夢は言葉に出来ないほどの内容だったけど、違和感がなくて、素直に受け入れることが出来たから不思議でしょうがない。だって参謀にあんなことやこんなことをされたんだよ? 信じられないよね? でも、嫌だとは思わなかったから、オレって男の方が好きだったのかなって悩んでしまう。
 そう、参謀に抱かれたってのは、夢での話。現実じゃない。完全なる夢だ。空想でもなくて、鮮明に記憶に残るくらい赤裸々なもの。すごく生々しくて、普通なら有り得なくて、今もまだ、かつて味わったことのない興奮が躰にとどまっている。
 最近は現実との区別がつかなくなっていることが多いから、本当のことのように思えて恥ずかしくなるんだけど、たとえば仕事でミスをして怒られる夢を見ても、それが夢ならば夢でよかったとホッとするのに、今夜見たものは絶対に口にしてはならない、秘密にしなくちゃって思うてくせに、皆に知られたいっていう相反する心理が働いている。
 オレは参謀とお風呂の中で物凄いことをしていた。
 オレがびしょ濡れで参謀の部屋を訪れたことから始まって、ガタガタ震えてたから、あっためてやろうと強行手段に出た参謀は、オレを風呂の中に放り込んだ。呆然としているオレの傍で、参謀は自ら軍服を脱ぎ、そしてオレのことも裸にしていった。
 夢で見た参謀の躰は凄く逞しくて美しく、この世のものとは思えないくらい完璧で……夢なのに、あんなに映像がはっきりしていたなんて、オレの想像力も大したものだと自分で感動したりして、でも、そんな夢を見たことに今頃気付いて、さっきまで参謀と普通に会話してたのに、もうまともに顔なんか見られないって冷や汗かいたりして。本当ならこの寝室からも出られないし、むしろ引き篭りたいレベル。もっとも、参謀はあまり寝室を使わないからオレが居てもいいんだけどね、いや、そんなこと出来るはずもなく、また参謀が部屋に入ってきたらオレはどういう反応をしたらいいのか本気で悩む。
 もし下手に恥ずかしがったら怪しまれるし、参謀は直感や勘が鋭いから何かあったのか訊いてくるだろう。そのための言い訳を考えるのは難しいことだけれど、とにかく今は上手く切り抜けるしかない。
 昨夜は確か、一人で外に出て無謀にも迷子になったことは覚えている。途中、みぞれに降られてびしょ濡れで部屋に戻ったのだけれど、それが参謀の部屋で、無意識の行動は危険だと改めて思った。この頃、参謀の部屋に出入りすることが多かったから、つい癖になっていたと思う。
 不審な格好で部屋に入り込んできた侵入者のオレを参謀はどう思っただろう。そこから記憶が曖昧なのは、オレはまた倒れて参謀にここまで運ばれたに違いない。実際に今ここで目が覚めたんだから、また参謀のベッドを占領してしまったんだ。
 でも参謀はオレを咎めることもなく、追い出そうともせずに寝かせてくれた。なのに、オレは参謀とあらぬことをしている夢を見てしまった。
 自分がこんなにいやらしい人間だったなんて初めて知ったし、ショックだった。
 オレは自分のことが余りよく分からなくて、そして知ろうともしなかった。確かに今まで戦場では沢山の人を殺めて、戦闘用奴隷のオレはただの賤しい人間でしかないということは分かってる。それは分かっていたけれど、戦うしか能がなくて、誰かを好きになるとか、まさか上司に対してあんないやらしい夢を見てしまうなんて、その内容を否定したいくらい信じられない。それと、泣いてばかりいたのも納得出来ない。何故だかオレは始終泣いていて、参謀に泣き虫呼ばわりされてしまった。あの参謀が泣き虫なんて言葉を使うはずもないから、信憑性がなさすぎる。それにオレは普段泣いたりなんてしない……はずだし、笑うこともないけど、男のくせにめそめそ泣くなんてみっともない……って、実は泣く方が得意だったりする……かもしれない。でも、いやらしい夢を見ておきながら最中に泣くなんて、女々しいったらありゃしない。
 単純で浅はかなオレの思考。でも、夢だったことが少し悲しいのは何故だろう。悔しい……のか、残念なのか、心の中がモヤモヤとして晴れない。
 現実だったら良かったのに。
 と考えてハッとした。まさか現実であんなことをするなんて有り得ないし、あってはならないことだと思う。そもそも参謀がオレを相手にするはずがないんだ。ただ、オレに願望があるからそういう夢を見てしまったわけで、本当にそんなことをされたらびっくりして引いてしまうかもしれない。ても嫌じゃない……というか、されたい……というか、オレは一体何なんだ? 何を考えているのか自分でもよく分からなくなってきた。昔のオレは、こんなことを他人に望むことなんてなかった。オレは軍に入って大人になったということだろうか。それとも仕事に疲れて魔が差したのか、最近はおかしな想像をしてばかりだ。
 やっぱりもう一度外に出て頭を冷やしてくるべきか。と言っても、こんな時間に外に出たら怪しまれるし、参謀が許可してくれるはずもない。
 ん? 
