上野教会 教会報 「うぐいす」 より
■ 247号 闇に輝く光を見る2024.12.31

フランシスコ・ザビエル 天本昭好

毎年やってくるクリスマスを皆さんはどのように迎えているでしょうか?
大人になるにつれて、主の降誕を祝うことも、当たり前の感覚の中で当たり前のように過ぎ去って終わることがあったとしても不思議ではありません。
クリスマスにまつわる有名な実話があります。1897年のニューヨーク・サンという新聞社に、ある少女が「サンタクロースっているんでしょうか?」と質問した手紙を書いたそうです。
それに対してその新聞社は新聞の社説で答えていきました。その女の子はこんな質問をしていきます。

あたしは八つです。あたしのともだちに、「サンタクロースなんていないんだ」っていっている子がいます。・・・(中略)・・・
ですからおねがいです。おしえてください。サンタクロースって、ほんとうにいるんでしょうか?
バージニア・オハンロン
(『サンタクロースっているんでしょうか?』中村妙子訳 偕成社 2009年改訂)
この8歳の女の子の質問に誠実に向き合っていく新聞記者もすごいと思いますが、それを新聞の顔とも言える社説に掲載していく新聞社の力量も素直にすごいと思います。その答えは当然「サンタクロースはいる」ということ。次のように答えていきます。

サンタクロースがいるというのは、けっして嘘ではありません。この世の中に、愛や、人への思いやりや、真心があるのと同じように、サンタクロースも確かにいるのです。
・・・(中略)・・・・
 サンタクロースがいなければ、人生の苦しみをやわらげてくれる、子どもらしい信頼も、詩も、ロマンスもなくなってしまうでしょうし、わたしたち人間の味わう喜びは、ただ目に見えるもの、手で触るもの、感じるものだけになってしまうでしょう。
 また子ども時代に世界に満ち溢れている光も、消えてしまうでしょう。

この新聞記者が書いた答えをわたしたちはどのように受け止めていくのでしょうか。鼻で笑ってすましてしまうようなことでしょうか。大人になるにつれて忘れ去ってしまうことなのでしょうか。8歳の女の子に向き合っていくこの新聞記者のジャーナリストとしての気概が伝わると同時に、闇に輝く光を見ている大人の在り方を教えてくれているようです。万華鏡のように変わりつづけていく社会にあって、仮に翻弄され続けて終わってしまいそうになったとしても、闇に輝く光があることを証していくのが、ミサのなかで御言葉を聞いているわたしたち大人としてのキリスト者としての役割なのだと思う次第です。この8歳の女の子が大人になった時、もし同じように質問されたら、大人としてどのように応えていったのでしょうか。きっと、この新聞記者と同じように語っていったのでしょう。大人の優しさや力強さの背後にあるものをわたしたちに教えてくれる逸話のようにも思います。
イエス・キリストを信じるわたしたちにとって、飼い葉桶に寝かされた幼子イエスがその出発点であり、目に見えない神がわたしたちを養い育て導かれていくことを確かめていく時が、この主の降誕の時です。世間的にはクリスマスシーズンの社会の喧騒にあっても、静かに語りかける神のみことばに耳を澄まし、この世界見渡して見れば、わたしたちひとりひとりがどのようにこの世界を歩もうとしているのかも見えてくるのでしょう。最後になりましたが、主のご降誕おめでとうございます。新しい年が良い一年となりますように。


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