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>>>花
-- 05/09/03-13:49..No.[866] |
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「ど、どうしよう……」 領主の館は、黄色い土を固めたれんがを積み重ねてつくった質素なつくりで、アーチ型の細い窓から陽射しが斜めに差し込んでいる。そこから外を覗くと、山向こうから流れる二すじの川が、水門を境に底土をむきだしにした溝に変わっているのが見えた。 それを目指してリラは進んできたつもりだった。だが、入り組んだ回廊をいくら進んでも、誰一人として人がいない上、窓から見える水門はちっとも近づかない。 「これって、迷子ってことなのかな」 ばか。そういってくれるマーロの声もしない。ふいに何時間も食べ物を口にしていないお腹が鳴って、リラはその場に座り込みそうになった。 「誰だ」 「は、はいっ」 あわてて飛び上がり、振り向けば階段の踊り場に一人の青年が立っていた。栗色の髪を後ろで束ね、赤茶けた外套を羽織っている。リラを見据えるまなざしは、深く青い。その瞳がわずかに見開かれている。 「お前は」 「あ、あのう、その……領主の方に会いに来たんですけど、道に迷ってしまって」 その瞬間、思いっきり大きくリラのお腹が音を上げた。 「なんだ、今の音は」 「ええと、お、お腹も空いてしまって」 リラのほおがみるみる熱をおびてあつくなる。そのとき、階段の上から降ってきた青年の声に、リラは思わず顔をあげた。 「ついて来い。何か食わせてやろう」 きびすを返す手前、青年はまるで以前からの知り合いを見るように柔和にほほ笑んだ。 水門のよく見える大きな部屋に通されると、今までどこにいたのか、エプロンをつけた小間使いがパンと水差しに入った水を持ってきた。パンをちぎって口に運ぶリラをほほえましそうに眺めながら、青年はみずからの名前をリュウベンと名乗った。 「うまいか?」 「はい。どうもありがとうございます。あ、そうだ。わたし、リラ・アプリコと申します。コロナの街から来ました」 「……そうか、お前はリラというのか。コロナのリラ、お前は領主に何の用事があってきたんだ」 「じつは」 リラは今までの経緯を話した。失った記憶をたどってコロナから来たこと。アトランティーナとシェスナ、二つの街へ続く水門を開けてほしいこと。 「だけど、わからないんです。領主はなぜ、町の人を苦しめる必要があったのか……じぶんが治めている街の人たちなのに、じぶんたちを守ってくれる青い竜の村なのに、どうしてここまでする必要があったんですか」 「おれに、それを聞くのか?」 「え? ええ、あなたはここのひとみたいですし……今は、すこしでも知りたいんです。今を知らないまま、わかったつもりで生きたくはないから」 荷馬車に載せてくれたアトランティーナの人間の、沈んだ青い瞳を思い出しながら、リラは一心にリュウベンをみつめた。 「お前は、エレナという娘を知っているか」 突然聞かれて、リラは戸惑った。カガレスへの山道で会ったリンも、同じことを聞いた。 「……知りません」 「じゃあ、そのエレナの話をしてやろう」 リラは窓の向こうを見た。鉄格子にさえぎられた水門は、赤茶けて錆びついている。 「昔、アトランティーナの村にエレナという娘がいた。彼女には幼い頃から仲のいい婚約者がいた。ゆくゆくは、彼とつれあいになる。誰もがそう信じていた。……ところが十六のとき、彼女は湖の青い竜に仕えることになった。それが、すべての悲劇の始まりだった」 杯に残った水を飲み干し、リラはリュウベンのほうを向いて耳を傾けた。 「青い竜は十六になった娘を側仕えに召しだすよう、アトランティーナの人間に言いつけてある。エレナもほかの娘と同じようにそうした。だが、青い竜は彼女を神殿の一角に閉じ込め、親のもとに帰さなかった。 