 そういえば、オレの軍服がないんだけど。いつも参謀の部屋で寝る時は近くにちゃんと掛けてるのに、どこにやったんだろう? 脱ぎ散らかした覚えはないし、今までもいつの間にか着替えをさせられた時だって、きちんとハンガーに掛けられてあった。参謀がそうしてくれるんだってことは分かってて、割りと几帳面な人なんだって感動……というか恐れ多くて平謝りに謝ったことがあったけど、今回は、もしかしてクローゼットにしまってくれたんだろうか? と考えると、もう謝るどころじゃ済まないところまで来ている。朝になったら、まずお礼を言わなくちゃ。って、もう朝なんだよな。午前4時って朝だよね。参謀が仕事を始める時間でもある。むしろ参謀は寝ないで仕事してるから、今すぐオレもサポートするべきなんだろうけど、平常心を装う勇気がない。
 それにしても参謀はいつ眠ってるんだろう。まさか仕事してる振りして、実は目を開けて寝てるんじゃ。いやいや、そんな奇人みたいなことはしないか。上手に仮眠をとって睡眠をコントロールしているのか、そんなのは仕事の出来る男にとっては朝飯前? オレもいつかは参謀のように時間の使い方がうまくなるのかな。今は毎日の事務仕事と脳の検査を受けることで精一杯だ。
 日々ハードで、士官学校時代が懐かしく思う。戦場に借り出される以外は、どちらかというと退屈だった。実技だってオレにとっては簡単なことだったし、筆記試験も、きちんと授業を聞いていれば解ける問題ばかり。たまに窓の外を見ても何も変わりはなくて、ただ時間が過ぎていくのを待っていただけのような気がする。
 記憶のない二ヶ月間、オレはどんなふうに仕事をしていたんだろう。その間に参謀とどんな会話をしていたのか、親しくなれていたのか、真実を知りたいけれど今はどうにもならない。ここ数日、あまりにめまぐるしくて、心も躰もついていけないくらい疲れ切っている。
 参謀はまだ時間じゃないから寝ていろと言ったけれど、部下なら起きて補佐をするべき。でも、凄く眠くて……躰がだるい。いつもなら少し眠れば回復していたのに、どうにも違和感がある。ここのところ精神的に不安定になっていたから、元に戻るのが遅いのか。
 だから、眠い。頭がぼうっとして、気を抜くと目を閉じてしまう。もう少しだけ、もうちょっとだけ、眠ってもいいかな。6時には起きて仕事をするから、あと少し、眠らせて。

 そしてオレは6時に起きることが出来なかった。
 やばい、と思って飛び起きたら1時間経過。以前検査で遅刻した時、首輪が締まって苦しくなったことがあったけど、今朝はそれがなかった。そしたら、
「起きたのか」
 参謀が顔を出した。
「えっ!?」
 とっくに参謀長室に向かってると思ったのに、そこに居たなんて信じられない。まさか参謀も遅刻?
