炊事棟に行くとみんなはいなかったので、どこに行ったのかと思ったらキャンプ場の下にいた。そこで、朝食を楽しんでいた。人数が多いなと思ったら、大さん達の知り合いであるミーダさん達と合流しただけだという。
ミーダ&さんちゃんグループは、朝食にすごくこっていた。お皿にきれいに盛りつけられていた。 まさに驚きである。 どこに、こんな時間があったのだろう。
アゼリア丸が出発した。
続けて、海上に赤い船が見えてきた。今日我々が乗るJET船「愛」である。波しぶきを上げて、水面を飛んでいるようだ。たくさんの人たちがカメラを向けていた。
船着き場を覗きながら、雅温泉へ行く。なんと誰も入っていなかった。観光客はどうしたんだろう? ここはいつでも入れるので、私も素通り。
今回は2泊3日の短期旅行だ。つもる話もあったが、時間が惜しかったので、食べ終わるとすぐに出て、釜下湾の方へ向かった。懐かしい景色を見て、胸が弾んだ。ただ、雲だけは夏の雲でなかった。それだけが少し残念だ。
道の傍らに咲いていた花。名前は分かたないが、なかなかすてきだ。
キャンプ場の前の坂を下り、右折して中の浦の方へ進む。前を行く人たちは、左の泊港の方へ行った。
上から見たバボのテント−ビューポイント!
バボのテントの位置関係
大さん&ミーニー
KG&田んぼ&tomoちゃん
途中野伏港により、ここでも記念撮影をした。私自身は、少しでも帰るのを抵抗しているような気持ちでいた。
写真に写ったみんなは、最高の笑顔だった。
今回はわずか2泊だったが、自然の中で生活すると、何ともいえない郷愁が感じられる。去る前に、キャンプ場を回り、何枚か写真に収めた。ほとんどの人が今日の船で帰るようで、急にがらがらになってしまった大浦であった。
温泉には多くの人々が、集結していた。大潮に当たり、たくさんの海水が流れ込み、温泉に入れる場所は、ほんの一部だった。
沖合に目を向けると、かなり激しい波がやってきていて、すぐ近くには流木が漂っていた。
2人は奥の方の岩に登り、準備をしている。私は、ゴーグルとシュノーケルをつけて、先に海に入ってみた。 こんな激しい潮のある地鉈は初めてだった。波に押し返されてなかなか前に行けない。 何度も行ったことのある左側の入り江まで行ったが、波がかなり強く、泳ぐことが不能になってしまった。油断すると、岩に波ごとたたきつけられるような状態になった。かろうじて両手で岩をつかみ、潮の流れが一瞬停まった時を見計らって、どうにか、岸の方に戻ってこられた。 こんな怖い思いをした地鉈は初めてであった。 その恐怖のため、いつもは行かない高い岩のところまで登ってしまった。
足ひれもウェットスーツもないバボには限界だったので、温泉に浸かりながら2人の帰りを待つことにした。時々立って海の方を見ると、足ひれが海面から出て、沈んでいく様子が見られた。
やがて、ぼんちゃんもジベータも無事生還した。 しかも、夕食のおかずであるハコフグが収穫されていた。2人の体の冷えと疲れをいやすには、地鉈温泉は最高のところだろう。しばらく3人で浸かっていた。
やがてぼんちゃんとジベータは、獲物を持って温泉からあがっていた。 しかしバボは、まだ温泉の中にいた。
大浦の一番先端にある大きな岩のところまで行くと、潮が海に向かって右から左に流れていた。何もしないでいると、いつの間にか左側に流されていく。岩に大きな波がぶつかるし、海の中は白い細かい水の粒だらけだった。参ったなと思いながら、海洋生物を探すのだが、なかなか見つからない。
それでも、大きな岩の周りを1周し、少しずつ戻りながら生物探しをした。ベラばかりが目に入った。
周りを見回したら、知っている顔はなかった。神引き湾に行った勇者3人組だけでなく、大さん夫婦もいなかった。
後でわかったが、2人は、中の浦にまで遠征ししたという。 この潮の中でご苦労様です。
砂浜まで引き返してくると、田んぼがいた。子供の世話をしていた。近くまで行った。少し、擬似夫婦を演じていたが、また泳ぎたくなり、沖合の方へ向かった。 大浦の右側をよく見ていなかったからだ。
フナリットに到着。今回の目的地はここだった。そして予想通り、私が会いたい人たちがいた。好美兄いも永井さんの姿もあった。温泉に浸かりながら、若い2人組の女性と話をしていた。私も乱入すると、その2人組の女性は昨年も来たらしく、私のことを覚えていた。ドキッとした。どこでお会いしたんだろう???
