28年度上期「トークサロン」第2回

 

『前人未踏のブルドーザーによる富士山頂への登坂に挑む』

 

 平成28年度上期第2回厚木稲門会トークサロンが、730日(土)にレンブラントホテルの中華レストラン「トルファン」にて開催されました。

 今回のスピーカーは、鈴木久昭さん(S27 理工)。テーマは、「前人未踏のブルドーザーによる富士山頂への登坂に挑む」という、まさにプロジェクトXを地で行くお話でした。

 実際に、この建設工事のドキュメントは、NHK総合テレビ番組『プロジェクトX

〜挑戦者たち〜』の第1回「巨大台風から日本を守れ 富士山頂・男たちは命をかけた」(2000328日放送)で取り上げられ、大きな反響を呼びました。ご覧になった方も多いと思われますが、私も当時テレビを見たときの感動を思い起こしながら、鈴木さんのお話に耳を傾けました。

 

きっかけは、S341959)年の伊勢湾台風により死者・行方不明者5千人以上という未曽有の大被害が発生したことを受け、気象庁は台風の状況をより早くキャッチするためS38年から2か年計画で富士山頂に気象レーダーを設置することになりましたが、工事に必要な大量の骨材運搬等にブルドーザーを使えないかという要請に応えるものでした。

なお、富士山の8合目より上は明治維新以降国有地化されていましたが、浅間大社が国に対しS321957)年に返還訴訟を提起し、その結果、8合目より上は浅間大社の境内ということになったという経緯があったため、境内地内の行動は浅間大社の指示に従わなくてはなりませんが、その大社としても、このレーダー設置には全面的に賛成の立場だったということです。

 気象レーダーの設置工事は三菱電機と大成建設に発注され、鈴木さんは三菱重工の技術者としてブルドーザーを実際に富士山で走行させることを担当されました。

 当時富士山頂にある測候所への物資の運搬は、御殿場の基地から太郎坊までの約10qを専用トラックで運び、太郎坊から7合8勺までの約12qを馬方で、さらに7合8勺から頂上までの2.6qは強力(ごうりき)による人力でという大変な手間暇をかけ、そして運ぶ量も限られたものでした。また、雪が降ると馬が使えないという季節的な制約もありました。

 ヘリコプターによる運搬も考えられたものの、富士山頂付近は乱気流が激しく、大きな危険を伴うものでした。実際にS411966)年には羽田発香港行BOAC機が御殿場口太郎坊に墜落、124名全員死亡という大惨事も起こっています。

 そこでブルドーザーによる運搬が考えられたのですが、日本一の高さを誇る富士山であるが故の越えるべき困難がいくつもあり、鈴木さんたちは努力と工夫でこれらを次々に解決していったのでした。

・7合8勺まではブルドーザーが登れるが、その先の傾斜角度は2535度あり、それより上は登山道を避け、道路を造る必要がある。

・富士山では冷却水が得られないため、エンジンは空冷式を採用する。

・エンジンの潤滑油が登りと下りで偏らないように、強制的に循環させる。

・足回りは火山灰のため、トラックシューの幅を拡げて接地圧を下げる。

・高度によるディーゼルエンジンの黒煙は、燃料噴射を絞ることで対応する。

 こうした工夫と改良で、どうにか行けるという見込みがついたことから、テスト車を御殿場に搬入し、太郎坊と78勺の間を無事に登ることができました。

 その後、2tのブルドーザーを頂上まで登らせるため、ジグザグの道を造る必要があり、これには馬方、強力が力を合わせて人力で道を造りました。そして、その2tのブルドーザーを頂上まで登らせた後、今度は7tのブルドーザーが通る道を造るため、2tのブルドーザーが下に向かって道を拡げていきました。その時に出た土砂は、宝永火口に落下させたとのことでした。豪快な話ですね

 こうして、S381963)年928日、7tのブルドーザーが頂上まで登ることができるようになり、物資の輸送は飛躍的に改善されました。

 富士山レーダーはS3919645月に着工、そしてプロジェクトXのハイライトであるレーダードーム骨格のヘリコプター空輸が行われたのが終戦記念日の815日。操縦を担当した旧日本海軍航空隊出身のパイロット神田真三氏が、ゼロ戦パイロットを養成する教官として多くの教え子を特攻作戦で見送ったことを踏まえ、決死の覚悟でこの極めて困難な任務に挑んだことを語るとき、鈴木さんは思わず絶句し、我々も胸が熱くなりました。

 S3919649月、富士山レーダーは運用を開始し、以降H111999)年に気象衛星にその役目を譲って歴史を終えるまで、35年間にわたって日本の気象観測の文字通り最前線であり続けました。

鈴木さんは、「自分の家族に誇れる仕事ができた」と謙虚におっしゃいましたが、延9000人の男たちの命を懸けた壮大なプロジェクトの中に、たしかに鈴木さんはいたのです。本当にお疲れさまでした。こんなすごい先輩にお会いできて、本当に良い時間を過ごさせていただいたことに感謝しております。

S52 文 小林孝雄)

 

(補遺)

この報告をまとめるに当たり、興味がそそられインターネットでいろいろと調べま

した。中でも「Grazie!Prego!」というホームページ内の「プロジェクトX 巨大台

風から日本を守れ〜富士山頂・男たちは命をかけた〜」はお勧めです。ぜひご覧ください。