「お前の就業時間を遅らせた。私も今日はここで仕事をすることにしてある」
「……」
 うそ……と思ったけど、現実だった。
「顔色はいいようだ。起きられるか」
「あ、はい」
 っていうかオレの軍服は……ん? あれっ、いつの間にかポールハンガーにクリーニング済みのオレの制服がある。
「調子がよければ起きても構わん」
「分かりました。……あの、軍服は参謀が?」
「……」
「オレ、自分で軍服脱いだ記憶がなくて……いつも申し訳ありません」
 だらしない部下だと思われるのは嫌だったけれど、参謀が優しくしてくれるから、つい甘えてしまう。もちろん、本当はこんなことは許されないと分かっている。なのに、二人きりになると参謀が親身になってくれて、ましてオレはヘトヘトに憔悴してるから、おんぶに抱っこ状態。それでも参謀はオレを叱ることはなくて、そんなに優しくされると本気で好きになりそうで怖い。いや……もう、十分気になっていて好きになってるんだけど。
 いっそオレのことを突き放してくれたらいいのに。
 なんて、そんなことをされたらオレは悲しくなって、きっと落ち込むだろう。でも、温和な関係は今だけで、近いうちこの関係が崩れるというか、なくなってしまうような気がする。
 参謀が優しいのはオレが怪我をしたり何よりも二ヶ月間の記憶をなくしているから。記憶が退行したオレを気遣ってくれているのだと思う。
「軍服はコナツに持ってこさせた。後で礼を言っておけ」
「!」
 コナツさんが? ……また手間をかけさせてしまった。コナツさんはただでさえ忙しい人なのに、やっぱりオレは皆に迷惑を掛けている。早く皆の役に立てるようになりたい。
 オレががっかりと肩を落としたのを見て、
「気にすることはない」
 慰めてくれた。
「はい。オレももっと精進します」
 気合いを入れなおさなくてはならないと思っていたら、
「泣いてばかりでは進まないからな」
「はい。……って、え? 泣いて?」
「お前はすぐに泣くだろう」
「!?」
 なんでオレが泣き虫なのを知ってるんだ? オレ、参謀の前で泣いたのは……確か、夢の中だけのはず。もしかして、この二ヶ月間、オレ、ことあるごとに泣きべそかいてたんじゃないだろうか。仕事が覚えられないとか書類の見方が難しいとかでいっそ泣いてばかりだったとか。……いやいや、それはない……と思いたい。そんなことがあったらオレは恥ずかしくて耐えられないし、もし、仮にそうだったとしても、知りたくないから誰も言わないでそっとしておいて欲しい。
 そんなんじゃ駄目だ。
 泣き虫の汚名は今日限りで返上して、オレは男らしく成長する……と、一人で勝手に盛り上がっていたら、
「昨夜のように勝手に外に出ることは許可しない。私がついていれば別だが、お前の身に何かあってからでは遅い。今後は気をつけるように」
 やっぱり怒られた。
「はい。頭を冷やそうと思って外に出たら迷子になってしまって。もっと自分の立場を弁えるべきでした」
「分かればよし」
「ここに辿り着いたのも、無意識のことで……毎回ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。いつも気を失って倒れて記憶がないのも困ったもので……朝になって不思議に思うことが多いから参謀に失礼な態度をとっているのではないかと不安になります」
 オレが本音を告げると、
「記憶がなくなるのが慢性化しているとすれば問題だが」
 参謀は相談に乗るように答えてくれた。
「なくなるっていうか、曖昧だったり、いつのことか分からなくなったり、まだ混乱する時があります」
 脳波の検査でこれといった結果が得られないのもストレスになっていた。仕事の合間に地下の医療室に行くのも結構大変。眠らされて、どんなことをされているのか分からないけれど、何らかの治療をしてくれているみたいなのに、オレの記憶は一向に戻らず、思い出そうとすると酷い頭痛に襲われる。
「一度にたくさんのことがあったからな。まだ状況に慣れないのだろう」
「自分では馴染んできたと思っていたのですが」
「焦る必要はない。今は躰を休めることも大事だ。仕事の手抜きはさせないが、自分で体調管理出来るようになれ」
「はい」
 だよね、やっぱり、何はともあれ”自分”なんだよね。もっとしっかりしなくちゃいけないんだ。
 今は仕事をしていれば何かの手がかりが掴めそうな気がして、何も考えずに突き進むよう自分自身に言い聞かせるしかない。
「私がしてやらずとも着替えられるな?」
「あっ、それは自分で出来ます! 今は躰も動きますし」
 手足を怪我して動かせない状態であれば手伝って貰うけど、もう起きて仕事も出来そう。
「私も暫くは隣に居る。着替えが終わったら来い」
「分かりました」
 そして参謀は寝室から出て行った。
 しかし、優しい人だよね。以前感じた、冷たくて読めない、怖いってイメージは何処へ行ったんだろう。いや、たまにそう感じることもあるけど、ちょっとした一言が凄く優しかったり心地よかったりする。そういえばヒュウガ少佐も参謀のことは厳しいけど、本当は優しいって言ってたっけ。
 もしかしてギャップが激しい人なんだろうか。激しいなんてもんじゃないけど、参謀は帝国一忙しくて帝国一恐ろしい人だって噂もあるし、あと、密かに女性に人気ってのも聞いたことがある。今となっては、オレにしてみれば物凄く優しくて、それから女性に人気でも残念ながら余り興味がなさそうに見える。キスが上手なのは経験があるからで、参謀は大人だから当然と言ったらそれまでだけれど、これだけ一緒に居ても女性の影すら見えない。もしかしてオレが眠っている間に会いに行ってるのかもしれないけれど、参謀に聞いても、きっと答えてはくれないだろう。
 ああ、あれこれ考えてる暇はない。着替えなくちゃ。……ん? 借りてたパジャマを脱いで気がついたんだけど、オレの躰、痣だらけ。なんで? これ、痣っていうの? 打ち身にしては小さい……ような。しかも多い! これは、も、もしかして血液の病気? だって、いくら転んだとしても、こんな跡は残るはずがない。打つのであれば手や脚……顔。なのに、胸とかお腹とか脇腹まで広がっている。今までさんざん怪我をしてきて、擦り傷切り傷、打撲……ぜんぶ見てきたけれど、こんな傷は……見たことがない。もし病気だとすれば参謀に言わなければ……! だけど、何でもないことが分かったら恥ずかしいから、2〜3日様子を見て、悪化するか、消える様子がなければ報告しよう。
 どうか何でもありませんように!
