Dr. Sanford Moss

 

主にCompressor開発の技術的基礎となったSuperchargerについて、現在はJet Engineの巨人であるGeneral Electric社を例に少々説明していきたい。なお通常TurboまたはTurbo Chargerと呼ばれるがGE社はTurbine Superchargeを商品名称に使用していた。

General Electric社は1901年にSteam Turbine事業を開始、Sanford Moss博士は Turbine部門の数多くのプロジェクトにおいて活躍したが、博士の偉大な功績の一つはTurbine Superchargerの開発である。Turbine SuperchargerPiston Engineの排気ガスを利用しTurbine Wheelを回転させ、同軸の遠心式Compressorを回転させ空気を圧縮する機械要素であり、第2次世界大戦前後のPiston Engineにおいて非常に重要な装備品であった。Turbine Superchagerにより高高度の希薄な空気を圧縮してピストン内に送り込むことが出来るので、Engine性能を高高度でも維持できることになる。このTurbine Superchargerで培われた技術が後のJet Engineに活きることになる。

Fig1は当時の地上用Steam Turbineの一例。

Fig 1

Fig2Sanford Mossが開発に参加した自動車用Superchargerの分解部品を示している。写真の左に示される、皿状の円盤に三角の羽が付いている部品がCompressorである。当時欧米では自動車レースも盛んで、高出力を発生させるためにTurbocharger, Superchargerが搭載された自動車が数多く開発されている。Benz社等もSupercharger搭載のレースカーを開発している。

 

Fig 2

Fig319189ColoradoPipes Peakで行われた高高度実験のための実験装置である。約14000ft4200m)の高地においてTurbine Supercharger付のLiberty 12液冷直列Engineの運転試験を行い377馬力を発生さることに成功した。Turbine Supercharger無しでは354馬力までしか発生させることが出来ないので、Turbine Superchargerの優位性が明らかである。このような実験によりGE社のTurbine Superchargerは段々とアメリカ陸軍に認知されることになる。その当時はまだアメリカ空軍は独立しておらず、陸軍に属していた。なおPipes Peakは現在でもPipes Peak International Hill Climb、通称The Race to the Cloudという車で山を登るレースが行われる場所であり、ゴール地点は14110ft地点である。そのレースで使用される車にもTurbocharger, Superchargerが通常装備されている。[3]

 

Fig 3

Fig4はTurbochargerを装備したLiberty EngineFig4からもわかるように1920年代30年代はまだ複葉機の時代でプロペラも木製である。

 

Fig 4[3]

Fig5, 6は空の要塞と呼ばれたBoeing B-17に装備されたGeneral Electric社製のTurbine Superchargerを示している。自動車のTurboは直径10p程の小ぶりなものであるが、これは直径約80pのものである。Fig5EngineTurbine SuperchargerFigの右中央付近)のSystemを示している。赤いダクトは排気の流れであり、ピンクはTurbine Superchargerで加圧されEngineに流れ込む空気の流れである。

Fig 5

 

Fig 6

Fig7はTurbine Superchargerの透視図である。構造はTurbineCompressorを連結したものであるが、高温の排気にTurbineは晒され、さらに風車のように高回転で回転するので軸受を中心に非常に高温になる。その高温下で如何に作動を確実にするかが難しい技術であり、Jet Engineの基礎になった。

 

Fig 7

Fig 8Boeing B-17の全景。B-17は主に第2次世界大戦ではヨーロッパ戦線で活躍した爆撃機である。Turbine Superchargerを利用し高高度を飛行し爆撃を行った。Engine自体はWright R-1820 Cyclon  Engineである。

 

Fig 8

Fig9はもう一つのTurbine Superchargerを利用した例である超空の要塞と呼ばれたBoeing B-29である。この機体も高高度を飛行し、主に日本本土の爆撃を行ったことは有名である。Fig9の背景は富士山であるので飛行高度は4000m-5000mと推定される。EngineWright R-3350 Duplex Cyclon Engineである。Turbocharger等の過給機を持たないEngineにとってはこの高度でも十分な出力を出すことは難しくなる。実際にオートバイなどで富士山を登ると希薄な空気による出力の低下を実感することが出来る。General Electric社はPiston Engineは製造した経験はなく部品の供給会社であったが、戦後はJet Engineの大メーカーとなった。

 

Fig 9

 

Fig10Sanford Moss博士の近景である。California大学を卒業後、Cornel大学より博士号を授与され、1903年にGeneral Electric社に入社する。(この人は退職後にI-Aの開発でまた会社に復帰したそうです。中野さんそうなりたいですね。) Rolls Royce社ではStanley HookerJunkers社ではAnselm Franz博士がそれぞれJet Engineの開発に活躍したが、彼らもSanford Moss博士と同様Super Chargerの経験を持っていた。

 

Fig 10

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参考Web:

[1]The National Aviation Hall of Hall

[2]General Electric Reaching New Hights

[3]Supercharger Development in the US during the Inter-War Period

[4]B-17 Turbosupercharger

[5]GE Aircraft Engines History

[6]A Brief Overview of Aircraft Engine Development