| ■ 251号 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。 (ルカ2:7) | 2025.12.31 |
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フランシスコ・ザビエル 天本 昭好 皆さんにとって今年はどんなことが印象に残ったでしょうか。わたしにとっては、やはり谷川岳で遭難しドクターヘリにお世話になったことが一番です。目の前の岩との距離感がつかめなくて、鎖で体を持ちあげて登ろうと自ら頭をぶつけにいった状態で倒れてしまいました。ヘリで搬送された救急病院で16針を縫うことになってしまいました。救助隊の方たち以上に、登山中の見ず知らずの方たちが本当に優しくお世話してくださったことに感謝しかありません。正直、中年おやじの無謀さと体力のなさに打ちのめされてしまった出来事でした。落語でいうところの豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまう無様な人間でしかありません。そんな自分を卑下することよりも、見ず知らずの方たちから与えられたやさしさに感謝し、わたしもまた、そのやさしさを伝えられるよう生きていきたいとあらためて思う出来事でした。生涯で忘れてはいけない出来事が一つ加わりました。 言うまでもなく、わたしたちにとって生涯忘れてはならない出来事が主の降誕の出来事です。いのちを与えられる神は、わたしたちがそのいのちを養い守り育てていくことができる存在であることを、おとめマリアとヨセフの姿を通してわたしたちに教えられます。わたしたちがいわゆるクリスマスを祝うとき、この意味をしっかりと味わいたいものです。この世界で互いに何の関係もないはずの人たちが、飼い葉桶に寝かされた幼子イエスを通して新たな出会いが生まれていくことをご降誕の出来事は物語っていきます。 ひと昔前に、「クリぼっち」「セルフサンタ」という言葉が流行ったそうです。「クリスマスにひとりぼっち」が略されて「クリぼっち」、自分がサンタとなって自分へのご褒美としての贈り物を自分に渡すから「セルフサンタ」。クリスマス商戦のキーワードだったようです。普段はおひとり様なのに、クリスマスに限って相手がすぐに見つかるわけもなく、結局ひとりぼっちのなかで、クリスマスの雰囲気をいかに味わうか思いを馳せる人の姿がそこにあるのかもしれませんし、ネガティブなイメージよりも、面倒なことを避けて自分らしく、明るく「おひとりさま」を楽しんでいる大人の姿があるのかもしれません。どちらにせよ、クリスマス商戦のなかで考え出された言葉とはいえ、文化として根付いていく中で、今の社会の根っこの部分が掘り起こされていく言葉のようにも思えます。新しい出会いや新しい絆を造り上げることが大人になればなるほど難しいことを物語っているかのようです。奥底にあるのは、理由はどうあれ、個人が社会の中で孤立した状況に置かれ易いことを告げているのでしょう。時代は移ろいやすいもののその社会のありようはもしかすると古代も現代もそんなに変わらないのかもしれません。 幼子イエスが寝かされた飼葉桶というもののイメージは一般的には馬小屋に結び付けられてしまいますが、旧約聖書のイザヤ書では次のように語られていきます。 「天よ聞け、地よ耳を傾けよ、主が語られる。わたしは子らを育てて大きくした。しかし、彼らはわたしに背いた。牛は飼い主を知り、ろばは主人の飼い葉桶を知っている。しかし、イスラエルは知らずわたしの民は見分けない。」(イザヤ1:2―4) 人間の家畜である牛やろばは自分たちが何によって養い育てられているかを理解していきます。そのため、飼葉桶はこの自分たちを養い育てていくものを認識するキーワードとなっています。対照的に一方の家畜の主人であるはずの人間は神が養い導く存在であることを忘れてしまっていることを痛烈に批判していきます。この飼葉桶のイメージから降誕の出来事を理解するとよいのでしょう。それは飼葉桶に寝かされた幼子イエスを通して、わたしたちは今の時代がどのような時代なのかをあらためて見つめなおし、自分を養い育てていくものとして、命の与え主である神から遣わされたイエス・キリストがいらっしゃることを理解していくことができるのでしょう。 ちょうどイエスの誕生の時、羊飼いに告げ知らされたように、幼子イエス・キリスを通して、その社会で決して関わりあうことがなかった人たちが互いに出会うことになっていく。お互いがお互いの顔も名前も知らなくても、幼子を通して、ひとりひとりに新しい接点が与えられていったとき、どんな暗闇がその社会を覆っていたとしても、幼子イエスの光によってわたしたちは「ひとりぼっち」に孤立することなく新たな絆を作りだすことができるのでしょう。たとえ、貧困・暴力・差別が罷り通っていく社会にあったとしても、そこで神は自らの愛する子を何の躊躇いもなくわたしたちに与えられていることに大きな意味を見出しています。たとえひとりぼっちでも、幼子イエスとの出会いによって、ひとりぼっちの世界から抜け出すことができることをわたしたちはこのクリスマスと呼ばれていく降誕の出来事の中でしっかりと味わっていきましょう。主のご降誕おめでとうございます。新たな一年が神の祝福で満たされますように |