Aerodynamiche Versuchsanstalt Göttingen(AVA) |
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Aerodynamiche Versuchsanstalt
Göttingen (AVA)(空気力学研究所)は境界層の研究で有名なLudwig Prandtl博士により設立された研究施設であり、現在でも流体研究のメッカである。ドイツの都市は戦争中の爆撃で大きな被害を受けているが、AVAは戦後その研究成果を利用する目的があったため爆撃目標から外されていた。実際ドイツにあった特殊な風洞が戦後アメリカに多数持ち去られている。AVAでは1927年よりAxial
Wheel (Compressor)のモデル試験を行っていた(Fig4)。この試験機は直径150〜200oのAxial
Wheelを2段組みつけ33,000rpmまでの速度で試験することが可能であった。この試験機によりAxial Wheelに取り付けた様々なBlade形状によるAxial Stage Loading, Efficiency, Flow Coefficientの関係が体系的に試験され、例えば次のような現象が理解されていた。 @ それぞれのWheelはその最大の性能を出すポイント近くで運転されるが、そのポイント近くはMaximum Pressure Pointを結んだStall Lineの近くでもあるので、そのStall Lineに近寄らないことが重要である。 A Compressorの入口流れの角度が重要であり、そのためにRotorの前にStatorつまりInlet Guide Vaneを置くことが必要になる。このことによりRotorに効率的に円周方向流れを供給出来る。 B Inlet Guide Vaneを誤った角度に設置すると、空気流の速度が高くなりすぎ、流れが音速を超える危険性がある。(その当時はまだ音速を超えた状態での空力の振る舞いはよく分かっていなかったので、そのような状況は好ましいものではなかった。) C 圧力への変換はRotorのみにより行うのが好ましい。この方法によりStatorは板を湾曲するだけで製造が可能となり生産が容易となる。 AVAによる研究成果の1つはSiemens-Betz Axial Fanとして換気ファンに応用され多数製造されていた。AVAのAlbert
Betz博士(Fig1)はWalter Encke博士(Fig2)との研究結果から、1938年1月”We have
gained the impression from the supercharger developments that one can obtain
quite good efficiencies even if one would use the wheels for large pressures.
One should only arrange more wheels after another and increase the speed of
rotation as much as the speed of sound allows.”と報告している。一方1934年にInstitute of Technology in BerlinのHerbert Wagner(Fig3)がドイツ初のAxial Flow Jet Engineに関するConceptをまとめている。1936年Werkzeugmaschinenfabrik Magdeburg社(後Junkers社に合併される)においてHerbert WagnerとMax Adolf MullerによりRTOと名付けられた14-Stage Axial Flow
Compressor/Single Combustor/2 Stage Turbineで構成される世界初の軸流Compressor Engine が試験された(Fig5)。(14-Stage Axial CompressorはGE社CF6, CF34でも使用されており、その源泉はここにあるのではないかと思わせる。) BMW003, Jumo004でAxial Compressorが採用されたのは1938年にAVAのMulti-Stage
Axial Compressorに関する報告の影響が大きく、また初期のJumo004のCompressor BladeはAVAの施設で製造されている。Junkers社はPiston Engine用のSuperchargerの開発においてAVAとの共同作業の経験を有しおり、Jumo004の開発においてCompressor BladeはAVAで研究されたBladeをほとんどそのまま採用した。BMW003の開発においてもAVAと共同でBladeの開発が当初は行われ、当初はStatorは流れ方向を変えるだけの設計としたが、必要推力が得られないことが明らかとなり、Statorも圧力変換を行う方法へ設計変更された。Walter Encke博士はBMW社、Junkers社のアドバイザーとして終戦まで過ごすことになる。[1] |
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Fig1 Albert Betz博士[1] |
Fig2 Walter Encke博士[1] |
Fig3 Herbert Wagner博士[2] |
Fig4[1] |
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Fig5[2] |
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参考Web [1]Aeronautical
Research in Germany: From Lilienthal until Today |