少しずつ潮が満ちてきて、手前の方に移動させられた。と言うのも、潮が満ちてくると、海水が入り、温泉が海になってしまうからだ。
30分ぐらい話をしてから好美兄いは帰って行った。永井さんに「泳いできたらどうだ」と言われ、海の中に入った。ラッシュガードはつけていたが、温かい。 9月の海は例年暖かいのだが、今年はいつも以上だ。
1時間ほど、海の中にいた。私が気にいっているテーブルサンゴを見に行った。今年は、新たにサンゴが成長し、面積も広がったようだ。寒くなったと言うより疲れてきたので、海からあがった。一番上の温泉は、まだ暖かかった。さすがの永井さんも、私が1時間ほど海に入ったきり戻ってこなかったので、待ちくたびれてどこかに行ったようだ。
神津島のクマノミの話をしたとき、式根島も沖の大きな岩のあたりに行くとクマノミがいると言っていた。近くまで行き、サンゴイソギンチャクはあったが、クマノミは見つけることできなかった。
足付き温泉のあたりに来て、ようやく夏の雲と出会うことができた。台風が、今日本の近海にいると言うことを忘れさせてくれるほど、海の状態はいい。
昨夜買ったお握りの残りを朝食にした。
みんなは、この後大浦で泳ぐという。私はどうするかと聞かれたので、今年初めての式根島と言うこともあり、知り合いの挨拶回りをかねて足付けの方へ向かった。つまり、私だけ単独行動をとらせてもらった。後で聞いたら、みんなは、中の浦経由で神引き湾まで行ったという。私も、連れて行ってもらえば良かったと思った。
海上には、厚い大きな雲が浮かんでいた。これから入道雲に成長していくのではないかと思われるような雲だった。
新島を出発し、あと20分足らずで式根島に到着する。
私がデッキに出たときは、もう虹が消えかかっていて、かすかに残っている程度だった。しかし、はっきりと写真にとることはできた。
虹が出たと言うことは、かなり雨が降ったのだろう。新島の桟橋は、かなりぬれていた。
今年の私は、なぜか式根島と縁がなかった。一番好きな島なのに、なぜか式根島に行けなかった。
3月末に行くつもりだったが、家の事情で、話は立ち消えになった・・・・・・
それでは5月のGWと、気持ちを新たに船の予約までしたのに、直前に仕事の関係でキャンセルすることになった・・・・・
それでは、夏休みこそ行くぞと、神津島とセットで船もバイクも予約したのに、またもや早く帰らなければならなくなり、神津島だけになってしまった・・・・・
見えない不思議な力が、私の式根島行きを阻止しているとしか考えられなかった。おまけに、9月の3連休の予約を忘れてしまい、東海汽船に電話したときは「席なし」しかなかった。とりあえず、キャンセル待ちしたが、直前まで連絡は来なかった。 正直、今年の式根島はあきらめていた。
ところが、ここで奇跡が起きるのである。ミーニーから、船の空きが出たけど「行かないか」というお誘いが、メールを通して舞い込んできた。これは、まさに神の声に他ならなかった。そのおかげで、9月の3連休に、行きは2等和室、帰りは午後Jet船と考えられないほどすてきな条件が私を待っていてくれたのである。
改めて、大さんとミーニーに感謝して、このHPは始まる。
野伏港桟橋で待っていたら、最初に神新汽船の「アゼリア丸」が来た。これから、新島、利島とよって伊豆半島の下田に帰る船だ。 帰る人がたくさんいて、見送る人たちも集まってきた。 ふと見たら、紙テープが風に舞っていた。
帰りの荷物を整理した。今回も、私はコンテナを送ることにしたので、詰めるだけ詰めた。失敗したのは、テントと一緒に、最後に泳いだ服を、完全に乾かさないで入れてしまったことだ。後日着払いで届き、開封したら、ものすごいにおいがした。 滅多にかいだことがない、強烈な香りであった。最初に開けた家内は、すぐに閉めてしまった。
