かえる投稿図書館


『アザラン』

 >>>   -- 06/01/16-01:41..No.[894]  
     ぼくのベッドは壊れた真鍮のオルゴール。表面にはガラス玉の宝石がごてごてくっついていて、ちょっとぼくの趣味じゃないけど、ふたを開ければ真っ青のビロードが張ってある。おまけにふたの内側には鏡もついてて気が利いている。何より、ルームメイトがぬってくれた枕と毛布と敷布団には、抜け落ちた鳥の羽と乾燥ハーブが入っていて安眠効果は抜群なのだ。だから、ちょっと寝すぎてしまう。
 雪のたくさん積もった朝も、やっぱりぼくは寝坊した。西向きの窓は曇って真っ白だ。出窓の枠にあるベッドから起きあがったころには、リラはすでに支度を済ませていた。襟ぐりの広い黒のモヘアのセーターに、黒の細畝のズボン姿。素材の質感が違うくらいで、黒一色のすがたは細身でやわらかい身体の線をひかえめに、でもきれいに見せている。ピンクの長い髪は後ろでひとつにまとめて、目の色と同じ深い青の髪留めをさしている。
 深いグレーのオーバーを羽織り、前に一列に並んだボタンを留めていたリラは、ふいにぼくの視線に気がついたみたいだ。わずかに目を細めて、おはよう、と笑った。
「リラ、出かけるケロ?」
「うん、夕方までには帰ってくるから、お昼ご飯はそこのサンドイッチね」
 からし色のベッドカバーをかけたベッドの脇にある木製の丸テーブルには、階下の酒場で手早く作ってきたのだろう、厚めの輪切りにしたパンにチーズとハムとレタスをはさんだサンドイッチが三切れ、お盆に載せて置いてあり、ぼくと背比べをすればいい勝負くらいの大きさのガラスポットに尾入った薬湯が冷たい部屋の空気の中で湯気を出している。
「リラ、またルーのところに行くケロ」
「え? ええ、そうよ」
 やっぱり。ルーは、ずっと前にリラの友達がこの部屋に泊まりに来たとき、とびっきりいい匂いのお料理を作ってきた女の子だ。先週、やっぱりルーのところに行って帰ってきたリラは、お土産に、端っこが焦げたクッキーとか、ふくらみきらなかったカップケーキをくれた。そのどれもがチョコレートを使っていた。ここまでくれば、ぼくにだってわかる。
「じゃ、いってくるね。かえるくん」
「リラ。ぼく、砂糖ごろものかかったやつが好きだケロ。あ、それと上にのっける銀のツブツブも忘れないでほしいケロ」
「はいはい。ストーブの火、そのうち消えるだろうけど気をつけてね」
 苦笑しながら、リラはブーツのかかとを床にとんとん、とつけて具合をたしかめ、ドアを開けて出て行った。
「……うれしいケロ」
 ドアが閉まって足音が遠ざかると、ぼくは毛布をはねのけ、真鍮の壁を乗り越えて、窓のガラスをこすった。冬は毎朝、窓の窓をこさえないと外が見えない。
 表の路地を見下ろすと、分厚い上着を着込んで、帽子やマフラーでほとんど肌を見せないひとたちが、背中を丸めてシャベルの親玉みたいなやつで雪かきをしている。積もった雪は細い路地の両脇に山を作り、石畳は雨のあとみたいに濡れて、朝の陽射しにきらきら光っている。
「世界が輝いて見えるケロ」
 ぼくははりきってリラの作ってくれた毛糸を三つ編みにしたマフラーを巻いて、オルゴールの鏡で結び目が崩れていないか確かめた。
「リラがぼくのためにお菓子を作ってくれるなんて……今日はかえる最高の日だケロ」
 長らくコロナで暮らしているせいで、ぼくは人間のお祭りに多少は詳しくなった。女の子が大切なひとにお菓子をあげる慣わしだって知ってる。
 リラのベッドの上に飛び降りると、やわらかいカバーはまた飛び跳ねる力を吸い込むようにぼくの両足を受け止めてへこんだ。
 シェスナから帰ってきて、リラは今まで以上に仕事をするし、休みの日も誰かと一緒に遊びに行ってしまうし、昼間一人で過ごすことの多かったぼくには、やっぱりうれしかった。リラが来る前、ねずみや鉢植えに向かってコンサートをしていた頃のぼくには想像もできなかっただろう。寂しい時間も待つ楽しみがあれば快適だ。
「あれ?」
 ぼくはそのとき、やせた枯れ木のような外套かけに残っている手袋に目をとめた。手首のところを白い毛糸でまつり縫いしてある若草色の毛糸のてぶくろ。リラのお気に入りのはずだ。
「忘れたケロ……?」
 ぼくは真鍮のオルゴールがある出窓を見上げた。白く曇っている表は晴れている。でも、真冬の陽は沈むのも早い。暗くなれば、空気は肌を切り裂かれるくらい冷えきってしまう。
「まだ間に合うケロ」
 ベッドからラグマットに飛び降り、ぼくは三跳びで外套かけにたどり着き、若草色の手袋に向かって高く跳んだ。


