ゼミの学生が去り、午後3時頃になって、ようやく雨が上がった。目の前の大久保浜は、かなり大きな波が打ち寄せている。それに海水も濁っていた。海に入るのはしんどそうだったので、島内をツーリングすることにした。

 テントがなくなった芝生には、大量の水がたまっていた。これなら浸水するだろうなと思った。夏なのに少し寒かった。
 F山君と、別れ際に写真を撮った。八丈島でも同じところでキャンプを張っていたので、愛着が生まれていた。
 名前を失念したが、背の高いV君(仮称)とも写真を撮った。
 彼らとは、近いうちに伊豆諸島のどこかでまた会えるだろう。そんな確信があった。

 朝になっても、ずっと雨が降っていた。どこにも行けず、炊事場の屋根あるところで、じっとしていた。水だらけのテントの中には、今ひとつ入る気はしなかった。雨が上がれば、すぐにテントをほそうと思っていた。
 東大のゼミの学生たちは、今日帰ることになっていた。かわいそうに、大雨の中撤収作業をしていた。あるテントの中は、5cm程の水がたまっていたようだった。

東大のゼミの方々とのお別れ
復活の三宅島に上陸
大久保浜

 7月29日。八丈島底土浜のキャンプ場を撤退することになった。八丈島では5泊、テントの中で宿泊した。
 29日は、バイクを船に乗せる関係で、東海汽船に9時までに到着してほしいといわれた。テント撤収は2時間ほどかかってしまった。去りがたく、炊事場などで顔見知りのキャンパーと会話をしていたら、ずっと遅くなってしまった。
 貨物課でバイクを預け、乗船券を購入した。今回、この後やることは1つ。携帯電話の充電である。待合所で、ゆっくりしながら充電に取りかかった。

サタドー灯台の真下を見た。

おもしろい実の付き方がする植物

三宅島の島役所跡。

観光協会の土屋さんは私のことを覚えていてくれ、帰り際に声をかけてくれた。記念に一緒に写真に収まった。バイクをコンテナに入れる人も親切だった。
「来年もまた三宅島へ来いよ!」
私は力強く、無意識に頷いていた。

御蔵島

さようなら、三宅島。
今回は民宿「うみくら」をたずね、奇跡的に淑子姉と再会することができた。エビネ丸船長の奥さんで、家内と結婚直後お世話になった方だ。体をこわし、民宿は休んでいると言うことである。
大きく変わってしまった三宅島と、変わっていない三宅島。
20年ぶりの再来島なので、いろいろなものを見つめそして考えた。

多くのすてきな旅人達と出会えたことも、楽しい島旅であった。

カメリア丸は三池港に入港した。紙テープが舞う中乗船した。

「水色ポシェ」も三宅島の噴火の跡をしっかり見た。三七山周辺で写す。

三池キャンプ場の再会は、かなり先だと言うことを痛感した。10年後はどうなっているのだろう?

三宅島の噴火はまだ終焉を迎えていないことに、改めて考えさせられた

こんな看板を見ると、漁業関係者の生活が見えてくる。クボガイって何だろう?

 今回はランチ1000円で食べられ、ほっとした。三宅島最後の食事は地魚丼

 さよなら、大久保浜。
 よく考えてみたら、ほとんどここで泳がなかったなあ。この真ん前のキャンプ場にいたのに・・・
 最終日になってようやく海の状態もよくなった。
 無理すれば泳ぐ時間を作れたが、今回は無理をしなかった。
 串カツなどをごちそうになった、H高さん達に果物を買った。本当はパッションフルーツを買うつもりだったが、皮が固く当分食べ頃ではないといわれ、桃にしてしまった。パッションの方が良かったかなと少し後悔した。
 最後にあいさつしたとき、またすぐに会えそうな気がした。来年の7月もどこかでキャンプしていると言っていたので、来年、またお会いできたらと思う。お世話になりました。