朝、テントのジッパーを開けて、最初に見えた景色だ。この海を見る限り、JET船は大丈夫だと思った。しかし、船が来るのは西側に位置する大浦ではなく、北東にある野伏港だ。
K佐さんが、野伏港へバイクで様子を見に行ってくれた。大丈夫だと言うことで、ますます確信を持った。
いずれにしても、とりあえずテントを干してたたむ必要がある。
ミーニーのアドバイスを受け、下の芝生のところにある柵までテントとフライを持って行った。マットも一緒に干した。確かに、ここは風が良く流れるところだ。
朝食は、残っていた素麺を平らげることにした。シンプルに、スープの素を入れたホット素麺だ。
下の方で、騒がしい声が聞こえた。何事かと思い見に行ったら、焼き肉をやっているグループがいた。 彼らは食事を済ませ、楽器を持ち込んだ人もいて、サンバの音楽で踊っていた。 時々雨も降っていたが、お構いなしにやっていた。
アルコールで乾杯し、夕食が始まった。東京にいたら、まず食べられないカンパチの刺身を、今日も食べることができた。鍋はみんなで突っつくことができ、キャンプでの夕食には最適だと思った。
しかし、今夜の主役は、ハコフグだったかもしれない。ぼんちゃんは味噌の代わりに、インスタント味噌汁の素を使ったがが、これがまた出しが出ておいしかった。皮には毒があると言われるが、味は天下一品だ。
途中、何度か雨が降ってきてはやんだ。
今夜もみんなでお金を出し合い、一緒に夕食を食べることになった。肉鍋、ハコフグの肝焼き、カンパチの刺身がメニューだった。
ぼんちゃんが、ハコフグの調理を受け持ってくれた。腹部の硬い殻に穴を開け、内臓を出し、肝を味噌とあえて中に戻す。それを火であぶるのである。
大さんは、いつもの手慣れた包丁さばきでカンパチを3枚におろしていった。
空が明るくなってきた。外を見ると、まだやんではいないが、だいぶ小雨になってきた。
さらに少し待った。 ・・・・・・ 音が静かになった。
雨が、ようやく上がった。また降ってくるといやなので、急いで歩き始めた。 もう、憩いの湯に行く気持ちは萎えた。
船着き場に来ると、空が赤くなっていた。空も海も赤くなり、夕焼けだと理解するまで、少し時間がかかった。きれいだなと思った。桟橋も、船も、松も、みんな黒く見えた。あかね雲が、すべてのものを飲み込んでしまったかのように思えた。
帰り奥山商店に寄ったら、偶然みんなと出会えた。すごい奇跡だと思った。
昼食後は、1時間以上そこにうだうだしていた。管理人さんが出かけたので、戻ってくるまでみんなで話をしていた。
その時の話題は、夜はハコフグかイシガキフグを食べたいというものであった。 海は午前中よりも波が出て、中が濁っている。 こんな時は、どこだと魚がいるのだろうか? 1つの結論は、地鉈沖ならいるだろうということであった。
最初は、秘密の海「F]にでも行こうかと話していたが、結局は地鉈グループと中の浦グループに分かれた。
私は久しぶりに地鉈の海に挨拶したかったので、ぼんちゃんとジベータと一緒に先発で出かけた。本当は、ハコフグを一番つきたがっていたKGも参加予定だったが、寝ていて起きてこなかったので、3人になってしまった。
太陽の日差しが強くなるにつれ、海はすてきな色を見せ始めた。今回私がテントを張った場所は、ミーニーから勧められた場所だが、本当に海がよく見える。最高の景色だ。
これだけきれいな景色だが、見ているだけではもの足りなくなる。やはり、海の中に入りたくなった。
勇者3人、そして大さん達に遅れはしたが、大浦の海に身をゆだねることにした。
食事が終わると、男性は狩りをしたくなる習慣があるのだろうか。若手のKG、ぼんちゃん、ジベータは「つきん棒の銛」の部分を研ぎ始めた。そして、銛に対する、それぞれの思いを熱く語りながら、一生懸命作業を行っていた。
作業が終わった3人の勇者は、足ひれを持ち、大浦の海の中に消えていった。
大浦の先端部分は、すでにうねりと波が到達していた。白い波が、連続して見えた。