 それからはけっこう大変だった。ぼくの身長くらいある手袋をどうやって運ぼうか迷ったあげく、一方を丸めてもう片方に押し込み、さらにコートの変わりにぼくは頭からそれをかぶった。ちょっときゅうくつだけど、寒いから仕方ない。
 壁にあいたねずみの抜け道を通って一階に降り、裏木戸から外に出る。毛糸の網目から入ってくる陽射しがまぶしい上に、石畳が痛いほど冷たくて、一歩路地に足を踏み出したぼくは思わず悲鳴をあげて飛び跳ねた。
 そのとき、突然ブーツの足音が近づいてきてぼくはあっさりつまみあげられた。手袋の指先をつままれ、思い切りゆさぶられる。ぼくはあっさり落ちた。だけど、下にあったのはかたい石畳じゃなくて、骨ばった手のひらだった。
「かえる……?」
 ゆさぶられてふらつく頭を振って、ぼくはどうにか相手を見上げた。深い藍色の髪は首筋にかかるくらい、二重のまぶたは長いまつげでふち取られ、うすいくちびるを隠すように灰色の上着のえりを立てている。
「なんだ、歩く手袋かと思ったら中身はこいつかよ」
 雲がかかったように暗くなったかと思えば、頭上から降ってきた大きな声にぼくはすくみあがった。見上げると、真っ赤な髪の毛を逆立てた男がぼくをみつめている。丸太みたいな指が伸ばされて、ぼくを小突いた。雪かきしていたんだろうか。手のひらよりあたたかかった。
「こんな時季にかえるっていうのも珍しいな。冬眠しそこねたか」
 やわらかくかすれた声を聞いて、ぼくを手のひらに乗せているやつは男だとわかった。
「どうだろ、マスターか誰か物好きが食用のかえる逃がしたんじゃねえの?」
「ケロっ!?」
 しっ、失礼な! ぼくはこうみえて三食昼寝つきのシティボーイだ。花言葉だって知ってるし、歌だって百万曲くらい歌える。ケロケロ鳴いているだけのそこらのかえるとは格がちがうんだ。 そう叫んでやりたかったけど、ぼくの声はケロケロ鳴いているかえると同じだった。
「おいマーロ、なんかこいつ、人の言葉わかるみたいだぜ。おもしれー、怒ってるぞ」
「マフラーまでしてるやつが食用なわけないだろ。まあ、動物に服着せたい趣味の飼い主から逃げてきたか、実験用が逃げてきたか」
 逃げる発想から離れろっ。そう叫んでもやっぱりぼくの声はケロケロだった。ああ、なんてもどかしいんだ。
「おい、この手袋、リラのやつじゃないか」
 赤毛の男が手袋の内側に刺繍された名前を見つけた。チャンスだ。ぼくは頭が振り切れそうなほど何度もうなずいた。よろけそうになったぼくの身体を、もう一人の男の細い指が支えた。
「今日、ルーのとこにいるんじゃねえの? 昨日昼飯食いに行ったら、リラと新作の料理作るっていってたし」
「……ふうん。じゃ、おれ行ってくるよ。アルター、お前は先に酒場行っててくれ」
 やった。ぼくは飛び跳ねた。すると若い男はぼくを不思議そうに見下ろした。
「お前も行きたいのか?」
「当たり前だケロっ」
 相変わらず言葉は伝わってないようだけど、若い男はわずかにうなずいた。だけど、その瞬間男の手がぼくをつかんで、一気に視界が暗くなった。ポケットに放り込まれたのだと気づいたのは、男が歩き出してからだ。
「うまくやれよ」
「余計なお世話だ」
 そんなやりとりが聞こえたあと、若い男は黙って歩いていた。分厚い布のズボンのポケットはごわごわしていて居心地は最悪だったけど、リラのところまで運んでくれるならそれでもいい。
「しかし、へんなかえるだな……」
 独り言のようにぽつりとつぶやかれた言葉に、ぼくはどきりとした。街の宿屋の二階の角部屋、ぼくはそこにいつでもいる。窓枠から見える街路樹と人の衣装に季節を感じて、歌を歌って暮らす。どうしてそこにいるのかぼくにもわからない。どうして冬眠しないで、暑さや寒さにいちいち伸びきったり縮こまったりするのか(リラが借りてきてくれたかえる図鑑によれば、かえるはちょっとくらいの寒さや暑さはなんてことないらしい)、サンドイッチやケーキが好きなのか。ひとのしゃべる言葉がわかるのか。
 でも、それはきっと都会暮らしが長いせいだ。リラさえいれば、ぼくは今のままで十分幸せだし、これからもリラのために歌えばいい。それだけのことだ。ケロケロと鼻歌を歌いながら、ぼくは男がリラのもとまで運んでくれるのを待っていた。
 しばらく雪かきの音を聞いていると、ふいに足音が止まった。代わりに木戸を叩く音がする。古いちょうつがいのこすれあう音に身体がぞわっとした。
「あら、どうしたの」
 声は聞き覚えがある。たぶんルーっていう子だ。リラはいるのかな。身じろぎをしてポケットから顔を出そうとしたけど、男の手がズボンの布ごしにぼくを押さえた。
「リラ、来てるか」
「ええ。ちょっと今、手が離せないけど」
「そうか。じゃあ、これ渡してくれないか」
「手袋? なんでマーロが」
 マーロ。その名前をぼくは知っていた。旅から帰ってきたリラがたまに口にする名前だ。
「ちょっとな。忘れ物だか落し物だかわからないけど」
 ……ぼくが渡したかったのに。このままポケットに押し込まれたまま、気づかれずにぼくは部屋に戻るのだろうか。けど、会話はそこで終わらなかった。
「そういえば、新作の料理って何作ってるんだ」
「あっきれた。あいつと違ってあんたはそこそこ女の子からもらってるもんだと思ってたのに」
「……ああ、料理ってそれのことか。まあ、いくつかもらったけど」
「食べたの?」
「勉強してると腹減るし」
「どうでもいい食べ方するんだから。リラの作ってるやつもそんな風に食べちゃうの?」
「ばかいえ」
「けっこう上手なのよ。ユーンにも教えてもらってたみたいだし。あ、でも知らないふりしててね。内緒だっていってたから」
「そこまで気が回らないわけじゃないさ。そういうあんただって、秘密にしておきたい奴がいるんじゃないのか」
「……秘密にするも何も、あいつのほうからくれっていってくるのよ。ばかみたい、毎年確実にお菓子もらえる日だと思ってるんだから」
 そのとき、ルーが短い悲鳴をあげた。めいっぱいの力でマーロの手をはねのけて、ぼくはポケットから飛び出た。冷たい石畳の上に降り立つと、ごみの匂いがかすかに混じっているスラムの空気に震え上がる。足の裏が冷たい。えりまきをしている首回り以外の全部が冷たい。
「どうしたの、ルー」
 リラの声。ぼくは振り向かずに一目散に跳ねて逃げた。最強にかっこ悪い自分を振り切りたくて。リラがぼくの名前を呼んだ気がした。でも、たぶん気のせいだ。そうに違いない。リラが呼びたいのはぼくなんかじゃない。