 そう思いながら、オレは慌てて着替えて寝室を出た。
 参謀長はまた自分の机の上を書類の山にしていたけれど、オレはまずスケジュールを確認するのが先だと思い、オレ用のファイルを探した。
「ここにある。今日は目立った仕事はないが、目を通しておけ」
 渡されて捲ると、今日はいつもより仕事の量が少なかった。もしかして、セーブしてくれたんだろうか。
「はい。では、まずお茶を入れてきます」
 間違えてワインを入れないようにしようっと。
「それよりもお前は何か口に入れろ」
「はい……?」
「そこに食事がある。摂れ」
「えっ」
 サイドテーブルにサンドイッチ。オレのご飯? って、時計を見るとお昼近いけど……。
「食事も摂らせずに部下に仕事をさせるわけにはいかない。特にお前にはまた倒れられては困る」
「……はい」
 こ、これはどこから? 参謀が作ったわけじゃないだろうし。
「それもコナツからの差し入れだ」
「わっ、またコナツさんから!?」
「軍服と一緒に持ってきただけだが、正解だったな」
「……」
 言葉もなかった。コナツさん……あとで桃ジュース奢ります。
 そしてオレは参謀にコーヒーを淹れながら泣きそうになっていた。オレも必ず心遣いの出来る人間になるんだと思った。
 改めて考えると、かなりお腹は減っていて、ようやく食欲が戻ったことが嬉しくて、オレは凄い勢いでサンドイッチを食べていたら、
「よく噛め」
 怒られた。っていうか子供じゃないし! あ、子供だけど、幼児じゃないから!
「参謀の食事は?」
「私は結構だ」
 有り得ない……なんで? ダイエット? なワケないよな?

 こうして暫くオレと参謀は部屋で仕事をしていた。参謀部に居る時より凄く静かで、会話もなくて、だから仕事に集中出来たのが良かった。参謀の隣に居ると、つられて書類裁きも早くなってしまうんだ。これで少しはコナツさんに追いついたかなって思うけど、実際はまだまだで、無理にこなそうとすると、
「急がずとも良い」
 と言われてしまう。
 参謀はしっかりオレのことを見ていて、オレが書類で分からない所があって固まっていると必ず声を掛けてくれる。やっぱり優しい。これが今だけなんて、凄く残念でならない。オレの躰が元に戻ったら、また何も喋らなくなるんだろうか。参謀部ではそれでもいい、でも、せめて二人きりになった時は込み入った会話もしてみたい。
 参謀は喋るのが好きな方じゃなさそうだし、オレだって他人と関わるのは苦手。でも、ミカゲと仲良くなって人と会話をすることが出来るようになって、その会話というものがとても大事なことなんだって気付いたから、それを参謀にも伝えたい。そんなことを言っても、きっと「必要ない」って断られちゃうかもしれないけれど……。
 今だけ仲良しの関係なんて、ちっぽけで薄くて、すぐに忘れ去られそうなのに、オレには忘れることが出来ないくらい大きくて濃くて楽しい時間になっている。出来ればこれがずっと続けばいいなって願わずにはいられないほど。
「どうした?」
 あっ、また考え事をしてボーッとしちゃった!