後で聞いたら、3人は神引き湾まで行ったと言う。
海の様子が知りたくて、少し散歩がてら歩いた。
今はまだ穏やかな海が見えているが、天気予報によると、この後台風の影響で潮や濁りが入ってくるようだ。午後になるほどひどいと言うことで、シュノーケルを楽しむのは、午前中限定らしい。
テントに戻ると、昨日買った素麺を茹で始めた。お湯は捨てないで、そのまま粉のスープを入れた。素麺と言うよりも、細うどんだ。昨日は納豆も、ちくわも買わなかったので、本当に質素な朝食になってしまった。素麺にしたのは、ゆで時間が短いからだ。
ビルや焼酎と言った各自が手にしたアルコールでまず乾杯した。メンバーは、大さん、ミーニー、KG、ベジータ、田んぼ、tomoちゃん、Kささんそしてバボである。
先ほどまで、みんなで分担して作った料理が並んでいる。つみれ鍋と刺身が、今日の夕食の主役、両横綱だ。大きな鍋に、キノコや野菜がたくさん入入っていた。出汁が出ておいしかった。そこに、式根島が誇る海の幸が、これまたドーーンと大きな皿に入れられて出てきた。イサキ&アカイカの刺身である。醤油も、普通のものではない。島特有の青唐辛子が入った、ややぴりっとした最高の付け合わせである。
これらのご馳走をつつきながら、アルコールがどんどんそれぞれの体内に吸収されていく。おいしくないわけはない。「至福」という言葉があるが、まさにこの時を飾る言葉は、これだった。
皿や鍋が空っぽになると、ミーニーや田んぼが、片付けてくれた。 続いて、ポテトチップや柿の種という乾き物がテーブルに並んだ。ワインが、新たに加わった。酒に強い大さんやKGの前のアルコールがどんどん消えていく。
10時頃になると、昨夜の船の疲れも出てきて、腰を上げるものも出てきた。この日ぼんちゃんは、夕食会に参加せず、桟橋に釣りに出かけていた。そのぼんちゃんだが、まさにお開きのタイミングに「サカナは入っていない」入れ物を持って帰ってきた。
ご苦労様です。
私は、11時前に寝てしまったが、午前1時まで飲んでいた人がいたとか、いないとか。。。。
カメラが壊れた直接の原因はわからないが、間接的な原因は、このサンゴイソギンチャクであった。白いものや、ややむらさきがかったものはいくつも見ていた。しかし、オレンジやピンクがかかったものは、見たことがなかった。突然変異なんだろうか、それとも新種なんだろうか。興奮してしまった。それで、1度に潜っている時間は、いつもより長かったかもしれない。2枚続けてとった瞬間、突然液晶が闇夜の世界になってしまった。
もう目を覚ますことはなかった。最初は電池切れかと思い、テントに戻って調べても違った。カメラ内に浸水の後はなかった。
かなり大型のテーブルサンゴがあったが、同時に、小さなサンゴの成長期も見ることができた。いずれも、写真ではわかりにくいが、ソラスズメの仲間がたくさん遊泳していた。
今年のシーズン前、コダックの水中用のデジカメを買った。7月の八丈島や8月の神津島で使い、ようやく慣れてきたところだった。30分ほど温泉に浸かり休んだので、第2弾の水中散歩をすることになった。サンゴの様子を見てきたので、今度は、カメラを持って行くことにした。30分以内で戻る計画を立てた。
ところが、今回式根島での初撮影だったのに、いきなりお亡くなりになってしまった。
理由はわからない。時間にして、入って15分ぐらいだったろうか。水深も、1,5m〜2mのところで、八丈島や神津島でもこの深さでとっていて、問題なかった。ところが、19枚撮影したところで、突然真っ暗になってしまった。入る直前にふたは確認したはずだ。奇しくも、3年ほど前と同じ場所での水没事故をおこした。
遺影となるいくつかの写真を載せることにした。
式根島の繁華街を歩いた。宮寅商店、奥山商店を通り、井上土産店を通過して、温泉へ行く道との分岐点に出た。ここは、雨が降ったばかりのようで、道全体がぬれていた。水たまりも新しい。