 結局、ぼくは冒険者酒場に戻ってきた。屋根のある場所はどこもねずみや野良猫が陣取っていて、ぼくが居られるところはなかった。
 壁の穴をたどって部屋に戻ってくると、西側に向いている出窓も北側の窓も、うっすら金色に染まっていた。差し込む日差しの中でほこりがふわふわいつまでも舞っている。テーブルには、朝リラが作ったサンドイッチと薬湯の入ったポットが置いてある。
 ぼくは壁のすみに空いている穴に座り込んだ。お腹はへこんでしまいそうなほどぺこぺこだった。でも、サンドイッチを食べても、オルゴールのベッドでふて寝しても、やっぱりリラのことを思い出してしまう。この部屋のものの、ほとんど全部といっていいくらい、リラがいる。リラとぼくの暮らしに行き着く。だから余計に、入るのがいやだった。いつか終わる夢に戻るみたいで。
「……リラ、いつかぼくを置いてあいつと暮らすのかな」
 へんなかえる。マーロの独り言が今のぼくにはなんとなく納得がいった。また人目を避けて暮らさなくちゃいけないせいか、それとも歌を聞いてもらう相手がいなくなってしまうせいか。今は梅雨とは反対の季節なのに。
 でも、ここでいくら考えたって、リラとあいつの問題だ。問題外のところでぼくがうろうろしてたってどうしようもない。
 なんだか眠い。いまさら冬眠するのだろうか。でも、ぼくは寝ぼすけだ。春まで眠っていたら、リラに最後まで「いってらっしゃい」がいえない。あ、ぼくがいなくたってあいつがいってくれるか。そしたらそれが一番いい。
 そんなことをぐるぐる考えるうち、ぼくの考えはふっつり途切れてしまった。