「いいえ、何でもありません」
「疲れたか」
「大丈夫です」
「……お前が何を考えていたのか当ててやろうか」
「えっ」
 ど、どうしよう、当てられたら! 図星だったら何と言い訳をすればいいものやら! 駄目です、言っては駄目! オレが困る!
「当てられて欲しくないという顔をしているな。……敢えて言わないでおこう」
「とんでもありません。実は、そろそろおやつの時間だなぁ……と考えてたら手が止まってしまいました」
 なんかとんでもない言い訳してるような……。そしたら参謀は、
「カツラギに届けさせるように言ってある」
「エエッ!」
 待って! ちょ、それはっ! そ、そこまで過保護!?
「15時には休憩をしても構わん」
「……!?」
 参謀ってオレに甘くない!? こんなはずじゃ……オレはボロ雑巾のようにコキ使われるんじゃなかったのか!? 何だか調子はずれなことばかりで頭の中がまとまらない。どうしたらいいのか……!
 オレがオロオロしていたら、ドアがノックされて、カツラギ大佐が登場した。久々に顔を見た気がして、
「カツラギ大佐ー!」
 思わず叫んでしまった。いつも怖そうな人だと思っていたけれど、おやつを持っていれば別。
「そんなにオヤツが待ち遠しかったですか?」
「はい! 甘いものが食べたくてー」
 それは本当のことだけど、今は誰かに間を取り持って欲しかったから、大佐が来てくれて良かったというか。
「宜しければアヤナミ様もどうぞ。アヤナミ様の分は特別な材料でお作り致しましたので、安心してお召し上がり下さい」
「……」
 参謀は何も言わなかったけれど、嫌な顔もしてないし、もしかして喜んでるのかな? 無表情だけど、それはいいことなんだよね?
「テイト君のはこちらです」
「チョコ?」
「アーモンドガナッシュですよ。テイト君の好みに合わせた甘さになっています」
「わぁ!」
 ケーキとはまた違うし、クッキーでもなくてチョコなんだけど、香ばしい匂いがする。
「紅茶も甘めに淹れて来ましたから」
「やったー」
 と素で喜んでいると、参謀がじっとオレを見ていた。たぶん、そんなもん喰えるかと思っているんだろう。参謀は甘いのが苦手だし、興味もなさそう。
「これでまた頑張れますね」
「はい! では、頂きまーす」
 自分でも恥ずかしいと思ったけど、オレはすっかり子供のようになって大喜びでおやつを食べた。幸せ。もう極楽。カツラギ大佐って怖そうだけど、お菓子くれるから、その時は怖くない。
 でも、その間、カツラギ大佐とアヤナミ参謀長が小声で何かを話していた。仕事の話なのか凄く真剣な表情で、二人の間には一センチたりとも入れそうになかった。まぁ、食べる方が優先だったけど、用があればオレを呼ぶだろうし、気にせずガナッシュをゆっくり味わっていた。
 カツラギ大佐と参謀長が暫く話し込んだあと、
「では、私は戻ります。テイト君、夕方に一度参謀部にも顔を出して下さいね」
 オレににっこりと微笑みかけて出て行った。
 そしてオレは参謀部のことを考えた。そうだ、参謀部だ。皆、今頃書類とにらめっこして奮闘しているのだろうか。
 オレは参謀部が気になって仕方なかったけれど、アヤナミ参謀は一向に戻る気配もなく……せめて参謀長室に行くことはないのかと、かなりソワソワしてしまった。そうすれば、隣の参謀部の様子が分かるし、コナツさんにも会える。
「カツラギの言う通り、夕方には参謀部へ顔を出せ。私は他に行く所がある」
「はい。そのまま仕事を続けてもいいのでしょうか」
「いや、お前はまた検査だ。今日は夕方からだ」
「……分かりました」
 そっか。検査か。うん、これは毎日受けなくちゃいけないんだ。夕方にずらしてもらったということは、本当は朝からやりたかったんだろうな。でも、今朝のオレはとても起きられる状態じゃなかったから……。夕方にまた検査を受けるってことは、夜も疲れて参謀の部屋に来てしまいそうだ。意識がはっきりしていて自分の部屋に戻ることが出来たら、それはそれでシュリに色々詮索されそうだけど、これは聞こえない振りをするしかない。