久しぶりに梅田さん夫婦とも会いたくて、サンバレーのドアを開けた。店内にはお客さんがいたが、
「おおっ、ひさしぶりだね。」と言う、ご主人。
「今年はこないかと思っていたよ。」という奥さん。
着いた日の昼食はここで食べようと決めていたので、いつもの味噌ラーメンを注文する。激辛の唐辛子を持ってきてくれ、スプーンで半分ほど入れた。今日はいつもより味噌が濃かったためか、いつも以上においしかった。
そうこうしているうちに、大さんとベジータがやってきた。2人は、式根島のことをよく知っているので、雲行きが怪しくなると、新屋の中で雨宿りを決め込んだという。そのため、全然ぬれなかったという。さすがだ。KGの姿もそこにあった。
再び日が射し込んできたので、みんなで固まってテントの設営を行った。
大さんとミーニーは一番奥に軽量テント。値段は私のテントの10倍以上するものだ。KGは、私のテントを挟んで反対側のやや広い場所に、黄色い大型のゴア製のテント。これは、冬山でも大丈夫とのことだ。 ベジータは、私の近くの木の下。なるほど、そんなところがあったのかと思われる場所だった。みんな、式根島のことをよく知っているので、そつない行動だった。ところで田んぼは、どうするのかと思っていたら、KGの大型テントの一角を借りるという。ううむむむ・・・そういう手もあったのかと頷いてしまった。
茫然自失状態・・・・・、しばらくフリーズした状態になった。 小降りになり、ほとんど雨がやんだと思われたとき、まずブルーシートをテントの隣に貼った。これで、何かあったときは「雨宿り=緊急避難場所」が確保できた。
続いて、マジックタオルを使って、テントの中の水分排出作業にとりかかった。予想以上に雨がたまり、中はぬれていた。水を吸いとり、外で絞るという作業を、20回以上おこなった。まだまだ十分ぬれていた。
式根島・野伏港では晴れ間が見えていたのに、大浦に到着すると、黒い怪しげな影が空を覆い始めた。これも台風の余波か。あるいは、今回のメンバーの中でささやかれている「嵐を呼ぶ男」に対抗した「台風を呼ぶ男−ベジータ」が雲を呼んだのかわからないが、不気味な空であることには変わりない。テントを設営する場所は決定したが、今「張っていいもの」かみんな悩んでいたようだった。
私ことバボは、テントさえ張ってしまえば、その中に荷物を入れて雨をしのげると考えた。そのため、いち早くテントにポールを通し始めた。
OH!My GOD!! フライをのせない前に大粒の雨が落ちてきた。 結果どうなったかは、一目瞭然だ。テントの中で雨が降った状態になり、最悪の結果を招いてしまった。 とりあえず、体は濡れながら、フライをのせるところまではやった。
式根島の赤灯台が見えてきた。この瞬間、何ともいえない旅情を感じる。他の島では感じないが、式根島だけに感じる、不思議な感覚だ。
体中のDNAが活発に活動し始めたようだ。体が少しほてってきた。
そんな私の横を、村営船「にしき」が通過していった。
式根島は、雨が上がっているようだった。青空が見える。明け方の雨で、これからは天気が回復するだろう・・・そんな願望をいだいていた。デッキにはいろいろな人たちが出てきて、式根島の撮影会に変わっていた。
私が起きると、もうみんなは起きていた。KGだけは、夜活躍したので寝ていた。
新島で、荷物をまとめ、Cデッキまで持って行った。誰かが、虹が見えると言うので、私もデッキに出た。
船は予定時刻を30分以上遅れての出航だった。会話を楽しんでいたら、午前12時過ぎに船内見回りが来て、「飲むなら食堂に行け」と言われた。
私は、シュラフに潜り込んで寝てわからなかったが、午前2時半まで飲んでいた人もいたようだ。
私はそんなに飲んでいないのに、気分が悪くなり、夜中「ゲゲゲの鬼太郎」になってしまった。田んぼも、「かなりこませをまいた」と言っていた。(汚い話ですみません!)