 八丈島の底土キャンプ場で、ある男性に出会った。年齢は不詳である。
 夕食の支度をしているとき、何気ない会話から、彼が昆虫採集をしている人だと知った。専門はカミキリムシで、八丈島に生息するあるカミキリの亜種を探しに来ているという。「余り大きな声で言えないけど、虫拾いに来ている」と言っていた。私も学生時代から、昆虫を追いかけ回しているので、親しみをもった。夜も、電灯を持って外灯を中心に探し回っていた。
 そのT野さんが、2日遅れで三宅島にやってきたのは31日だった。だがこの日は、すぐに昆虫採集に出かけてしまい、深夜に帰ってきたので話ができなかった。
 8月1日、私がテントを撤収していると、彼も「予定していたものが採集できたので、今日帰る」と言った。片付けながら、ゆっくり話をすることができた。昆虫採集をしながら研究している人に悪い人はいない。彼も、純粋な心を持ちながら成長した人だと思った。
 キャンプをしているのは、宿泊費を浮かすためだという。船の中でも、1時間ほど話ができよかった。またどこかでお会いしたいものだ。

8月1日
昆虫学者T野さん

桟橋の先端から770発の花火が打ち上げられた。数えていたら5発不発弾があった。

阿波踊りあり、獅子舞ありと、おもしろい催しだった。プロの芸人の参加もあった。アロハは八丈島の応援

マリンスコーレ21フェイスティバル

7月31日夜は、三宅島のお祭りだった。特に今年は帰島5周年記念と相まって盛大な開催だったようである。会場は錆が浜で、花火大会もあると聞いた。早めに夕食を食べ、バイクで出かけた。いいにおいに誘われ、何か食べたくなった。ムロアジで作った「ムロッケ」というものが気になり食べた。ゴボウの食感がよく、おいしかった。

立派な遊歩道ができていたが、校舎には立ち入り禁止の看板があった

S58年の噴火によって破壊された旧阿古小学校&阿古中学校。今は自然博物館。

噴火によって飛んできた噴石だろうか。キャベツのように岩が割れて見える。

東側に広がる坪田地区は、枯れ木の中にようやく緑が出てきた。

坪田地区にある椎取神社。シイの木の覆われていた以前の鳥居や本殿は溶岩に埋もれ、その隣に新しい鳥居や本殿が造られた。

土石流や火山ガスによって疲弊した家屋。噴火のすさまじさが伝わってくる。

昭和37年の噴火でできた三七山は、未だに黒い溶岩を残していた。

 三宅島は、ほぼ20年ごとに噴火を繰り返している。昭和37年、58年、そして新しいところでは平成12年(2000年)に噴火した。その2000年の噴火は三宅島の人たちに大きな傷跡を残した。全員避難を余儀なくされ、帰島した今でも噴煙は続いている。三宅島を訪問するには、ガスマスクを持参しなければならない。実際、坪田地区をバイクで走っていると、独特の硫黄の臭いがした。緑の再生が始まったとはいえ、まだ枯れ木がたくさん目に付いた。

新鼻新山では、TVの撮影が行われていた

風に揺れるハマカンゾウとサタドー灯台。

 昨日とは打って変わってよい天気。しかし、テントの中はまだしめった感じがした。アルミのマットをとってびっくり、水たまりが少しあった。あわててタオルで拭いて絞る。マットとシュラフを干した。
 朝食を食べ、水着に着替えた。まだ、三宅島に着てから泳いでないので、眼下に広がる大久保浜を泳ぐことにした。しかし、波はまだ高い。夏の海の波ではない。波に揺られるようにしてシュノーケルを始めたが、10分ほどでやめた。生物が見えないことと、波酔いしたような感じになったからだ。
 よく見たら、黄色い旗が立っていた。「波高し、注意して遊泳すべし」そんな意志表示の旗である。
 シャワーを浴びて、島内を散策することにした。今回は少し、噴火の爪痕もカメラに納めたいと思った。まずは、普通の観光地としての風景である。キャンプ場のある神着から、時計回りで坪田の方へ回った。

串に刺されていたのは、牛肉、鶏肉、豚肉、メジナ(魚)、オクラ、ジャガイモ、エビ、・・・等10種類ほどであった。
HさんとCせさん、本当にごちそうさまでした。さらに、デザートとして三宅島産のウリまで頂いてしまいました。この場を借りて、お礼を言わせて頂きます。

片方が崩れたメガネ岩

新鼻新山の遠景

滝か?