そして嵐の日、土砂があふれそうな川べりに、奴はエレナを無理やり連れて行って人柱にしようとした。さいわい、彼女は死なずに済んだ……しかし、あの青い竜はその後も彼女を家に帰さず、無理やり子を産ませたあげくに、死なせてしまったのだ」 「そんな」 青き竜は人とともに暮らす竜。いつか竜の本で読んだ文章が思い出された。リュウベンは深く息を吐いた。 「婚約者は彼女を思って泣いた。しかし、村人はそうではなかった。エレナは竜の巫女となって、一生をささげた。昔からの伝えどおりに、そう思って彼女の死を受け入れ、生きていこうとしたんだ。抗おうともしない彼らが、婚約者は許せなかった。そして水門を閉じ、毒を流すことにした。すべての元凶である竜を封じるため、竜に味方するアトランティーナの人間も、葬り去るために。……もう、わかるだろう。青い竜は他人の愛するものを奪っても涙も流さないような竜だ。そんな竜も、竜ににしばられて生きる人間も間違っている。水門は閉じられて正しかったんだ」 「正しい……」 リラは繰り返した。正しいとはなんなのだろう。シェスナの人たちが苦しんでいる目の前の状況が、正しいのだろうか。そのとき、ふとリュウベンの話にその先の語られていないものがいることにリラは気づいた。 「あの、エレナさんと青い竜の子どもは、どうなったんですか」 「子ども」 「はい」 「わからないのか」 そう問われ、リラは自らの姿を思わず省みた。彼の問いと、自分の問いと、頭の中でその二つが交錯した。リュウベンのくちびるの両端がゆがめられる。その瞳がにわかに青から琥珀色に変わった。 「あ……」 その瞬間、何人もの足音が聞こえたかと思えば、ものすごい音がして両開きの扉がちょうつがいごと吹き飛び、壁に当たって落ちた。 「リラ」 「……マーロ」 呆然としているリラの前に立っているのは、コロナにいるはずのマーロだった。 「リラ、そいつから離れろ」 「え。どうし」 「そいつは領主のリュウベン、この館にいる魔物の親玉だ」 リラは短く息を吸った。だが、すでに遅く素早く間合いをつめたリュウベンに後ろから羽交い絞めにされる。 「気づくのが遅いな。この娘は」 「リュウベンさ、ん」 「つくづくお前は罪のかたまりのような存在だ……苦しみも悲しみも、自分の血がどれほど罪にまみれたものかも知らず、全てを忘れてのうのうと生きているのだから」 「てめえ。おれの魔法を受けてみろ」 マーロの両手が勢いよく突き出され、荒ぶる風が部屋じゅうの垂れ幕やカーテンをなぶった。 「どうした。脅しでなく本気でやったらどうだ。まあ、その程度の術でおれは死なんが、この娘は耐え切れるかどうか」 次の印を結びかけていたマーロは手を止めた。だが、扉の影から緑色の衣をまとう少年が躍り出た。 「くらえ」 引き絞られた弓から、矢が空を切って放たれる。次の瞬間、天井に男のしわがれた悲鳴が響き渡った。振り向こうとしたリラの二の腕を、マーロの手がすばやくつかんで引き寄せた。リラのほおがマーロの胸に押し付けられる。だが、リラはそれに抗ってリュウベンのほうを見据えた。のけぞっているリュウベンの片目に、矢が突き刺さっている。だが、リュウベンは刺さっている根元を握り、ひと息にそれを引き抜いて床に投げ捨てた。 「き、貴様ぁ……よくもおれの目を」 「水門の鍵はどこだ」 ラケルはリラとマーロの前に立って、すでに次の矢をつがえて引き絞っていた。 「正直にいわないと、目が見えなくなるよ」 「ふふ……目的はそれか。ならばこのリュウベンの片目を射抜いた褒美だ、持っていくがいい。だが、鍵は一つで水門は二つだ。どちらの水門を開けても、片方は助かるまい……どちらにしても、お前達は一方を見捨てることに変わりはないのだ」 リュウベンの姿が次第にうすれ、そうして消えた。残された矢を拾い上げたラケルは、そばに落ちていたカーテンで矢じりをぬぐい、布にこびりついたその血を二人に見せた。濁った緑色の血は、彼がすでに人ではないものであることをもの語っていた。 