07 // 「薄氷・うすごおり」(短編)

お父様へ

北の国ではようやく湖に張る氷も薄くなり、春の兆しが見え始めた
そうですね。アキュリュースは暖かいから氷が張るなんてことはめったに
ないけれど、湖に張る薄氷はそれは美しいものなんでしょうね。
一度この目で見てみたいものです。おつとめがありますから、なかなか
そうもいきませんけれど。
忙しい旅の途中、心のこもったお手紙をありがとうございます。
今まで、肉親はこの世にいないものと思って過ごしてきた私には
何よりの贈り物です。離れていても心が通じるって、きっとこういう
ことなのだろう、と思います。

ところで、旅はどうですか?お父様のことですから、あちこちで
色んな方にご迷惑をかけていなければいいのですけれど・・。
親に向かってひどいことを言う娘じゃ、なんて思わないで下さいね。
だってこれはゼネテス様がおっしゃったことなんですもの。
あの方のお言葉をそのままお借りすると、
「とっつあんのことだから、きっと旅先で周囲の人間にえらい迷惑
かけてることだろうな。」
ですって。でも、ゼネテス様を悪く思わないでくださいね。
ゼネテス様はこうもおっしゃったのです。
「でも、とっつあんは、周囲の人間があれこれ、世話を焼かずには
いられなくなるタチなんだよな。周りの人間みんなを惹きつける
魅力があるんだよ。あっ、こんなこと俺が言ったなんて内緒だぜ。
とっつあんの耳に入ったら恥ずかしくてしょうがねえや。」
口止めされていたけれど、お伝えしますね。お父様のことをそんなふうに
おっしゃってくださってとても嬉しく思いました。

大きな戦いが終わって世界が平和になって、喜ばしいのですけど、
ちょっと物足りないこともあるんです。もちろんお父様がまたすぐに旅に
出てしまったことも一つ。そして、エレンディル様も旅に出てしまったことも
大きいんです。
旅先でお父様に会うかもしれないから、その時はよろしく、っておっしゃって
ましたわ。あの方は世界を救った英雄として賞賛されましたけど、そういうのは
苦手みたいで。自由に今までどおりきままに冒険者としてやっていきたい
ようです。そんなところはお父様とよく似ていますのね。
エレンディル様は女性ですけれど。
だけど旅の途中にアキュリュースに寄ってくださることもあるし、私ももっと
修練しないといけませんから、そんなことばかりは言っていられません。
アキュリュースだけでなく、もっと広い立場から、水の巫女として私に何が
出来るのか真剣に考えているところです。

だけどまだまだです。ずっと水の神殿で育ってきた私は、やっぱり世間知らず
なんです。いっそお父様のように旅に出て修行をしたいですわ。
どうやら神官長たちは、私がいつそう言い出すのではないかと心配している
みたいです。それは冗談としても、もっといろんな方と交流したいと思っている
のは本当です。今度の戦いを通して私、思ったのですけれど、いろんな人の
心を知ることができないと、世の中に平和はやってこないものなんですね。
私は、自分の周りにいる人たちの心は手に取るようによく分かりました。
私も同じような考え方をしていたからです。
ですが、皆が皆、神殿の人たちや私のような考えは持っていないことを
知りました。ディンガル軍や、私たちが雇った傭兵たち、他人を傷つける
ことで自分が生きる、そんな生き方もあります。

私は正直に言うと、そんな生き方をしている人たちを軽蔑していたかも
しれません。自分とは違うそんな生き方を認めることができなかったのです。
ですが、そういう考え方を改めました。
人はみんなそれぞれの価値観と考え方を持っている。
誰が正義で、誰が悪かなんて簡単に決め付けることはできないのですね。
人を傷つけていないから正義とは言い切れないし、人を傷つけるなりわいの
人たちにも、それぞれの信念と正義が存在するのです。
それを気付かせてくれたのはエレンディル様とお父様です。
なんといっても、お父様も将軍をしたり、傭兵をしていたんですものね。
エレンディル様もお父様も、その行動と生き方で、正義を決め付けたり、
自分と相容れない者を排除したりすることの愚かしさを教えてくれました。
2人には本当に感謝しています。

だから、ネモ様の謝罪も受け入れることができたんだと思います。
あっ、このお話はお父様にはお伝えしていませんでしたわね。
先日、オルファウス様のところにいるネモ様という方から大事なお話が
あるとの連絡を受けて、ネモ様にお会いしたのです。
ネモ様は猫の容姿をしていましたが、正体はウルグの円卓の騎士の
一人で、かつては魔人として恐れられた方だそうです。今はなんの力も
ないとオルファウス様はおっしゃっていました。
大事なお話というのは、お母様・・前の水の巫女、ルフェイの命を奪った
ことに対する謝罪でした。ネモ様は何度も私に謝罪しようとしたそうですが、
どうしても言えずに遅くなってしまったそうなんです。
以前の私だったら、魔人と聞いただけで謝罪も受け付けなかったかも
しれません。

でも、私は謝罪を受け入れました。ネモ様やオルファウス様のお話を聞くと、
魔人と呼ばれる方々にもいろんな事情があり、いろんな方がおり、ただ
単純に全員が悪と言うことはないと思いました。
むしろ、私たち人間が自然をゆがめていることが原因で魔人になった方も
いるし、善とも悪ともいえず、ただ破壊神ウルグの使命を果たそうとする方が
多いようです。それになにより、魔人だったネモ様が私にお母様のことで謝りたい、
という気持ちになってくださったことが嬉しい驚きでした。もしかしたら、魔人と
人間も分かり合えるのかもしれない、と希望を感じた一瞬でした。
お母様は幼い私やお父様や、アキュリュースの人たちを救うために自分を
犠牲にした。
それはお母様の何よりの願いだったのです。お母様は幸せだったはず。
今はそう確信しています。

ずいぶん長いお手紙になってしまいました。お忙しいと思いますので旅の合間に
娘のことを思い出しながら少しずつ読んでくださいね。
まだいたらない娘ですが、次にお父様にお会いできるのを楽しみにしています。
お体には気をつけて、それと、お酒はほどほどにしてくださいね。

それでは、また。この手紙が届くころには、そちらの薄氷もきっと解けて、
春の息吹が感じられることでしょうね。
                          イークレムン