ツーリング&シュノーケリング

 特に目的地はなかった。「とりあえずバイクを走らせ、気に入った場所で海に入る」そんなアバウトな感覚で、今日1日を過ごそうと思った。

 早めに夕食をすませ、まだ泳いでいないトウシキに行こうと思った。ここのキャンプ場は、かなりすいているので、かまどを使ってのんびり作ることにした。風の影響を受けないでガスバーナを使うのはなかなかいい。
 とっととパスタを流し込み、海の道具を使って、キャンプ場から下のトウシキ海岸へ続く道を進んだ。

大島東海岸の景色

 大島の東側は、崖が高いところが多い。そのため、どちらかというと、木立に覆われた道をバイクで走ることになる。

 岡田港から秋の浜の方向に向かった島の東側・・・とてもきれいになっていた。たくさんきれいな橋が造られ、公園も整備されていた。
 以前来たのは2年前なので、この2年間の島の変遷に少なからず驚かされた。

 今回は水中でとれるカメラを持って行かなかったので、水中写真はない。しかし、やや大きめの魚がいくつか泳いでいた。
 今年は幾分か水温は高い。しかし、水の中で潮は流れていた。
 約1時間ほど泳いだ。子供たちがたくさん集まる場所から、岩肌に沿って泳いでいった。波に揺られ、ぷかぷかしながら泳いでいった。

 野田浜に到着。最近はダイビング客がたくさん訪れる場所だ。今回も、10組以上のダイビングスクールが開催されていた。ダイバーが海にいることを表す旗が揺れていた。

 今年も最初は野田浜で泳ぐと決めていた。大島一周道路をバイクで走っていく。間伏の駐在さんが外にいて、元気よくあいさつをした。きれいな赤いハイビスカスが咲いていた。
 元町に出て、観光協会で停まる。「浜の湯」の半額チケットをゲットするためだ。

 キャンプ場から海に下っていく道がある。木立や茂みの中を通る獣道を進むと、突然光が差し込んで、景色が一変する。赤い溶岩の砂がたくさん敷き詰められていた。今までここで泳いだことがなかったが、今回の旅では必ず入るだろう。その下見である。自然の岩場が要塞になっていて、入り江になっている。

 キャンプ場の後ろ側に行った。竹でできた防風林の後ろは、断崖絶壁であった。少しずつ風化して垂直の崖ができていた。下の方に行かないように柵ができていたが、近くまで行って下を見下ろすと壮絶な光景が見える。

 他の島に比べて、このトウシキキャンプ場はすいているなと思った。よく考えてみれば当たり前のことに気づいた。というのは、船の接岸する桟橋から遠いからである。レンタカーやバイクがなければ、なかなかこれない場所である。一応、400m歩いて大島一周道路まで出ればバス便もなくはないが、この大きな島を半周回ることは余り賢いとはいえない。自転車も、坂が多くかなり重労働だ。ここに、何かプラスがなければ、人は余りやってこないだろう。

「地層断面前」というバス停ができていた。かつて東海汽船バスの場合は、このバス停がなく、好きなところにおろしてもらえてが、これは進歩と言っていいものだろうか?断層の反対側は、きれいな海だった。本当はここでたくさん写真を撮りたいところだが、暑くなる前にテントを張りたいので、ひたすら前進。前進。

 トウシキキャンプ場に到着した。ほぼ同時に到着したバスから、若者たちがたくさんあふれてきた。後でわかったことだが、彼らは、学生時代のサークルの仲間で、大学卒業後も毎年のように大島に集団でやってくるようだ。

 私もいろいろキャンプ場を探索し、張る場所を探した。ここは、3つの芝生のエリアがある。トイレや炊事場に近い場所は一番人気でもういくつもテントが並んでいた。入口を起点に、奥の方も4つ5つテントが張られていた。
 今回は静かな生活をしたいので、誰もテントを張っていないエリアにテントを張ることにした。ここならすぐ近くに、バイクをおくこともできる。