「リュウベン……さん」 「リラ」 ラケルがまだ呆けているリラの手をとった。 「無事でよかった。ぼくら、ラドゥさんにシェスナまで送ってもらったんだ。君が一人で記憶を探しにいったって聞いて」 「エレナ……青い、竜……わたしの、きおく……」 「リラ?」 ラケルが怪訝そうに尋ねたとき、遠くのほうからリンの三人を呼ぶ声が聞こえてきた。 水門は二つの川の上流である山脈を遠くに見すえる場所に築かれている。領主の館からそのまま回廊を通ってたどりついた二つの門は、どちらも鉄格子の向こうに見える鉄の扉をぴっちりしめてある。 その間に、リラは立っていた。手にはリュウベンの館の奥で見つけた、水門の大きな鍵が握られている。 「まさか、こんな仕掛けになっていたとはね」 風になぶられ、長い髪を押さえながらリンがいった。 「どちらか一方の水門を開けて、互いの水が少なくなればもう一方へ鍵を移す……リュウベン一族が青い竜から与えられた役割っていうのは、争いの種にもなりかねないね」 「リンさん。どちらか一方を満たすまでにはどれくらいかかるの」 ラケルはリンを振り返った。リンは首を振るばかりだった。 「わからないよ。シェスナの街でさえ、灌漑の水や堀の水、井戸に公共水道に水車を動かす水に……何年も干上がっていたんだ。すべてが元通りになるには、時間がかかる。アトランティーナの湖は毒を流すだけだから、三ヶ月もあれば十分だろうけど」 「ふん、街が大きくなりすぎたせいだ。水を使いまくって生活するから、二つの水路を交互に開けざるをえない。水源なんざ、いっそ枯れちまった方が自然にかなっているさ」 リンに肩を借りているロッドが、リラの背中を見つめながらいった。リュウベンの館で倒れてきた柱を支えたために、足首を多少痛めてしまったのだ。リラの癒しの魔法で痛みは引いたものの、歩きづらいことには変わりないようだった。 マーロは三人よりもほんの少しリラに近いところで、彼女が歩き出すのを待っていた。 赤い夕陽が空の雲を橙と藤色の二色に染めながら、山の端に沈もうとしている。そのとき、ためらうことなくリラはシェスナの街へ続く水門に歩み寄り、鍵を差し込んでひねった。その瞬間、閉ざされていた門がゆっくりと開き、透き通った水が長い間待ち望んでいたかのように乾いた水路にしぶきをあげて流れ込んだ。 リラは振り向き、そして笑った。 「待っててくれてありがとう。これでもう大丈夫だよ。シェスナに帰ってみよう。街の人たち、みんな大喜びしてるよ、きっと」 「リラ……」 リラは背筋をまっすぐ伸ばして、マーロの横を通り過ぎようとした。その肩をマーロがつかむ。 「リラ」 「……なに? なにか、間違ってたかな」 「そうじゃなくて。よかったのかよ、これで」 「よかったからこうしたの」 「わかってんのか。呪いが解けないかもしれないんだぞ? アトランティーナに行くほうが先じゃないのかよ」 「……シェスナの街の人は、水がないと困るよ。水があって、生きてきた人たちだもの。今、困っているのはシェスナに生きる人たちだから……その人たちの「今」を、返してあげたかったの。わたしなんかじゃ、頼りないけど……ごめんなさいって」 「なんでお前がそんなこと言うんだ。お前がしょいこむようなことじゃないはずだろう」 だが、マーロの問いに、リラは静かにほほ笑んだだけだった。 ●○●○●Echo of tragedy というわけで第二弾です。お話はおしまいまで描いてあるのですが(長すぎ!)また四連投稿してしまうのでひとまず打ち止めです。なぜ私はあんなアホな小ネタと連続で載せてしまったんだ……なのに脳裏でシェリクがトライアスロンしています(泣) シェスナの一件で、主人公の正体はほぼ推定つくんじゃなかろうかと思い、描きました。リュウベンは流(竜)弁という勝手な当て字から推測です。ではでは、この辺りで失礼します。 花でした☆ |
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