29度上期「トークサロン」第2回

 

   『日産ゴーン改革と関連会社での事業構造改革に携わって』

 

平成29年度上期第2回厚木稲門会「トークサロン」が、82日(水)レンブラントホテル厚木の中華レストラン「トルファン」にて開催されました。

今回のスピーカーは、杉崎文男さん(S43 商)。「日産ゴーン改革と関連会社での事業構造改革に携わって」というテーマで資料を用意され詳しくお話されました。

 

カルロス・ゴーン氏は両親はレバノン人で、ブラジルで誕生。6歳の時、レバノンに移り、17歳までレバノンで教育を受けた後、フランスの大学入学試験(バカロレア)に合格、フランスのエリート中のエリートを養成するエコール・ポリテクニークを首席で卒業し、さらに理科系のグランゼコールパリ国立高等鉱業学校)に入学、多国籍の人材と交流し多言語をマスター。

卒業後、1978年にフランスの大手タイヤメーカーのミシュランに入社し、北米ミシュランでの経営の立て直しの実績が認められ、1996年ルノーのナンバー2(上席副社長)としてルノーへスカウトされる。

 

ゴーン氏は、部門の壁を破るためにクロス・ファンクショナル・チームを立ち上げるとともに、部品の共通化、集中購買、ベルギー工場閉鎖や、当時、欧州で最も生産性の高い日産のサンダーランド工場を目標にしてコスト削減を行う等、手腕を発揮しました。(ここでの経験が日産で生かされる)

一方、日産との提携を見越して、幹部は日本語・日本文化を勉強すべしと提案すると共にパリ日本文化会館の館長(元NHKの欧州総局長であった磯村尚徳氏)から日本文化を学びました。

             

19993月、7年間赤字が続き資金繰りが難しい状況にあった日産はルノーと資本提携を結びました。

ゴーン氏は3月に来日して6月に最高経営責任者(CEO)に就任しましたが、それまでに日産の各層(役員、管理職、一般従業員)と精力的に対話をして、就任挨拶で、日産の強みは、@国際的な知名度に加え、A優れた製造システムがあること B高い技術力があること C努力を惜しまず、会社の方針を理解してくれる人々がいる、と語りかけた。そして、日産が前年5月に発表したグローバル事業革新はその方向性は正しいが、1年経過した今、もう一度見直し「日産復活計画」に発展させますと述べ、10月に「日産リバイバルプラン」を発表。その骨子は、@連結営業利益目標4.5%(2002年) A2000年度までに黒字転換。購買コスト削減目標20% B有利子負債の半減(7千億円の削減)。

杉崎さんは、ゴーン氏は系列の廃止や金融株を全て売却する等日本人にはできないこともして、短期間で日産の経営再建を果たしたと振り返っていました。

尚、ゴーン氏はコストカッターとしてのイメージが強いのですが、彼の本質(真髄)は、企業の永続的な発展に向けて、グローバルに通用する人材を育てることが最も重要であると人材の育成に力を入れた点にあります。日産をグローバル競争に勝てる会社にするために、ゴーン氏が行ったリバイバルプラン達成に向けてのゴーン流の経営手法と組織・人事システムの紹介がありました。以下その一部:

(1)ベーシックな経営手法:コミットメント(必達目標として約束)とターゲット

(目指すべき目標)を設定、コミットメント未達の場合、責任を問われる。

(2)問題解決手法:クロス・ファンクショナル・チーム(部門の壁を破れ!)

    会社内に存在するセクショナリズムや部門間の壁、上下階層の壁を越えた仕事の遂行が大事。テーマごとにチームを結成。

(3)将来を担う、次世代のリーダーの育成:ハイポテンシャル選抜

 

杉崎さんはS43年に日産自動車に入社。経理部門、研究開発部門、労働組合の専従役員等を経験、19985月に日産の構造改革プランを作成チームの一員としてまとめた後、同年6月に関連会社である()ユニシアジェックスの取締役に就任。199810月に当時日産と同様苦しい状況にあった(株)ユニシアジェックスの総責任者として「構造改革プロジェクト」を立ち上げました。

 

杉崎さんが陣頭指揮を執り、従業員の雇用を維持しつつコスト削減、将来の発展等、改革プロジェクト実現に大変ご苦労された主な事例は次の通りです。

@クラッチ事業:マニュアルクラッチの市場は、日本は15%、欧米は85%、フランスのヴァレオ社との合弁会社設立合意(20004月)により、従業員の雇用の維持と市場の拡大によるコスト削減を実現。

Aステアリング事業の将来性:ボッシュ・ブレーキシステム社と交渉し、大型トラック用を含むステアリング事業を買収(20017月)

「ユニシアJKCステアリング会社」を設立、日本のトップメーカーに。

中国市場での大型トラックの需要の急速な拡大に対応できた。

B九州・いわき工場の分社化(20004月):雇用を維持しコスト削減を実現。

C中国に新規工場・生産拠点の設立(2002年):中国の高成長に対応できた。

以上のような取り組みにより、日産のゴーン改革への対応と合わせ、関連会社としての事業改革を進めることができた。

 

結びにあたって、「これらの改革の実行にあたって、意気に燃えた素晴らしい社員たちに遭遇できたことは本当に恵まれたことだった。」という言葉に責任者としての杉崎さんの人柄が感じられました。

                        (S50商 小澤秀通)