トウシキキャンプ場到着

 大島一周道路に沿って、反時計回りで差木地をめざす。以前怪我をしたとき、足を縫ってもらったかつての「北診(北部診療所)」は健康センターのようなものに変わっていた。この暗がりの木立の中を進むとき、いつも大島に来たということを痛感する。

7835.2km。大島のスタート時のメーターだ。これから、どれくらい大島の道を走り続けるのだろう。後ろを振り返ったら、まださるびあ丸が桟橋に着いていた。

 さるびあ丸が停泊している。船尾は丸みを帯びている。女性的な美しさだなと思った。バ走らせるとき、まだ降りている人たちがいた。明後日までさようなら。
 一方通行の坂を登る。岡田日の出は間は、名前のように「朝陽」が登り始めていた。まさに日の出の瞬間である。

camp場への通り道

 赤ポシェがコンテナから出てくる間、しばらく船の乗客を見ていた。眠たそうな目をこすりながら、デッキから大島の景色を楽しんでいるようだ。

大島到着

 日の出と共に、大島岡田港に到着した。クレーン車の向こうに、朝陽が赤く輝いている。1日のスタートの瞬間である。大島に到着した「さるびあ丸」も、心なしか赤く色づいているように見えた。

 ちょうど1時間で海からあがった。固形石けんを使い、水シャワーで体を洗った。時刻はまだ10時だった。
 まだパスタが残っていたので、茹でて、カレーと絡めて食べた。
 これからの予定を考えた。12時頃までバイクで島の中を走る。その後、チッキでバイクを預けて、「浜の湯」で気絶しよう。

 ところが、その計画が突如挫折するわけである。
 大島1周道路を北上しながら、ちらちら海を見ているとやたらと白波が立っているではないか。今日は西風が吹いているんだということを知った。元町に来て、いやな感覚は現実のものになった。出帆港は、岡田に変更になっていたのである。バイクを預ける時間を計算したら、ほとんど温泉に浸かっている時間はないではないか。
 無理をしないで、まず岡田港に行き、そこで昼食をとりながらゆっくりすることにした。

 元町にあるスーパーで、パンとアジフライを購入した。食パンにアジフライを挟み、マヨネーズをかけて公園のベンチで食べた。風が心地よかった。

 桟橋で釣りを見ていたら、すっかり暗くなってしまった。釣り竿を持ち歩いていたが、なぜかあまり釣りをしたいという気持ちは起きなかった。
 島の夜は、都会よりずっと暗がりが広がっている。夜空の星を楽しみながらゆっくりとバイクを走らせた。

 キャンプ場に戻ると、私のテントの隣にカップルがテントを張り、夕食の最中だった。せっかく離れたところにテントを張ったのに・・・・。今日は静かに寝れそうにもないかな。イヤホーンを耳に当て、音楽を聞いていたら、いつの間にか眠り込んでしまったようだ。

 時刻は3時過ぎ。今日はもう、海に入らなくてもいいかなという気持ちになった。海の次は、山ということで、三原山に向かってバイクを走らせた。

7月18日(日)

 帰りは、すっかり暗くなった道を南下することになった。夏の大島は、パトカーが赤色灯を光らせ、島内を巡回していた。毎日、3,4台のパトカーとすれ違うような感じである。
 当然スピードは意識する。間違っても時速45kmは出ないようにした。それでも、ミラーに赤色灯が輝くと緊張した。
 突然事件は起きた!! それは、間伏近くの道路であった。ほとんど街頭がない場所であった。突然、「そこのバイク、左に停まりなさい」という声が流れた。何事か?スピード違反でないことは確かだ。以前前面のライトが消えていて捕まったこともあった。
 免許証の提示を求められた後、「尾灯の赤いランプ」が付いていないことを指摘された。ブレーキランプは何でもないことから、昨日か今日ランプ切れを起こしていたわけだ。
 「点検不備」といわれたが、どうすることもできない。東京に戻りできるだけ早くランプを交換することを条件に許してもらった。
ふーーー、これでゴールド免許証が持続されたわけである。

