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>>>べに龍
-- 05/09/06-13:14..No.[868] |
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夜が明けたばかりの森。 ラドゥの神殿の歳経た巨大な石の柱たちは、まだ青い陰の底にじっと沈んでいました。 その足元の草むらでは、夜の虫たち声がわき返るようです。 その草むらをなでて、ひいやりした風が、神殿の中を通り…中にいた三人の男、老賢者ラドゥの長いひげと、吟遊詩人ミーユのつややかな黒髪、それに、ドーソン・トードの寝癖に逆立った前髪を揺らして行きました。 この夏になって、誘い合わせたわけでもないのに、時々なんとなく、夜明け前の神殿に集まるようになったこの三人は、今朝もまた、ここでこうして顔を合わせていたのでした。 「風の匂いが、変ったな」 ドーソンが、つぶやくように言いました。 「ええ。それに、光の色も…」 ミーユが応えると、ラドゥもかすかにうなづいて、昨日より高くなった空の色を見上げました。 「夜明けも、すっかり遅くなった。ここで、こんな風にゆっくり出来る時間も、すっかり短くなったな…」 ドーソンが、少し寂しそうに言いました。ミーユが微笑んで首を振りました。 「その代わり、夜はどんどん長くなります。霜の輝く夜、星や月を見ながら…というのもいいものですよ」 ラドゥが、にこりと笑ってうなづくと、ドーソンもにやりと笑いました。 「そうだな。今度は少々の酒でも提げて…」 最初の朝日が、一番端っこの石柱の頭を黄色く照らしました。 森中からわんわんとセミの鳴き声が沸き起こり、小鳥の合唱をかき消しました。草むらの虫たちは、すっかり声をひそめてしまいました。 「どれ、最後にもう一曲いくとしようか…」 ドーソンが、一つ頭を振って言いました。ラドゥはうなずいて、腰をおろしました。しかしミーユは、竪琴を取る前に言いました。 「ドーソン、私の中の詩心をもったフクロウが、そろそろ動き出したのですが…」 「?」 ドーソンは、首をかしげてミーユを見やりました。 「叙事詩が作りたいというのです。誰も知らない伝説を歌った叙事詩が」 「それで?」 「…貴方の詩を作りたいと、そう言い張るのですよ。さもなくば、全く動く気が起こらないと…」 ドーソンは驚いたように目を見開きました。 ここで…このラドゥの神殿で、この美しい森のひと時を楽しんでいるときに、こんな話を持ち出すとは… 「俺の、身の上話を聞かせてくれ、と、そういうのか?」 「いえいえ…」 ミーユはきっぱりと首を振りました。 過去のことなど、問わず語らず。このひと時の不文律を破る気なぞはありません…。 「これからの、貴方の冒険に同行させていただきたいのです…もし、貴方さえよろしければ」 ドーソンはほっとしたように白い歯を見せました。 「ああ、それはありがたい。ミーユのような旅慣れた人が一緒に来てくれるなら、心強い。 …だが、おぬしのフクロウが喜ぶ餌が見つかるかどうか…」 ドーソンは言葉を切りました。 自分は、おそらくは、何らかの禁忌を犯したのだろう…ドーソンは、そう思っていました。神とも呼ばれる白龍に呪いを受けるとしたら、それがもっとも自然な成り行きだと思えたのです。 禁忌を犯した男の龍探し…余り大向こうには受けないだろうよ。 そんなドーソンの思いを読んだのか。ラドゥが物言いたげに半身を動かしました。しかし、思い返したように座りなおし、じっと黙ったまま、何も言いはしませんでした。 「ご心配なく。私の詩心のフクロウは、勘がいいのですよ」 ミーユは静かな確信を秘めた声で応えながら、竪琴を構えました。 「それでは、今朝、最後の一曲と行きますか…」 「おう」 ドーソンが応えて、深呼吸しました。これが終わったら、今日もまた、街での仕事です。 …しかし、それは忘れていよう。今は、まだ。 ラドゥはうなづき、どこからか取り出した小さな鼓を、ひざの上に載せました。 乾いた鼓の音を合図に、銀の糸のような竪琴の旋律と、ルビーの輝きのような美しい口笛の音が、互いに絡み合い、見事なタペストリーのような音楽を織りなしながら、神殿をゆったりと流れはじめました。 |
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