懐かしの坪田港

元・三池キャンプ場(立ち入り禁止)

泥が流れ込むくらい降った大雨

朝昼兼用のツナパスタ

砂浜に流れ着いた流木

7月30日

災害時の避難場所。宿泊施設やペリポートがあった。キャンプ時の避難場所でもある。

阿古から伊ヶ谷を経て伊豆に行く。四角い伊豆岬灯台と周辺の海。

新鼻新山の頂上まで登って下を見た。岩がぼろぼろ落ちていて、海は白い波に覆われていた。

まだ閉鎖されたままの錆が浜キャンプ場。ここで昼食をとったが、早く解放してほしい。

三七山展望台。いつしか名跡になっていた

キャンプ場近くからもこの青い橋が見えた

串カツのごちそう

夕景浜の一角から夕焼けを見つめた。赤く美しい夕焼けだった。明日は晴れるだろう。
夕焼けを見ていたら、動けなくなってしまった。あまりにも赤い輝きが美しすぎたから。
 辺り一面が暗くなりかけた頃、「故郷味覚館」という温泉の前の店に入って夕食をとることにした。もちろん、「地魚づけ丼」
おいしく満足したが、お金を払うところでびっくり仰天。ランチは1000円だが、夕食は1365円ということ。
 今回の島旅で、最も高い食事代になってしまった。この値段なら、2度目はないかなと思った。
 「故郷の湯」にはいって帰ることにした。
 露天風呂で、観光協会の土屋さん?と会い、島の観光について会話が弾んだ。一生懸命取り組んでいる情熱が伝わってきた。

 帰りは阿古から伊ヶ谷を通って神着に・・・。三宅島を時計でたとえると、9時から12時の方角に、島を約4分の1周した。久しぶりのくねくね道だったが、それ以上に、道が暗くて怖さを感じた。何かが出てきそうで、本当に怖かった。予想外に外灯がなく、道もくねくねしていた。

富賀神社の鳥居

海を見下ろす富賀神社の鳥居とその下の海(今日はみんな赤旗-遊泳禁止)

三宅島に野鳥が多い理由を聞いた

長太郎池周辺

三宅島空港(欠航多し)

東海汽船三池港待合所

近くの岩場は白波

N先生は帰ってH先生は残った

キャンプ場のテーブルに置き忘れられた貝

大久保浜の光景
7月29日

 東大の学生を引率しているH高先生からの好意で、一緒に夕食をごちそうになることになった。カレーとお好み焼きだった。私も事前にその話を聞いていたので、お礼としてアシタバの天ぷらを作ることにした。そのため、天ぷら粉を購入しに行き、帰りアシタバを採集してきた。東大の先生と学生と私を入れて13人。80個以上の天ぷらを揚げた。最初は香りの良いごま油を使っていたが、ごま油がなくなり、途中からサラダ油になってしまった。あげでがあった。一人では大変だったので、八丈島で知り合ったF山さんもこのメンバーだったということを知り、手伝ってもらった。
 食事のカレーやお好み焼きをほおばりながら、N崎先生やH高先生と楽しい話をすることができた。いつもは同じ職業の人との会話が中心になるので、こうしたキャンプ場での話はとても楽しいものであった。

 キャンプ場は思ったより小さかった。八丈島は100張り以上はれる広さがあったが、この大久保浜はせいぜい10張りがいいところか。その大久保キャンプ場だが、満杯でほとんどテントを張れる場所がなかったことである。後で、東大教育学部の研修合宿があったということを知った。
 バイクをおいて、奥の方に行くと4,5人の人がベンチに座っていた。挨拶を交わし、少し話をしていると、そこにいた女性がコーヒーを入れてくれた。驚きと同時に、うれしさがあふれていた。その後、飴ももらった。
 テントを張れる場所は一番奥か入り口の2つしかスペースがなかった。トイレに近い方がいいかなということで、入り口近くを選んだ。まだ雨が降りしきっていたので、屋根のあるところでテントを組み立てた。その後ブルーシートを敷き、その上にテントを張った。続いて、もう1つのシートをテントの上にかぶせた。以前神津島で台風の時苦労したので、少しでも雨がしみこまないように学習したわけである。