 バイクを預けた後、よく行く店で「づけ丼」を注文した。考えてみたら、これが大島に来て初めて食べる魚である。節約優先の生活をしていたら、刺身を口にすることを忘れていた。
 
 お土産を買わなければいけないことにも気付いた。家には、辛子味噌と牛乳せんべい。そして職場の女の子には、ネーム入りの椿の実。


 時間まで、桟橋で釣りを見ていたが、全然釣れていなかった。

7月19日(月)

 たいていは2泊3日のキャンプは短く感じるが、大島はちょうど良い。テントの下側やビニールシートがぬれているので、少し乾かした。その間、荷物をせっせと片付けていくわけである。 一通り片付けが終わって考えた。最終日は半日しかないとはいえ、やはり海に入っていこう。
 一番近いトウシキ海岸を選んだ。もう1度クマノミを見てから帰りたいという気持ちもあった。
 今日は流れが強く、何もしないでも川のように体が右から左の方へ流されていく。外側の大きな岩には、波ががんがんぶつかっていた。

 山から下り、そのまま「浜の湯」に入った。そこで1時間ほど、ゆったりした。水着着用の混浴温泉だった。そこには、自転車をこぎながら登山していた女の子がいて、死にそうになった体験を一生懸命話していた。夏そんなことをしたら自殺行為だが、かわいそうで同調したふりをしていた。
 温泉は7時までなので、シャワーを浴びる人は急げという。ぎりぎりまでいるつもりだったが、早めに温泉を出た。
 今日も夕暮れが見事だった。富士山もしっかり見えた。きれいな夕日をとりたくて、サイクリングロードを、夕日と競走しながら走った。

 ほとんどブレーキを握りながらの下山になった。カーブを1つ曲がるたびに、海の位置が低くなっていった。

 展望台広場に登って山頂を仰ぎ見ると、おもぐるしい黒い雲が上を覆っていた。これでは山頂に登っても何も見えないし、最悪霧や雨で体がびしょ濡れになってしまうだろう。すぐに断念した。先ほどはレインボーラインというものを登ってきたが、帰りは別の御神火ラインを下ることにした。

岡田・日の出浜ではたくさんの人たちが海を楽しんでいた。

野田浜の東屋で持参したコンロで食事し、少し海でシュノーケリング。

弘法浜では、結局泳がなかった。海に入っている人も多くはなかった。

野増にある王の浜は、やや波が高かったが、イシダイがたくさんいた。

今回はしっかりカッパ沼を見つめ、カッパ沼の伝説をゆっくり読んで知った。

地層はしっかり目に焼き付けた。

 朝一番でトウシキ海岸に行った。昨日は夕方、ちょっこと海に入ったばかりなので、朝の海の様子も知りたいと思った。
 朝1番で入ったので、私が最初だったようだ。誰も人がいない。注意しながら、そっと海に入った。

 海の中ですごい発見があった。予想外の魚がいたのである。それは、昨年奄美大島でたくさん見た「クマノミ」であった。東京からこんな近い海に、しかもほとんど足下といえる岩場にサンゴイソギンチャクが生息していて、その中にクマノミが2匹しっかりその姿を見ることができたのである。
 改まって水中で使えるカメラを持ってこなかったことを残念に思った。

 朝食は昨夜買ったパンをほおばりながら、ヨーロッパ人の感覚を楽しんだ。

 静かな夜を過ごせた。団体客も下の浜辺でたき火を楽しんだのか、声も姿も見えなかった。
 今回もまた見つけてしまった。ノコギリクワガタの雄。
 足の上にのせて遊ばせながら、

 完全に暗くなるまで、元町の桟橋にいた。空がある時間を境に、赤く染まっていった。
 静かな静かな、それでいてゆったりした時間が流れていった。釣り竿も持ってきたが、すでに釣りをする気持ちはなくなっていた。