 オレは今を過ごすだけで精一杯で、余裕なんかこれっぽっちもなくて、士官学校時代、特にミカゲと仲良くなってからのことが今となっては嘘のように眩しい過去に思えた。あの頃は良かったなんて思えることが、オレにもあるなんて……。

 夕方、アヤナミ参謀と部屋を出た。オレは参謀部へ、アヤナミ参謀は別の場所へと移動した。その時、
「無理はするな。きつくなったら私の部屋で休んでもよい」
 と言って、なんと、オレの襟まで直してくれた。急いで服を着たから、きちんと着こなせてなかったんだろう、でもまさか参謀が直してくれるとは! またしても有り得ない事件発生。
 なんか、恋人みたいな扱いされてない? まるでオレがか弱い少女的な? それは嫌だ。確かに今は記憶のことや、それにまつわる検査なんかで体力的にガタがきてるけど、元々は丈夫だし、ちょっとやそっとじゃ倒れない。激しい戦闘もこなしてきて、これでもかってほど怪我をして帰ってきたこともあるんだから、オレは強いよ! でも、参謀はそういう目で見てくれないのが哀しい。きっと今のオレは弱々しく見えるんだろうな。
 参謀部に戻ると、
「テイト君、大丈夫?」
 一番最初に声を掛けてくれたのはコナツさんだった。
「コナツさーん! ご飯と服、ありがとうございます!」
 オレは軍服やサンドイッチのお礼を言うと、
「ああ、良かった、顔色もいいし、何ともないね」
 コナツさんはホッとして喜んでくれた。
「ご迷惑をお掛けしました」
「いえいえ、アヤナミ様にお仕えするのは大変でしょうから、慣れないテイト君が戸惑うのも仕方のないことです」
「はい。でも、参謀が凄く優しくしてくれるので助かります」
「そうですか。私に何か出来ることがあれば言って下さいね」
「でも、これ以上ご迷惑をお掛けするわけには……」
「何を言ってるんです、同じ参謀部の仲間でしょう」
「……はい」
 何だかその言葉が凄く嬉しかった。ミカゲが居ない今、オレは一人ぼっちだと思っていたけれど、周りには仲良くしてくれる人が居て、士官学校で一人で居た時よりも充実している。
「今日は今から検査なんだよね?」
「はい。夕方から軽く診てもらうだけなので、すぐに終わると思います。面倒だから軍服脱ぎながら移動しようかな」
 オレが襟を緩めながらふざけていると、
「あっ」
 コナツさんがオレの顔……じゃないな、肩? 首かな? その辺を見て驚いている。
「何ですか?」
「う、ううん。ええと、脱ぎながら行くのはまずいんじゃないかな」
「やっぱり駄目ですかね。だらしないと思われちゃうか。この間なんて朝まで検査してて、遅刻したから軍服着ながら西棟まで走ってきたんですよ」
 だって完全に遅刻だったし。でも、コナツさんは何故か顔を赤くして聞いていて、
「なんか変ですか?」
 思い切って訊ねてみた。
「今日は脱がない方がいいかも……でも検査で躰を見せるんですよね?」
「全部脱ぐわけじゃないです。それよりオレの躰、全身……じゃないか、胸の辺りにいっぱい痣が出来てて、打ち身にしてはおかしなことになってるんです。オレ、昨夜の記憶があまりなくて、きっと何処かで思い切り転んだんだろうなぁって反省してるんですよ」
「!」
 コナツさんはオレの発言に驚いたような顔をした。
「オレ、ほんと、生傷絶えないので気を付けたいと思います」
「そ、そうだね。でも、昨日の記憶がない? また頭痛でも? 記憶障害が起きたのですか?」
 心配そうにしているコナツさんに詳しく説明しようとしても、自分でもよく分からないから何とも言えない。
「最近、記憶が曖昧だったりすることが多くて現実なのか夢なのか迷うんです。やばいですよね」
「……」
 あ、コナツさんが泣きそうになってる! 何で!? オレ、何か酷いこと言ったかな!?
