セバスチャン 西川 哲彌
岩橋神父様が亡くなられて約1か月が経ちました。 11月23日には、中国センターの方々と合同で追悼ミサをささげました。 その時、司教様のご好意で神父様のご遺骨を司教館からこちらに移させて頂いてお別れの気持ちをお伝えする機会にも与らせて頂きました。 今は静かにそのお人柄を思い出して生前を偲ぶばかりです。 神父様と云えばなんと云ってもその笑顔です。 いたずら少年のようなかわいい眼をして人を笑わす技術は抜群でした。 駄洒落と云ってしまうには惜しいようなユーモアを次から次へと繰り出しそこにいる人々が腹を抱えて笑ってしまうという事がしばしばありました。 ですから、司祭達の集会でも神父様のまわりに老若の司祭達が集まって談笑のひとときを過ごすのが通例でした。 難しい事を相談しに行ってもそれ程深刻にならないで最後は笑いで終る。 しかも大事なことにはきちんと答えているという不思議さを多くの人が体験しておられることでしょう。 こんなことがありました。 本所教会に酒井俊雄神父様がいらっしゃった頃です。 9月29日に本所で下町宣教協力体の協議会が開かれました。 会議が終わって用意されていた花束が贈られ「酒井神父様、ご霊名の祝日おめでとうございまーす」と声がかけられ、拍手につつまれました。 酒井神父様は意外なプレゼントにびっくりされながらも、細い眼を更に細くされ喜んでおられました。その時岩橋神父様が「酒井神父様、ちょっと立ってください」と言われました。 酒井神父様は何のことかわからないまま立たれました。 すると岩橋神父様が「まわれ右」と言われたので酒井神父様はそのまま後ろむきになられました。 すると次に「そのままこちらを振り向いてくださーい」という声がかかって酒井神父様は顔をこちらに向けられました。 すると岩橋神父様が「みかえりの酒井神父様、おめでとうございまーす」とおっしゃたのです。 皆はなんの事かとそのやりとりを見ていました。 やがて笑いが起こり、そのうち爆笑となって拍手まで起きました。 つまりその日はミカエルの日であり、酒井神父様のご霊名だったのです。 酒井神父様といったら細い眼から涙がこぼれる程喜ばれ、そこにいた者は立ち上がったりして笑いました。 岩橋神父様の当意即妙なる言葉の綾でどれ程の人が笑い、心をあたたかくされたことでしょう。 ひょっとしたら福音とはそんな所に極意があるのかも知れません。 酒井神父様はその当時かなりつらい思いをされていたようですから、どれだけ癒されたことでしょうか。 想像出来ません。 岩橋神父様の明るくて尽きないサービス精神はいたる所で発揮されていました。 「神父様どうしたらそんな笑いがとれるんですか」と誰かが尋ねた時、直ちに答えが来たそうです。 「ボク、落研出身だもーん」
※「神父様は出身校の都立青山高校で落語研究会に入っておられました。 |