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>>>花
-- 05/11/22-00:27..No.[883] |
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その日の空は、吐いた息が空を覆ってしまったかのように真っ白だった。広場の噴水の水盤にリラは一人腰掛け、ぼんやりと遠くから聞こえる神殿の鐘の音を聞いていた。 「こんにちは、リラ」 声のしたほうに首を向けると、すみれ色と若草色が交じり合ったようなショールを羽織ったカリンが、ほおをばら色に染めて立っていた。その小脇には何か小さな袋を抱えている。 「久しぶりだね、カリン」 「ええ。今日は、お仕事はお休みなんですか」 「うん。稽古に行こうと思ったのだけど、こんな天気だし、噴水も止まってるし、なんだかやる気になれなくて」 「冬は噴水が凍ってしまうんですよ」 お隣よろしいですか。そう尋ねて、カリンはリラのとなりに腰掛けた。 「今日は雪が降りそうですね」 「カリン、わかるの?」 「ええ。私、すこしだけ精霊の声が聞こえるんです。今日はとびきり冷え込むぞって、向こうの植え込みの葉っぱが言い合っています」 「すごいね。そんな力あるんだ」 「……私にも、なぜ聞こえるのかわからないんです。私、おばあさまに拾われる前のことを、何一つ覚えていなくて」 「そう。わたしも似たようなものだよ」 カリンはさびしそうにほほ笑んだ。午後の広場は遊んでいる子供もまばらで、人影は見当たらなかった。冬の日没は早い。じきに辺りが薄暗くなってくるだろう。 「焼き栗食べますか? ちょうど屋台のおじさまから分けていただいたところなんです」 わら半紙をのりづけしただけの素朴な袋をカリンは開け、リラの前に差し出した。リラが手を入れると、その中はまだ暖かかった。栗は殻が割れていて、割れ目からすこし焦げた黄色い実がのぞいている。おやゆびの爪を引っ掛けて殻を割ると、荷馬車の車輪が回る音に混じって、ぱきり、と乾いた音が混じった。 口に放り込むと、ルーに以前食べさせてもらった砂糖漬けよりも固くてぼそぼそしていたが、ほのかに甘くて香ばしかった。 「なんだか、ずっと食べていたいね」 「そうですね」 殻を割る音が白い空に途切れ途切れに響く。栗は何度も咀嚼しなければならないため、袋が空になるまで時間がかかった。 「リラはいつまでコロナに?」 「たぶん、春まで」 「そうですか。次はどの街に行くか、決めてありますか」 「ぜんぜん。こういう時、風だったらいいのにね。かってに吹いてどこかへ行けるし、吹いたらきれいに消えちゃうし」 「リラ」 「そんな悲しそうな顔しないで。だいじょうぶだよ。この手も足も、消えたりなくなったりしないんだから」 「……何か、思い出されたのですか」 「ううん。でも、自分が何者なのかは、わかりかけてきた」 「そうですか。それでは、私と似ていますね」 「そうなの」 「ええ。精霊の声のほかにも、自分の内に呼びかける声が聞こえるんです。私はそれを小さな頃からずっと聞いていたのに、誰の声だろうと知りたくなったのは、ついこの間のことなんです」 二人は黙って空を見上げていた。雲のせいか、空はいつもよりずっと低く、屋根の煙突にかかりそうだった。雲の厚みで空の動きもよくわからない。 冷たい風が吹いて、リラの若草色のケープのはじをめくりあげた。カリンが自分のショールを留めているブローチを押さえた。雨ざらしになったどこかの酒場のビラが、石畳の上を吹かれて飛んでいく。 「これから、どうなるんだろうね」 「わかりません。何を知って、どこへ行くのか……私、自分の過去も未来も、占ったことはないんです」 「それがいいよ」 リラはそれだけ答えた。そして立ち上がった。乾いた空気にくちびるがかさかさになってしまった。 「じゃあね、カリン。春までに、またどこかに遊びにいこうね」 「ええ。あ、待ってください」 歩き出しかけたリラの背中に、カリンがなにごとか呼びかけた。 「今の、なんの言葉?」 「私の心に呼びかける言葉のひとつです。おまじないにもならないものですが……どうか、リラの心のままに」 リラはくちびるのはしをわずかに上げてほほ笑んだ。大口を開けるとかわいた皮膚が破れそうだった。リラはかるく手をふって、歩き出した。のどが痛くてたまらなかった。 ラケルの住む森からほど遠くない小さな林。冬でも葉を落とさない木々の間に、小さな泉がわいていた。 「やっぱり、誰もいない」 冬の間、かえるもうさぎもそれぞれの巣にこもってしまう。周りに雑草がほうぼうに伸びた泉は、風のない冬の午後、リラの姿と林の茂りをうつす鏡のようだった。 リラは泉のすぐそばに腰を下ろした。手で足元の草をかき回す。 「さすがに、冬はなにも咲かないんだ」 青いツユクサ、きんぽうげの黄色、しろつめ草の白。かえるだった頃のリラがせいくらべをして遊んでいた花たちは、真冬の今はどこにもなかった。リラは冬の泉を見るのははじめてだった。冬になると、ほかのかえるたちがそうするように穴にもぐって、枯れ葉をふとんにして眠っていた。別段眠たいわけではなかったが、周り中の生き物がいなくなった池で、ひとりぼっちで暮らしたくなかった。 「……こんなところ、いい思い出なんかないのに」 水鏡にうつる自分のすがたをみれば、長い髪の娘がいる。一年前には一人ぼっちのかえるだった。 (その前は) そこまで考えて、リラは泉に小石をつかんで投げ入れた。水面がゆらぎ、波紋が少女の姿をただのぐにゃぐにゃした影に変える。 「わたしは誰」 小声でそうつぶやいてみる。答えたのは冷たい風と木の葉がゆれる音だった。視界がぼやけて、まばたきをするたびにひざの上に大粒の雫がこぼれおちる。 誰にも知られないで泣く場所といえば、リラはこの泉しか知らなかった。コロナの街も、冒険者宿の角部屋も、涙をこぼすにはいとおしすぎる場所だった。 ジェイヴァとエレナ。毒の湖。愛する人をなくしたリュウベン。エレナを慕っていたリン。村を追い出されたアトランティーナの人々。いなくなった竜の子供。 (心のままに) 「……わたしの心、風になってしまえたらいいのに」 カリンのとなえた文句が脳裏にこだまして、リラは何度も手首で目頭をこすった。 ○●○●こころのゆくえ●○●○ こんにちは、花です。またもや『Echo〜』を読んでいないとわからん話&どシリアス……ですが、正体にうすうす感づき始めた主人公の悩みは、話として王道と承知しつつも書かずにはいられませんでした。こころのゆくえはさておき、とりあえず彼女は風になれないようです。吹かれに吹かれてどうなるのでしょう。 話は変りますが、コロナにも焼き栗出してみました。石焼イモみたくただの栗を焼いただけですが、紙袋にいっぱい入れてもらえると、真冬の小さな幸せです。 長々とすみません。めっぽう暗い展開ですが、ご感想お寄せいただければうれしいです。 |
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