「あの!?」
 オレがワタワタしてると、
「辛いことを現実として受け止めたくないのではなくて、もし嬉しいことが信じられなくて夢みたいだって思えるのなら、私は後者の方がいいと思うけれど、今の私には、そうなれるようにただ見守るしかない。ただ、嫌なことがあったらはっきり言うのも大事だからね。愚痴を言っても誰もテイト君を責めたりしないよ」
 そう言った。
「……?」
 オレにはコナツさんが何を言っているのか分からなかった。
 
 ここまではどうにか平和に過ごすことが出来たのに、オレが夢だと思っていた参謀との一夜が現実だと知ったのは、また眠っている間に見た夢でのことだった。
 そして、オレは、リアルで参謀と抱き合ったのに、それを夢だと思い込もうとしていたということも分かった。
 どうして分かったかって、検査の時に眠らされて、そこに参謀が出てきて、オレに呟いた一言が原因だった。
「私に抱かれた気分はどうだ」
 って。オレが呆然としていると、
「お前はとても、大胆だった」
 まるでオレを困らせるように、次々に色んなことを暴露してくる。
 そしてオレは夢の中で、あれは夢ではなかったと、あっさり信じてしまったのだった。勿論、最初は信じられなくて何も言えずにいた。けれど、参謀はあの時のオレの状況を詳しく話すから、嘘じゃないのかなって思えるようになって、それならば確かめるしかないと心に決めて。
 オレは検査のあと、遅い時間だったけど、また参謀の部屋に行った。今度は無意識じゃなくて、はっきりとした目的がある。そして、オレは部屋に着くなり真顔で、
「アヤナミ参謀……服を脱いで頂けませんか」
 と言った。
 凄く失礼な申し出をしているのは分かっている。だけど、オレが覚えているのは参謀の逞しい躰。あの筋肉は今でも一つ一つ覚えているくらい鮮明で、もしそれが今の参謀の躰と一致するなら、夢じゃなくて現実だって認められる。
「どうした? 突然何を言い出すのかと思えば、身体検査でもするつもりか?」
 参謀は笑っていたけれど、オレは怯むこともなく、
「躰が見たいんです」
 そう答えた。……こんな時にアホなこと聞いて、絶対断られると思ったけど、これしか考えられなかったから食い下がった。すると、参謀は持っていたペンを置いて、
「そういう出方をするとは思わなかったが……」
 立ち上がり、軍帽を脱ぎながらオレのそばまで近づいてきた。
「えっ、出方って、オレが何をしようとしているのか分かるのですか」
「お前のことだ、昨夜の出来事を夢か幻だと思っているのだろう」
「!?」
 突然、参謀はオレをかかえて寝室へ向かった。
「あの!? えっ、何を!?」
 ちょ、簡単に担がないで!
「二日も連続でお前を抱くはめになるとは」
「なっ!? って、昨日……」
「あれが最後だと思っていたが、私は運がいいと言っておこう」
 つまり……。
 参謀の言うところの、二度目の今日はベッドの上で、昨夜はお風呂場で、目の前で裸になった参謀の躰は、昨夜夢に見たものと全く同じで、二の腕も下腹部も男性の印も、何もかも違わず……。
「お前の躰に私が付けた跡をまた付けるのは構わんが……ますます私の所有物としての証拠になってしまうな」
 参謀がひんやりとした冷たい手でオレの躰を撫でた。
「跡? それはこの痣のことですか」
「まだよく分かっていないようだが」
 参謀はオレの胸に顔を近づけて、痣になっていないところを吸い出した。
「うっ!」
 何とも言えない感覚と、少しだけ感じる痛みで、これが痣の原因だということをやっと理解した。
「よく見ろ」
 参謀が吸ったばかりのそこは、赤に近いピンク色をしていた。時間が経つと、これが鬱血して痣のようになるのか。
「夢じゃなかったんだ……本当に現実? 本当のこと? 現実にあったことなの?」
「おかしな奴だ」
「だって……」
「自分から乗り込んできて私に触れられても逃げようともしなかった」
「!」
「抱かれる知識もないくせに、よく啼いた」
「オ、オレは……っ」
 何て言い返したらいいんだろう。
「私は最初で最後にしようと思っていたが」
 どうしてそんなことを言うんですか、悲しくなるし、めちゃくちゃ未練が残る。
「そうはさせません」
 勝手に決めないで欲しい。最後になんか、しないで欲しい。
「……あれは一度だけで十分だろう」
「どうしてですか? オレは夢でなくて良かったと思っているし、記憶が途切れなくて良かったと安心したのに、参謀はもうなかったことにするのですか?」
「……」
「たった一度で終わる関係がいいと言うなら、オレはそれを覆す方法を考えます」
 我ながら気迫の責めっぷりだと思ったけど、参謀が拒否しても納得なんか出来ない。