10時半頃、ようやくサルビア丸の船内に入れた。2等和室の一角を、我々のグループがしめることができた。今回のメンバーは、大さん・ミーニー・田んぼ・ともちゃん(2歳児)・ジベータ・KG(ケージー)、そしてバボの7人であった。ジベータは、昨年奥多摩のキャンプ場でお会いしていたので、顔は知っていた。KGとは、初顔合わせであった。
2等和室というカーペット付きの部屋に集まった我々はすぐに、思い思いのドリンクを飲み始めた。つまみは、私が買ったおせんべいと、誰かが差し入れしてくれたクッキー。アルコール類は、2L?のパックに入った白ワインと、「喜界が島」という黒糖焼酎。それに誰かがペットボトルに入れてきてくれた焼酎。後は各自が購入してきた缶のビールや焼酎類。
事前に聞いたけれど、今回誰が行くのか忘れてしまった。大さんとミーニーと田んぼ、そしてその子供の4人はわかっていた。後何人登場するのか、楽しい空想であった。
東海汽船の乗船券が買える室内は、満杯状態だった。さすがに9月の3連休はすごい!でも、知っている顔がなくて、少し不安だった。
誰もいないなと思っていたら、もう列の前の方に並んでいたという。
午後10時頃から乗船券を購入する窓口に長蛇の列ができた。そのため、我々もなかなか切符が買えないという恐ろしい事態に陥っていた。
指定席券を持たない連中は、早く入ってデッキのいい場所をとろうと殺気立っていた。
昨日から気になることが1つあった。それは、帰りのJET船が出るかということであった。普段の9月なら、全然考える必要のないことだった。ところが、今沖縄に巨大な台風がある。その影響で、大きな波が、この伊豆諸島式根島まで届いている。今日の午後JET船が出るのだろうか。
最悪を想定すると、神津島に向かう船が、帰りは式根島によらない「着発」ということだ。朝8時台に式根島出帆になる。この時間を考えてのテント撤収作業になる。
みんなはどうしているんだろう?足付き温泉に浸かりながら、気になった。いつもなら、この後雅の湯に回るのだが、早くキャンプ場に戻ろうと思った。そこで、憩いの湯に出る、新しくなった道を上っていった。
食材がなかったので、途中宮寅によった。
その時である。ミーニーから「みんなで夕食を作って食べよう」という話が来た。もちろん大賛成である。さらに、雅の湯に入るために、みんなは移動中だという。
私は、もう一度、雅の湯の方に向かった。そこでみんなを待つことにした。
みんなで30分ほど浸かってから、買い出しに出かけた。ドリンク類やおつまみは各自で買うという、いつもの掟だ。奥山商店に集まり、買い出しをした。そして帰り、またまたミーニーの島友達であるT子さんに車に乗せてもらった。大人数だったので、みんなで荷台に雑魚座りした。
ここで、みんなの行動を振り返る。
まずベジータだが、勢いよくキャンプ場へ突進していった。 さすがになれている人らしく、場所取りをしようとしているのだ。あっという間に姿が見えなくなった。
田んぼはベビーカーを押しながら、のんびり島の様子を眺めていた。
大さんは、誰かを捜しているようだ。先ほど姿が見えなかったKGを探しているようだ。
ミーニーも誰かを捜していていた。KGではない。どうやら島内のお友達であり、お世話になっているT子さんだった。その理由は、すぐにわかった。T子さんは車を持っていて、荷物と一緒に我々をキャンプ場まで運んでくれたのだ。だが、大さんとKGの姿はなく、ベジータも先に行ってしまった。
出発の3日前から、台風16号が怪しい動きをしていた。天気図からして式根島にやってくることはないとわかっていたが、天気や海に多少の影響が出ることは避けられないようだ。
明日の夜はいよいよ、サルビア丸の中だと思っていたが、一抹の不安はあった。今年は、どうも式根島に振られているからだ。でも、私ことバボは、「驚異の晴れ男」である。出発の時刻になると、心配は一気に消え去った。