 空気がとてもきれいに澄んでいるのだろう。富士山がくっきりと見えた。富士山が見えたことがうれしく、何枚も写真を撮ってしまった。
 浜の湯が営業している時間は、予想外に短かった。途中で写真を撮り元町に着いた頃はもうすっかり暗くなっていた。浜の湯の入館時間も過ぎていた。客は誰もいなかった。
 そこで、元町港の桟橋まで行ってみることにした。空が少しずつ赤く輝き始めているのを知ったからだ。

 水中の写真はないが、海の中はなかなかおもしろいものであった。ただ、予想外に潮の流れは強く、引きも強かった。
 テーブルサンゴの小さなものがいくつか見られた。また、ニシキベラが多かったが、魚影もそれほど薄くはない。

 ここはたき火が許されているのだろうか?井形にファイヤーがすぐできるように組み立てられていた。奥川はがけの下なので、うまく風を扱うことができれば、下地も火山灰なので安心して「火の世界」を楽しむことができるだろう。

 今年は秋の浜に来ることが楽しみだった。というのは、夏の東海汽船の大型ポスターの写真がここだったからである。何年か前から、ここ秋の浜はダイビングスポットとして、大島来島者からは注目されている場所だからである。
 そこに、写真のような、木製の飛び込み台ができた。水面までの高さは、5mであろう。
 見ている前で、何人かの人たちが元気よく飛び込んでいった。

 夕食の後は、元町に行き、「浜の湯」につかりながら夕焼けを楽しもうと思った。
 キャンプ場は、大学のOBを中心としたグループがたくさん集まり、夕食の献立にいそしんでいた。よくしゃべる女性のリーダーが、みんなにいろいろ指示を出していた。それらを見ながら、自分の荷物をテントにしまいバイクを走らせた。
 目指すは、元町の浜の湯。

 バイクで走っているうちに、左側の海の中に不思議な光景を見つけた。どこかで見たことがある「山の形」だった。美しい山の稜線だった。

 バイクでキャンプ場に帰る途中、「クダッチ」という言葉に目が留まった。何語だろう。なんて意味なんだろうと悩んでしまった。しかし、近くのバス停を見て、それが日本語であることを即座に理解した。なんと、「下地」という漢字を、「クダッチ」と読むのである。

 愛車「赤ポシェ」も、その景色に染まっていた。ここで、水分補給を済ませ、先を進むことにした。

 大島南側。
 今回は、文学散歩道のいくつかの歌碑を写真に収め、その歌を口ずさんでみた。オタワジュリナの十字架が、大島の空にひときわはえていた。そして波の浸食によってもたらされたであろう奇岩が、2年前とは少しずつ形や大きさを変えながら点在していた。ハマカンゾウの花がたくさん咲き誇っていた。
 筆島周辺から波浮港までバイクを進めた波浮港を見下ろす丘には、秋広平六翁のおもしろい像が建っていた。波浮港の景色は、今日もきれいだった。たくさんの船が係留され、またヨットが往来していた。
 

 泉津の椿トンネルを越えた。所々にきれいな鼻が目に付いた。「海のふるさと村」という表示に引っ張られるように、ふるさと村に誘導されていった。吊り橋があり、そこを渡った。ここのキャンプ場でも停まろうかと、一瞬考えた。

 野田浜に入った。ハマユウの花が、きれいに咲きほこっていた。ハマユウが、とても元気に咲いていた。柵越しに、青い海が広がっていた。

 急激に時間の流れが遅く感じ始めた。
 いつも島旅に出発するとき感じるのと同じものだ。
 

行きは特2等なので6110円。帰りは4110円。赤い部分が乗船名簿で、名前や連絡先を記入する。

 今回は前回の反省を生かして、五日市街道をずんずん進むことをやめた。1車線しかなくて、渋滞になると進まなくなるからだ。そのため、新青梅街道を新小金井街道との交差点まで進んだ。
 そこから右折して、五日市街道に合流した。後は、井の頭街道で吉祥寺経由の表参道まで進む。
さらに、都心の道を東京タワーをターゲットにしながら、一路竹芝桟橋に向かう。
 夕食は、M屋のチェーン店で牛カレーを食べた。
 東京タワーの真下に来ると、ようやく安心した。