「お前はそれでいいのか」
「いいも何も、オレの躰があなたを欲しがるんですっ」
 勝手に出た言葉に驚きながら、
「オレは参謀の所有物でいい、ずっと、それでいい」
 オレは必死で訴え続けた。
「……そうか」
 オレは物じゃないから、こういう言い方はよくないのかもしれないし、物のように酷く扱われたいと思わない。今は、ただの上司とベグライターなだけで、いずれ仕事上での関係が終わる時が来るかもしれないけど、だからって、それですべてが終わりということにはしたくない。
「オレでは駄目ですか?」
 世間からどう思われたっていい、オレは自分の気持ちを確かめたくて、そのためには参謀のそばに居たいんだ。だけど、どんなにオレが求めても参謀は大人だから、オレの想いは子供の戯言にしかならないんだろう。
「ならば私も言おうか」
「!?」
 拒絶……されるかな。でも、何を言われてもいい。それが悲しい言葉でも辛い内容でも、ちゃんと聞いて、そして頭の中で考える。なのに参謀は、
「たとえこの世界がどうなろうとも、何が変わろうとも、お前は私のものだ」
 そう言ってオレを抱きしめてくれた。
 キスも、オレを触る手も、嘘でも夢でもなくて、本物で、いつも不思議に思っていた参謀の冷たい躰が証拠となって、ちゃんと現実なんだって確信出来た。そしてオレは自分の熱を参謀に伝えたくて、やけにあちこちを触ったり、自分を触らせたり、物凄く落ち着きのないことになっていたけれど、それを見て苦笑いしている参謀も、オレの焦る気持ちとは裏腹にゆっくりとオレに触れてきて、オレはまた混乱が生じて、結局嫌々ながらも泣いてしまうという結果になった。
「何故抱かれると泣く」
 聞かれてもオレだって分からないし、正直言って、泣くような展開や雰囲気は望んでいなかった。
「……きっと、嬉しいからだと思います」
 適当にごまかして、オレはまた参謀に貫かれることを望んで、信じられないくらい積極的に手や脚を絡めて、悦びを声で表現した。
「熱烈な歓迎ぶりだな」
「だから、これが最後だなんて、もう言わないで下さい」
 これ以上悲しい思い出は要らないし、作りたくない。どんなに参謀が読めない人でも、厳しい仕事を与える人でも、怖い人でも、オレにとっては心惹かれ、躰をも捧げたいと思える人なんだ。
 参謀とは長い間一緒に居たわけではないから分からないことが多いし、過去も知らず、まして未来に何があるか分からない。この先のことなんて、どう変わるか予想も出来ないけれど、でも、この人のそばに居たいと思うし、何が起きてもそれらを受け止めたいと思う。
 この世界での参謀とオレには見えない何かで繋がっていて、溺れそうなほどの強い引力が働いているとしか思えなくて、オレはそれが何かを解明したいから、どうしてオレはこんなふうに彼を追い、語りかけたくなるのか不思議で、離れたくなくなる。もし、それが興味という名の好奇心ならば、やっぱりオレは彼に惹かれているし、それは既に愛情と呼べる段階まできてるんじゃないかな。そんなことは身分不相応だから、絶対に口には出せないけれど。

 オレがどうして参謀との一夜を夢だと思い込んだのか、ようやく分かった気がするよ。参謀は昨夜のことを最後にしようと思っていたと言ったよね? 多分、オレは何となく参謀のその考えを察して、あの出来事を夢だと思うようにしたんだ。夢であれば次を望まなくてもよくなるし、失望もしない。だから、現実にはなかったことにしようとしていた。

 でもね、やっぱりそんなのは哀しすぎる。

 躰を合わせて、まるで長い間待ち遠しかったように、やっと一つになれたと思えるのは、始めからオレたちはこうなる運命だったんじゃないかな。それは苦くもあり、輝かしくもあって、様々な思いがあるけれど、オレはただ、ほんの小さな幸せを願ってるだけで、本当は他には何も要らないんだ。

 このまま一緒に過ごして、同じ記憶を刻んだら、いつか語られる昔話にたくさん残る涙の跡も、雪のような白い花になって、光のように散りながら、たくさんの思い出に喜びを添えてゆく。手のひらの上で、舞うように、そして弾けるように。たとえ見えない過去と知らない未来が重なっても、そこには必ず、暖かい心が存在するはず。

 けれど、何度出逢っても、きっとオレたちはこれが最後の縁だと思うのだろう。壊したくはないのに、壊れてしまう関係ってあるんだね。だから参謀はオレを抱きながら哀しい顔をする。何故だかオレは、この顔を知っている気がした。そして愛しくてたまらなくなった。

 ねぇ、どうしてだろう? もっと触れてもいいの? もっとオレに触って? このまま二人、消えてもいいから──