ミーニーからのメールで、竹芝桟橋に午後9時半集合という連絡があったので、それに間に合うように出発した。バイクなしの時の荷物は、いつものように大きなコンテナをごろごろで引いていく形だ。2泊3日ということだったので、思い切って荷物は最小限にした。そのため、テントや食器やガスバーナー、そして海で使うものは、すべてコンテナの中に入ってしまった。今回もラッシュガードを持っていったが、ウェットスーツを持って行くとなると、今後考えなければならない。
式根島の桟橋が、正面に見える。東海汽船の建物も、「式根島へようこそ」の看板も。さらに車が1台ずつはっきりと見えるようになってきた。
あわてて船室内に戻った。、降り口となるCデッキは多くの人が並んでいた。私も荷物を持って、みんなのいるところへ行った。1,2,・・・6人。1人足りない。自分も数えたはずなのに・・・と思っていたら、KGがいない。
どうせ後で出てくるだろうと思いながら、みんなと一緒に降りた。
こうして、2012年度も無事式根島上陸を果たせた。
ありがとうございます。思わず感謝の言葉が出てきた。
心地よい眠りだった。海のそばでキャンプすると、こんなにも気持ちがよいのかというくらいすてきな朝を迎えることができた。8月と違い、日差しはそんなに強くない。むしろ涼しいくらいだ。
寝ぼけたまま、炊事棟に行くと、もうみんなは起きていた。朝食は各自でと言うことだったので、ぼんちゃんはラーメンを食べていた。大さん達は、パンのようだ。
11時半頃、海からあがった。みんなで昼食を食べることになっていたからだ。今回は、K1さんが天ぷらを揚げてくれることになっていた。それも、アカイカだ。 「ヤッホーー」
下唇をなめながらシャワーを浴びに行くと、もう田んぼ親子はシャワーを浴び終わっていた。
テントに戻り、簡単に着替えた。この時期、ぬれたままでいると、やはり肌寒く感じる。
目の前に広がる海を見てみると、これまた最高の表情をしていた。思わず、「ありがとう」という言葉を発してしまうほどの海だ。
同じような写真が2枚並んだが、我ながらよくとれたと思う。
管理人室の前に、我らキャンプ集団が集まった。しかし、我々が集まる前に女子大生(某私大の歯学部)4人がそこで食事をしていたので、我々はおとなしく、じっと待っていたのである。 やがて席が空いた。というより、無理に少し詰めてもらった。 ようやく、昼食タイムになった。K1さんが、朝から仕込みをして天ぷらを揚げたり、K佐さんがイサキの塩焼きを焼いてくれたりしていたのだ。
すごいご馳走だ。お刺身だけでも、イサキ、カンパチ、ブダイ、メジナが並んでいた。天ぷらは、アカイカ、にんじん、イサキ。・・・他。
そこへ、あらの煮付けが出て、イサキの塩焼きも登場した。ビールを片手に食べ始める人もいたし、お握り持参の人もいた。私は、天ぷらという情報があったので、なべにうどんを入れて登場した。
カメラで写していると、テーブルの上のご馳走が消えていくので、食べる方に専念した。tomoちゃんも、少し離れたベンチで、おいしそうに食べていた。
刺身というと、ブダイがやや人気がなかったが、ぬた味噌があって、それをつけると全く別の味に変身して驚いた。
他に、ナスとピーマンの中華風炒め物も出現した。 イカの塩辛も人気があった。
もう1つ、漁師の異名を持つ探検家から、すごい差し入れが入った。1m近くはあるグニャグニャした物体。 それは、マダコだった。先ほど、沖に出て、水深12mのところで、このタコと遭遇し、戦いを挑んだという。そのマダコの足が1本、「ご賞味あれ!」と我々に献上されたのである。醤油をつけて食べようとしたら、K佐さんがキムチの元をどくどくと入れてくれ、「これで食うのが一番だ」と教えてくれた。
写真は、マダコがキャンプ場に出現したときの様子だ。
自分でとったのではないのに、勝手に手で持っての記念撮影会となった。
式根島では、AKB48よりも、マダコの方が人気があるということがよくわかった。
上から見ると、地鉈の先端は白い波が出ていた。これではすいているかなと思ったら、駐輪場にはたくさんの自転車が並んでいた。連休で混んでいるようだ。