 やかんがしゅんしゅん蒸気をあげている。なんだか身体があったかい。神殿の鳴らす鐘の音が頭の奥でかすかにこだまして、だんだんと大きくなっていく。
 目を開けた。ほっぺたが熱い。首を動かすと、小さな鉄のストーブの石炭入れのふたを囲む隙間から、豆炭の燃える赤い炎がにじんでいる。その上に金色の小さなやかんがのせられている。
「起きたぞ」
 声のしたほうを見上げると、明るい茶色の瞳がぼくを見下ろしていた。そこでぼくは、彼の手のひらにつつまれていることがわかった。じたばたもがくと、今度はすぐに手を広げてくれた。
「かえるくん」
 水の底のようによくとおる声。ぼくが振り向くより先に、白い手のひらがぼくを包んで抱き上げた。朝はまとめていたピンクの髪は、空気を含んで背中に下ろしている。リラは笑っていた。でも、深い深い青空の高みの色をした瞳は、涙の膜を張ってゆらゆら揺れていた。ぼくはその瞳から目をそらせなかった。いちばん見たくなかった瞳を、ぼくは見ている。
「すごく冷たくなっていたから冬眠したのかと思った」
「……ぼくは冬眠なんかできないケロ」
「そうよ。かえるくんが眠ったら、わたし、誰と夜おしゃべりしていいのかわからないのよ」
 それからリラは、ぼくをからし色のベッドカバーの上に降ろして、サンドイッチがおいてあったはずのテーブルの上から、レースのハンカチのかけられたお皿を持ってきた。
「はい」
 お皿をぼくの前において、さっとハンカチを取る。
 そこにはぼくの身体くらいあるチョコレートケーキが、白い砂糖の衣をまとってのっていた。丸の上に小さな半円がふたつ並んで飛び出るような格好でついている。かえるの形だとわかるまでに、ぽっかり開けていた口がからからになってしまった。
「焼き上がりが不恰好になったし、銀の粒がないから、のっぺらぼうになっちゃったんだけど。……似てないよね、これじゃ」
「ぼく」
 呆然と見上げると、マーロがやかんを取り上げて、三つのカップにお湯を注いでいるところだった。
「だから無理して探すことないっていったのに。お前のルームメイト、はちみつどれくらい入れるんだ」
「たっくさん。たくさん入れて」
 ああそう。彼はそういって、カップの取っ手を三ついっぺんに片手でつかんで、北の壁よりに置かれている四角いテーブルの上に並べてあるパンとかジャムのびんのうちのひとつのふたを開けた。
「マーロもね、探してくれたんだよ。かえるくんと、お菓子にのせる銀玉。それにかえるくんの身体、ずっとあたためてくれて」
「リラ。リラがお菓子をあげたかったのは」
 リラはわずかに首をかたむけた。まるで、ぼくに聞き返すみたいに。ぼくの頭の中から、ほかのことがいっぺんに消えた。目の前ののっぺらぼうのケーキの白さが、砂糖衣のむらの作る濃淡がわからなくなった。多分ぼくもリラに見せたくない目を向けていることだろう。
「リラ。ぼく、へんなかえるだケロ。うぬぼれるし、サンドイッチが好きだし、歌を歌うのも好きだし、にんげんの言葉がわかる。そんなことを気にするかえるはいないケロ。それでも」
 リラは何もいわず、ぼくの話を聞いていた。眠る間際のぼくにわからなかったことが、今ならなんとなくわかる。
「それでも、リラのそばにいたいケロ」
「……うん」
 ありがとうの代わりに、リラのひとさし指がぼくの背中を撫でた。ぼくの瞳から流れた雫が、珠になって砂糖衣の上にこぼれ落ちる。
「ほら、できたぞ」
 心なしかやさしいマーロの声が頭上からふってきた。リラはこのひとにもあげたんだろう。でも、こののっぺらぼうの白いかえるを、ぼくは忘れない。
 あつあつのはちみつレモネードといっしょに食べたケーキは、最後のかくし味で、すこしだけしょっぱかった。




●○●○●アザラン

 オフでも一区切りついたので、ひさびさに投稿です。
 かえる君、やんちゃで時にはやけっぱちな、かわいい弟のイメージで書いてみました。なので、リラはここではお姉さんです。Josh Grobanの「You raise me up」を聞いていたせいか、なんだかソウルメイトっぽい話に仕上がってしまいました。
 
 ちなみに銀のつぶつぶ、はじめ正式名称がわからず兄弟に聞いたところ「仁丹」という答えが返ってきて軽くへこみました。

 感想・ご意見などいただけると、作者冥利に尽きます。

         *花*


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