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『森の茂みにて(前)』

 >>>べに龍   -- 05/08/19-06:48..No.[859]  
     暑い暑い日の続く、夏のコロナに、朝が来ました。今日も雲ひとつない上天気です。
 空気は、日の出と共に、ぐんぐん暑くなり始めていました。しかし、森の大きな樹々の下は、さわやかな風が渡っていました。

 その森陰の小道を、ドーソン・トードは歩いていました。
 独特の響く声で、鼻歌を歌いながら、ぶらぶらと…ときに立ち止まって、枝の小鳥を見上げたり、落ち葉の陰のきのこを覗き込んだりしています。
 そうしながら、少しずつ、ラドゥの神殿の方へ向かっていましたが…分かれ道でふと立ち止まると、まったく別の方へと曲がりました。
 近くに住むハーフエルフのレンジャー、ラケルのことを思い出したのです。しばらくぶりに、ちょっと顔を見てこようと思い立ったのでした。

 自分自身の気まぐれを楽しむように、のんびりと歩いていたドーソンでしたが、ラケルの住む小屋が見えるところまで来たとき、その表情が変わりました。
 妙に張りつめた空気が小屋を取り巻いているように感じたのです…そして、緊迫した様子で何かをしゃべっている、ラケルの声がここまで聞こえてきたのでした。

 ドーソンは、大またに小屋に歩み寄るや、ガツガツと戸を叩きました。
「おーい、ドーソン・トードだ。何かあったのか」
 すると、小屋の向こう側から、青い顔をしたラケルがあわただしくかけ出してきました。
「ドーソン、こっち! 大変なんだ」
 言いながら、せわしなく、小屋の裏手の茂みを身振りで示しました。

 ドーソンが小屋を回り込んで茂みに近づくと、かすかな血の臭いがして、鹿が一頭、びくりと頭をもたげました。まだ白い斑点の残る、この春生まれの子鹿です。
 うずくまったまま震えている子鹿の後ろ足の付け根に、矢が一本、深々と刺さっていました。

「今、ここに倒れているのを見つけたんだ! 手伝ってよ。早く、助けてやらなくちゃ!」
 早口にまくし立てるラケルに、ドーソンは、ことさらゆっくりと深くうなづいて見せました。
「うむ…だが、その前に」
 と、言葉を切って、森の大地のような深い色の瞳で、ラケルの目を見つめました。
「まず、お前が落ち着かなくてはな。
この鹿は、『ラケルのところへ来れば助かる』と信じて、この足でここまで来たのだろう。
 そのラケルがそんな風にあわてていたら、不安になるぞ…この鹿も、近くにいるはずの、この子の母親も」
 そう言って、ドーソンは、その辺の茂みに向けて手を振りました。
「う…うん」
 気おされたようにうなずいたラケルは、小さく深呼吸を繰り返しました。

 多少、その顔に血の気が戻ったのを見て、ドーソンは
「で、まずはどうしたらいい。小屋に入れてやるのか?」
 腕をまくりながら、尋ねました。
「いや…でも、平らなところまで運んでやらないと…それから、お湯を沸かさなくちゃ」
 ラケルが答えました。ドーソンは無言で、ゆっくりしゃがみこむと、そっと子鹿を抱き上げました。

 ラケルが小屋の中から薬箱を持ってきて、傷口の周りを手早く器用に消毒する間、ドーソンは無言のまま、そっと子鹿の体を押さえていました。
 が、いよいよ矢を抜く段になって、突然口を開きました。
「すこぶる痛そうだな」
「うん。でも、仕方が無いよ。…ちょっとの間、我慢していてね」
 ラケルはそう言って、子鹿の首筋を優しくなで、それから、難しい顔になって、鍋で煮立てて消毒したナイフを取り出しました。
 と、ドーソンは、
「ああ、ラケル、ちょっと待ってくれ」
 言うなり、素早く呪文を唱えました。

来たれ、闇のたてがみ、音無き夜のひずめ
来たれ、夜風に乗りて馳せる、夢と眠りの運び手よ
…夢魔よ、夢馬よ、ナイトメアよ!
この小さきものに、深く安らかなる眠りをもたらせ!


 精霊使いの魔法、「眠りの風」の呪文です。
「麻酔と違って、本当に痛いと目がさめるからな。気休めにしかならないかも知れんが…無いよりはましだろう」
 子鹿が、ぐったりと体の力を抜いて、深い眠りに陥ったのを確かめると、ドーソンは言いました。
「大丈夫だと思う…消毒薬のほかに、痛みを抑えるしびれ薬も使っているから」
 ラケルはちょっと表情を緩めてそう答えると、再び顔を引き締めてナイフを握りました。

=============
続きます。



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