Royal Aircraft Establishment |
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英国での航空機用Jet Engineの研究は1920年に遡り、Air Ministry LaboratoryのStem博士がAeronautical Research Committee(ARC)の依頼により航空機用のGas Turbineの可能性について検討を行ったが、非常に重量が重いEngineとなり現実性は非常に低いとの結論を導いている。Turbineの高温に耐えられる耐熱金属が十分に開発されていないことも理由の1つであった。 Royal
Aircraft Establishment (RAE)のAlan Arnold Griffith博士(Fig8)は1926年発行の”An
Aerodynamic Theory of Turbine Design"の中で、複数段の軸流Compressorを一本のShaftでTurbineと連結したEngineを提案している。RAEでは1927年より基礎研究を開始しCascade Wind Tunnelを使い軸流Compressorに適した翼型形状の研究を行った。1929年11月Alan
Arnold Griffith博士はARCに対しGas
Turbine Driving An Airscrewは既存のPiston Engineよりも軽く、小さくなるであろうという報告を行っている。 Alan Arnold Griffith博士は1930年に1つの提案を行っている。これはまだ機械的駆動力を発生させるものではなかったが、14段のDiskで構成され、それぞれのDiskは外側にTurbine Blade、内側はCompressor Bladeが取りついている。内側のCompressorで圧縮された空気はRotating Burnerで燃焼され180°方向を変え外側Turbineに導かれる。Multi Stage CompressorではStart,
Acceleration時に特定のStageでSurgingが起こることを予測しその解決方法として隣同士のBlade Diskが逆回転する所謂Contra-Rotatingを採用している。しかしこのアイディアは1930年には具体化はしなかった。その後ヨーロッパでの戦争勃発の可能性が高まりRAEのGas Turbine研究はより積極的に行われるようになった。その中で一度はRAEを離れたHayne Constant氏がRAEに戻り、Whittle Unitの運転成功の1ヵ月前の1937年3月に"Internal Combustion Turbine as prime mover for
aircraft” (RAE Note E3546)の報告が行われ大いに注目され、Jet Engine開発の動きが活発化した。その流れの中で提案から8年後の1938年にAlan Arnold Griffith博士のアイディアは8段Diskで構成される”Anne"として制作され試験が行われた。実際はOil Leakで試験自体は失敗に終わっている。このAnneに続きRuth, Betty, Doris, Fredaが試験され、英国初の軸流Compressor
EngineであるMetropolitan-Vickers社のBery1に続くことになる。Fig1, 2, 3, 5, 6はScience Museum,に保存される試験機の実物。それぞれ直径10p程の試験機で、あまり注目されていないがかなり貴重な展示物である。 Alan Arnold Griffith博士は戦後もFig7に示す垂直離着陸機Harrierの基礎研究に関与し、特異なアイディアを創造した偉人である。 |
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1929年に制作されたTurbineの試験装置 Fig1 |
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Fig2 |
Anne Axial Compressor Fig3 |
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Anne 8 Stage Axial Compressor Fig4 |
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1940年8月13日ドイツ軍の爆撃でBladeが破損したAnne Axial Compressor。 Fig6 Fig5 |
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Fig7 Fig8 |
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参考Web |