雨中の三宅島到着

 三宅島に下船する人は、赤ちゃんも入れ8人だった。雨具をバイクに入れたまま預けてしまったので、船の待合所まで走った。ここでバイクを引き取るからだ。
 ところが、観光協会がない。掃除をしている人に聞いたら、パトカーの隣のワゴンカーがそうだという。
 仕方ないので、雨の中をまた走って戻る。どうにか、キャンプの申し込みができた。
 今日は、もう何もすることができない。朝9時50分に出たカメリア丸も、三宅島着は14時30分。
 バイクを引き取るまで30分ほどかかってしまった。それでも、三宅島の人と話をすることができて良かった。
 昔の三宅島を知っていたので、この三池港もかなりきれいになったなと思った。

 2等和室をとっていたので船室に入った。めちゃくちゃ寒い。私の入った一角は私だけ。とりあえず貸し毛布でくるまり、少し横になったら、2時間ほど寝てしまった。今朝は5時頃から片付けをしていたので、疲れたらしい。
 御蔵島に近づいたところで起きた。船はかなり動揺している。「御蔵島は条件付き・・」とアナウンスしていた。デッキに出ると、雨の中をたくさんの人が並んでいた。これで御蔵島に接岸できなかったらたいへんだなと心配しながら、御蔵からの乗船客を見ていた。
 それにしても、海の荒れ方は尋常ではない。
 2等和室は寒いので、毛布を持って階段横に移動した。
 船員に聞いたら、「三宅島も天気が悪い」といわれた。

 今回、写真の二人も三宅島に行くはずだった彼らは、御蔵島→青ヶ島→八丈島→三宅島と、八丈航路に関する島を1泊ずつ全島回る予定だという。ところが、今日の午後から急激に天気が悪化し、明日は荒天らしい。そのため、三宅島はパスして東京に帰るという。
 隣のテントのK藤さんが見送りに来てくれた。

7月29日、午後雨の予報

 20年ぶりの三宅島上陸であった。
 かつては、年間20泊以上訪れた三宅島だが、最近はずっとご無沙汰していた。
 今回の島旅で三宅島に訪れることは、大きな夢であった。2000年の噴火以来、ずっと三宅島のことを気にしていた。一時避難していた人たちも、三宅島に帰島してから5年。しかし、HP等で情報を見ても、ガスマスク着用が義務づけられているとか、坪田地区は車で通過するだけとか、なかなか三宅島に来にくい状態だった。
 ところが昨年、三宅島北部の大久保浜でキャンプが再開されたことを知り、それから、ずっと計画を練っていた。今回八丈島とセットで、三宅島に上陸する夢が叶ったわけである。

Good-by MIYAKEJIMA

道路沿いのちょっとした空き地のこんな気の利いたオブジェが・・・

三宅島の見納め

 抽選会があった。アンケートに答え、クイズに答えることがその条件だった。希望していた東海汽船の往復チケットはだめだったが、首飾り見たいのが当たった。ラッキー!!!

少し山に登ると激しく砕かれた木があった。そこから見えた新鼻新山。

噴火の傷跡

錆が浜海水浴場は赤旗であった

島内ツーリング2
7月31日

 キャンプ場に戻った。今夜は、HさんとCせさんと私の3人だった。このまま眠る予定だったが、Hさん達が串カツの食事を始めるところで、私もごちそうになってしまった。衣からソースまで、さらに天ぷら油の温度までこだわるほどおいしいものであった。キャンプ場では、まず食べられない食事に驚きと感動を持った。

三宅島ツーリング

 夜、かなりの量の雨が降った。深夜2時であった。寝返りを打ったとき、背中が冷たくて目が覚めた。なんと、枕にしていた鞄の所から雨がしみこんできていた。衣類も食料も水浸しになってしまった。持参した2枚のタオルでしきりに雨水をすくい、それをテントの外で絞った。
 その後横になったが、3時、4時と同じようなことをした。結局あまり眠れない夜を過ごした。

大久保キャンプ場に行く

荘厳な雰囲気が漂う御笏神社

サタドー灯台の近くの断崖絶壁の壁

土石流の後はこんな立派な工事が・・・

穏やかな写真がよく載る長太郎池だが・・・