BMW 003 |
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1938年頃既にドイツ空軍省のHans
Mauch氏とHelmut Schelp氏はJet機の研究を行っており、EngineメーカーのJunkers社、BMW社、Daimler
Benz社それぞれにMe-262用のJet Engineの開発を打診した。BMW社ではその要求に応えドイツ空軍省開発番号009−003が与えられたBMW003の開発がHerman
Oestrich博士により始まった。このドイツ空軍省の要求がPiston Engineの製造に熱心であったメーカーに大きな動機を与え本格的なJet
Engine開発の始まりとなった。Herman Oestrich博士は元々はBramo社(Brandenburg
Motor Works)に勤務し、Engine自体もBramo社で開発が進められていたが、1938年よりBMW社と共同で開発を行うようになり1939年に二社は合併し、Bramo社で開発されていたEngineがBMW 003となった。BMW 003はMesserschmitt Me262に装備される予定であったが、開発が遅れ1940年に地上運転が行われたが1200lbの推力しか発生することができず、飛行試験は1942年3月25日にずれ込み、Me262のMain EngineはJumo004にその座を奪われることになる。開発が遅れた理由の一つは単体試験が難しいAnnular Combustorを採用したことである。BMW003はHe-162、Ard 234 (双発爆撃機)に搭載され約500台が生産され、またBMW003の設計図面が日本に提供されネ20の開発に大きな影響を与えた。Herman Oestrich博士は戦後フランスに渡りSNECMA社でMirage等に装備されたAtar
Engineの開発にあたることになる。ベルリン陥落時には多数の技術者、科学者がアメリカ、ソ連に連行されたがソ連よりアメリカを選ぶ様子が「ベルリン陥落1945」によく描写されている。またBMW社は自動車で有名だが、多数の航空機用Engineも生産したメーカーである。以下の表はドイツ空軍省の開発番号と製造メーカーのEngine Model名の関係を示している。 |
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ドイツ空軍省開発番号 109-001 109-002 109-003 109-004 109-006 109-007 |
製造メーカー Heinkel He S BMW P 3304 BMW 003 Jumo004 Heinkel He S 30 Daimler-Benz ZTL |
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Deutsches
Museum Deutsches Museumにひっそりと佇むBMW003、Compressor Spoolが現代のEngineと同様にSimpleである。Compressor Spool先頭に取りつく電動Starterを除き全体的なレイアウトは現代のEngineと同じであり、機械構造物としての完成度は高いレベルに達していたと考えることが出来る。 Fig
1-1 |
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Science Museum BMW003 Fig 2が最前方で順番に後方を撮影している。Fig5が最後尾。 Fig1-2 |
Inlet部分Trailing EdgeにはSkin固定のためのRivetが打たれている。 Fig2 |
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Inlet内側からOil Coolerに空気を導くDuctとOil Coolerが左側に見える。左上から右中央に伸びるTubeは最前方のBearingへのOil Tube。 Fig 3 |
Altitude Compensation付のSemi-Auto Fuel System。Case上の膨らみはCooling空気のManifold。 Fig 3 |
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右側の平らな部分の内部に長いCombustorが組み込まれている。 Fig4
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Fig5 |
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BMW003Bに採用されたHallow Turbine Blade。Nickelの不足から苦肉の策としてCooling Bladeを考え出したという。Root 5の部分からAirが入りTipからそのまま排出される。内部のCircuitはまだ無いが、Insertが組み込まれ流量が制御されている。 Fig6 |
Combustorの詳細。三角の突起はAir Blending Finとも呼ばれ、未燃焼Gasに空気を導入し完全燃焼を促進し、またGas温度を低減させTurbineの負荷を減少させる。このような仕組みを備えても初期のJet Engineの加速はひどいものであった。またこの仕組みは重量増、Combustorの大型化を招く。 Fig7[8] |
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SpinnerにはPiston Engineが配置され始動の際、手でStarter Cableを引きまずPiston Engineを始動させ、その後Engine自体が始動される。Inletの後方にあるのはOil TankとOil Coolerで、Inletからの空気をOil Coolerへ導き、Oilとの熱交換で温まった空気がInlet Lipに導かれ防氷の役割を果たす。Compressorの後方に2個、Turbineの直前に1個Bearingが配置され、これらのBearing付近にはCompressorのAirが流れCoolingされる。Combustorはこの時代唯一と言ってよいAnnular Typeである。一般的にAnnular Typeは機械強度が低く出口温度がばらつきやすいが、理論的には大量の空気それに伴う大量の燃料を投入することが可能になり大きな推力が期待できる。Annular Typeは1960年代にようやく信頼性に足る設計が可能となり大型Engineに採用されるようになり現在のEngineでは主流となっている。Combustorの中央に三角形の突起があるが、これはFig6で説明しているAir Blending Finである。現代のEngineでも燃焼効率向上、Noxの減少のためCombustorの中央で空気を大量導入するHoleがあるEngineがあるが、そのIdeaはここから発想されているのかもしれない。Exhaust Nozzle
ConeはBall Screw Actuatorにより軸方向に移動しExhaust Nozzle面積を変化させExhaust速度を調整する機構がある。Exhaustの口を狭めれば速度はより速くなるが、その状態では低回転時に流れが詰まってしまうので可変Nozzleが開発された。現代の戦闘機のEngineでは必須の装備である可変Nozzleと同じようなものがすでにこの時代のEngineに装備されていたのは驚きである。英国のEngineにはこのような仕組みは無いので、ドイツがいかにJet Engineの全体的な流体的問題を把握していたかが分かる。 Fig8[7] Royal Air
Force Museum He-162A-2
BMW003を背負ったHe-162A-2。終戦間際に設計製造され、国民戦闘機と呼ばれたが操縦が
Fig10 Hermann Oestrich博士 難しい戦闘機であった。大量に生産されたので各国の博物館でよく見かけることが出来る。 Fig9 |
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参考Web(写真) Heinkel He 162
BMW003 Jet Engine by Norman A. Graf Deutsches
Museum Flugwerft Schleibheim BMW 003 Jet Engine
Canadian National Aviation Museum 1940’s German Jet Technology 2, Rolls-Royce Heritage Center Sinfin Site |
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参考Web [1]Flugplatz [3]Canadian National Aviation Musuem [7] Aeronautical Research in Germany:
From Lilienthal until Today [8] Combustion in the Gas Turbine A
Survey of War-time Researh and Development |
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