 いやでも旅情がこみ上げてくる。

 7月16日。明日から夏の3連休が始まるという日。
 その日は仕事の終わる17時が待ち遠しかった。午後だけでも休暇を取りたかったが、それができなかったので、いつもの赤ポシェに荷物を積み込み、朝仕事に出かけた。

 17時の時報と共に、いよいよ出発。
 空を見上げたら、少し天気がいやな雰囲気。やや黒っぽい雲が出てきて、真ん中だけ青空がある。雲のドーナツができている。でも、大丈夫だ!!ろう・・・・・

「ヒャッホーーー」 
 アクセルをふかして、バイクで走り出す。青梅市を越え、瑞穂町に入る。信号待ちをしながら、持参した荷物を頭の中で確認する。その時、シュラフを入れ忘れたことに気づいた。どうしよう。でも、帰っている時間はない。夏だから大丈夫かなと思いつつ、もしもの時に備えて、ツーリング用の薄いものを購入した。1980円だった。それでも痛い出費であった。

2010年7月大島キャンプ

 御神火温泉の手前を左折し、サイクリングロードの沿って走る。左手に青い海、右は豊かな緑。そこを心地よい風がながれていく。いやでも、心が高鳴る。

秋の浜に到着
7月17日(土)
テント撤収

 夏休み直前の3連休、大島に行くことにした。まだ、正式には気象庁から梅雨明け宣言がされていないが、天気図を見ても、週間天気を見てもしばらく好天が期待できそうなので、迷いはなかった。

 今回も船の予約で苦労した。5月16日。2ヶ月前の同日電話したが、ほぼ瞬殺の状態であった。9時30分から電話をかけ続け、どうにか通じたのは10時30分過ぎ。「2等席なし券しかありません」という、つれない返事だった。とりあえず往復の予約を入れた。こうしないと、バイクを貨物課に依頼できないからである。バイクの手続きも行った。後は、随時東海汽船の予約課に電話を入れ、キャンセル待ちを確認するだけであった。

 どうにか何度目かの電話で、特2等が1席あいたというので、予約を入れることができた。これで一安心である。というのも、GWの初日、夏の3連休、そしてお盆前後の金曜日は、混雑の特異日である。もし予約が取れていなければ、通路やデッキもましな場所もとれないことになる。

 今回の目的地は、大島の「トウシキキャンプ場」。そこで2泊3日の予定だ。

 大島を定刻に出たさるびあ丸は、無事竹芝桟橋に到着した。帰宅途中の夕焼けはきれいだった。

風見鶏が屋根に乗っているモダンな建物と、新島を模倣したモヤイの像が見えた。

Good-by 大島
夕暮れ
三原山に登ろう!!

細かい道を走っていたら、大島空港に出てしまった。

サイクリングロードを北上し、万立て方面を進む。

砂の浜はそのまま通過。

早朝のキャンプ場
パトカーに止められた
夕焼けに浮かぶ富士山
トウシキに戻る
岡田港からさらに北上する
野田浜へあいさつ

 今日は、特2等。2段ベッドなので、下側だとうれしいな。
 結果的には、その願いが叶わなかったが、とりあえず、ぐっすりと眠ることはできた。

 まずバイクを貨物課に預けた。午後9時までに預けるという足きせがあるので、今回は時間との勝負であった。
 バイクを合い札扱いで預けると、続いて乗船券購入に走る。私は東海汽船の株主なので、25%オフで購入できた。
 船が出帆するまであと2時間。少しスナック菓子を購入し、待合所の3階で夜風を浴びながら、食べる。船のあかりがきれいだった。レインボーブリッジの灯火もよく見えた。

 

7月16日(金)
出発の時
竹芝桟橋までの道程