中の浦グループは、憩いの湯に入っていくという情報が入っていたので、私も雅の湯経由で行こうと思った。雅の湯に、10分ほど温まっていたら、突然空が暗くなった。雨が落ちてきた。雷も鳴り響きそうだ。私は、水シャワーを浴び、急いで更衣室へ避難。ここなら、大事なものをぬらす心配も少ないだろう。
これも台風が原因のものだろうか、それともただの夕立なんだろうか。
なかなか雨はやまなかった。 さすがの私も不安になった。今夜は、このままずっと明日まで降るのだろうか。 洗ってロープに干してきたTシャツや短パンを思い出した。今回は、Tシャツも短パンも2組しか持ってきていない。 2組とも濡れてしまった可能性があるので、どうしよう・・・・。
ミーニーが刻んだ野菜と肉を、バボと田んぼで鍋に入れ、火をつけた。昨日から鍋担当である。さらに、ご飯を炊き始めた。
ジベータは、ぼんちゃんが仕込んだハコフグを七輪で焼き始めた。
ぼんちゃんは、ラーメンをすすっていた。大さん、ミーミー、田んぼ、KGとK佐さんは、サンドイッチで朝食をとっていた。ジベータもそこにいて、ツナを巻いた食パンを食べていた。
午前8時。もし船が欠航だったり変更があると放送が入る時間だ。東海汽船から・・・というアナウンスで、一瞬ひやっとしたが、「新島は若郷になった」という放送だった。と言うことは、これからよほどのことがない限り、午後は予定通りだということである。
ただし、大型船で帰るぼんちゃんとジベータは準備を進めなければならない。
先発隊にあわせ、みんなで記念撮影をした。
tomoちゃんの友達ができ、その子供達も一緒に入った。
2012年の大浦のキャンプ場は、9月で閉じることになる。今年最後の大浦のキャンプだ。
写真を撮った後、ぼんちゃんとジベータは出発した。その姿を見送った。
ぼんちゃんは、10月の八丈島に誘ってくれたが、私は式根島に来る予定で、船の予約も入れてある。
今回の泳ぎ納めということで、私は大浦の海に入った。
少し泳いだが、30cmも視界がなく、あまり楽しくなかった。それでいて、潮は強い。
あがろうとしたら、田んぼとtomoちゃんが来たので、一緒に砂遊びをした。お城を作ったり池を作ったりと、久々に砂遊びを真剣にやった。
そこへミーミーがやってきて、何枚か写真を撮ってもらった。そのままミーミーは、沖の方へ向かって泳ぎ始めた。
みんなで同時にあがり、水シャワーを浴びた。
お昼は、宮寅に頼んでおいた「アシタバのり弁」が届いた。それを食べた。途中雨が降ってきた。雨量は、思ったより多かった。雨をよけながらのお昼ご飯になった。
私が神津島で張ったのと同じようなブルーシートのタープを張っていた人がいて、少し話をした。あれだけ高い木に先端をくくりつけられるといいなと思った。
大浦の海は、はっきりと濁りがわかった。しかし、これまたきれいな海の色を演出しているなとも思った。
だいぶ白波が見えるようになった。
これから、野伏港に向かって、てくてく歩き始める。
泊港からの大きなカーブ道を降りてくると、新島の姿が見えてきた。
式根島最後の記念撮影となった。KGのジャンプが見事だった。きちんと空中の姿勢が保たれていた。田んぼも、子供をだっこしながら、空中で制止していた。
今回も、ものすごく楽しい島旅になった。そして思い出に残るキャンプ生活ができた。
本当は式根島に行けない予定だったが、大さん夫婦に乗船券をとっていただき、上陸をはたした。感謝感謝だ。
また、ぼんちゃん、KG、ジベータというすてきな若者達にもあえて、充実した時を過ごすことができた。
帰り、浜松町の居酒屋で飲み食いをし、島旅の締めくくりができた。そこには、先に大型船で帰ったジベータも駆けつけてくれた。すぐ隣でツアーを開催していたミーダ&さんちゃんも集結し、盛り上がった。
また、みんなで式根島に行きたいと思った。
「獲物をねらう狩人」とかした2人は、ずんがずんがと、地鉈の階段を下りていった。 膝に持病のある私は、いつの間にか遅れ、カメラ係になってしまった。
お世話になった大さん&ミーニー