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  地図   北緯33度58分03.98秒 東経132度52分28.84秒

  自転車 かなり困難

7−6 新田神社  松山市立岩米之野

 
神名石 新田神社 1903年12月 明治36 83才
鳥居 修徳・立義  同上  同上  同上
注連石 温故・知新  同上  同上  同上
神名額 新田神社  同上  同上  同上


 松山市の近辺に、新田神社は29あると言われます。その中で、立岩の高縄山登山道脇にあるこのお宮は、本当に小さなお宮です。

久万町教育委員会発行の「文化財物語」によると、旧小田町中田渡にある新田神社が一番古く、天文3年(1534年)に建立されたとありました。新田義貞の三男新田義宗が南北朝のとき敗れて四国に逃れてきたことが、太平記に記されており、その義宗公を祀っています。

 この小さなお宮に米山の作品が、神名石、鳥居、注連石、神名額と全部揃っているのは、驚きでした。そこで、これは松山大学の創始者新田長次郎と関係がないだろうかと想像しました。新田長次郎は温山と号し、書もよくしましたが東洋の皮革王と呼ばれた成功者です。早速松山大学の温山会にお邪魔して色々と調べて頂いたのですが、直接の関係は分かりませんでした。新田長次郎が新田義貞の流れを汲むことは、想像した通りだったのですが、年齢差が36才あること、片や北海道に3万ヘクタールの土地を手にして工場進出した大実業家であること、一方米山はこの年83才で書家としての名声は得ていますが、身分は一地方神官に過ぎないこと。それらを考えると、深い交流は無かったかもしれませんが、ともに同じ松山で同じ世代を共有しています。米山は自ら中学校の設立を計画したことも有りますから、書と教育という共通点もあります。

新田神社に書を残した明治36年、新田長次郎は緑綬褒章を受章しています。その慶事がこの新田神社で行われたのではないか、そこに米山も招かれたのではないかという想像は、私には捨て切れません。

 山の田や 鳥追い鈴に 春の風

 

神名石 「新田神社」

鳥井 「修徳・立義」

注連石 「温故・知新」

神名額 「新田神社」

真言宗のお寺から寄贈された灯篭