General Electrict I-40 (J-33) |
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GE I-40 (J-33)はGE I-16(J-31)を基礎に1943年半ばに開発が開始され、1944年1月3日に試運転が成功した。構造は遠心式Double Sided Compressor, Combustor Chamber14個と1段のTurbineであるが、Reverser
Flow Combustorを廃し、Straight Flow Combustorとなった。そのため推力が4600lbまで向上した。このJ-33は米国空軍正式戦闘機Lockheed P-80, 訓練機Lockheed T-33、米国海軍戦闘機Grumman F9F Panther、三角翼試験機Convair XF-92A,各種地対地Missileに搭載された。After Burnerを装備するModelも開発されている。このJ-33はAllison社で計6000台以上が生産され、米国のJet Engine時代の大きな第1歩となった。日本でもJ-33を装備したT-33練習機が1990年代まで使用された。また米軍機のJ-33のオーバーホールが1950年から日本国内で始まり、日本のJet Engine整備の礎を作った。General Electric社はその後も多数のJet Engineを開発、製造したがGerhard Neumann氏はその中心として活躍した。General Electric社員の名刺を見ると住所にNeumann Wayとあるが、これはGehard
Neumann氏を記念した通りである。Gehard Neuman氏とSNECMA社の幹部がゴルフコースでCFM56の共同開発することを決定したという逸話もある。大屋さん知っていましたか。 |
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航空自衛隊 浜松広報館 J-33-A-35 Fig1〜7 |
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この展示EngineにはAccessary類は装備されていない。Forward Inletの構造が分かる。 Fig
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Combustor
Canの多さはDe
HavillandのGoblinの影響を受けたかのようである。実際Goblinは戦争中に米国に送られP-80で試験されたためGE社の技術者はGoblinを早い時期に目にしているはずである。 Fig2 |
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Derwentと大まかには同じような構造であるが中央のBearingのCooling用Impellerが無い等細かい部分は相違する。GE社のアイディアが具体化されている。CombustorのDilution Holeの数もずいぶん多いがその後のJ-79も同じような傾向がある。 Fig3 |
Fig5にも示されるが、直径方向の流れを整えるCompressor
Inlet Guide Vaneは1枚で、2層に分かれる流路の外側流路には小さい円周方向の流れを整えるVaneが認められる。内側には認められない。 Fig4 |
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Caseに組み込まれたOil Tubeが認められ、各BearingへNozzleでOilが噴霧される。 Fig5 |
Compressor
Outletから直角に流路が曲がっている部分。青い部分は流路の面積を増やし空気の速度を落とし圧力を上げるDiffuser部分。 Fig6 |
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DerwentのCooling Impellerの代わりにRam Airを中央のBearing付近に導入するDuctがある。左側の網部分がそのInlet。右側の網はAfter側のCompressorのInlet。 Fig 7 |
さらにTurbine Disk前方にもRam Airを吸い込む網部分がある(青色に塗られている付近)。これはTurbineのCoolingに使用されている。構造としては単純であり、このあたりが長年使用された理由かもしれない。 Fig8 |
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Fig9 XP-80 |
XP-80に装備されるJ-33(尾部を完全に抜きEngineを整備するこのようなLayoutはその当時は珍しいものではない。) Fig10 |
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Fig11 F9F |
T-33、P-80では、Engineの調整は轟音で回転するEngineの下に潜り込み行う作業で あった。現在はたいていはRemote Trime Kitを装着する方法である。 Fig12 航空自衛隊 T-33A |
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参考Web(写真) インターネット航空雑誌 ヒコーキジャーナル第78号 ◎ 東 京 ・ 千 葉 撮 影 旅 行 No.2 参考Web |
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