辨天湯の歴史
当浴場は明治37年ごろすでに営業していたようだ。
詳しい資料はないが、ニ代目は明治37年風呂屋の息子として誕生している。
屋号(店名)は弁天湯でも良い。
1、初代店主 常次郎は明治2年富山県で生まれた。
妻となる北村タカは明治11年新潟県で生まれた。
明治35年5月28日結婚した。
明治37年 鑛が生まれた(浅草区新福井町、現在の浅草橋)。
2、石川県羽咋郡で明治42年に生まれた 福田喜久枝と 鑛(鉱)は結婚する。
常次郎が昭和17年に死亡したため鑛が二代目店主となる。
昭和5年 健一が生まれた(浅草区新福井町)
昭和11年に浅草橋で生まれた恒川惠美子と健一が昭和32年結婚する。
昭和21年3月7日に初代店主の妻 タカ死亡。
3、健一恵美子夫婦は千代田区神田和泉町で「太陽湯」を営業していたが昭和38年6月13日に二代目店主のもとにもどる。
昭和48年11月10日に二代目店主鉱が死亡してから健一が三代目店主となる。
昭和60年4月14日に二代目店主鉱の妻喜久枝死亡。
平成4年3月30日三代目店主の妻恵美子死亡。
4、平成24年4月現在営業中
弁天様(辨天様)
昔、町に小さな池があり、お不動様の脇に弁天堂があった。弁天様の縁日が行われていた。
第二次世界大戦の空襲で燃えてなくなってしまった。
古老がどこからか弁天様をもってきて、テントで弁天様を奉り縁日が復活した。
しかし、道路交通法で弁天様のいきばがなくなってしまった。
辨天湯二代目 鑛が銭湯の入口に置場をつくり、月3回の縁日ができるようになった。
縁日が廃れてきたため、町の人々で*弁天講をつくり、当番で面倒をみた。
当時の辨天湯の休みが5の付く日(5日、15日、25日)なので、お盆にひっかけて7月15日、ねん1回のお祭りになった。
店の中で婦人警官による交通安全や花火の取り扱いの紙芝居をおこなったり、手品などのアトラクションも行われた。
お土産に金魚、モナカアイス、お菓子が子供たちにわたされた。
現在、弁天講も廃れ、北島家へ寄付された。
7月15日にお坊さんのお経のみになっている。
*弁天講
宮元
三丁目
新福
西浅
福栄会 の寄付によっておこなわれていた。