「喜」と「楽」について

 「喜怒哀楽」の中にある「喜」と「楽」については、人生の折節に触れ何度も
考えてきました。今、自分が求めているのは「一時的な楽しみ」に過ぎないのか
それとも「人生の目的にかなった喜び」なのかという自問自答です。
 
若い頃に読んだ宮城音弥さんの『性格』(岩波新書)からの影響だと思います。
「感銘」を受け人生の指針としてきました。※読み直して記憶違いとわかりました
 テレビを見たり、マンガを読んだり、ゲームをするのは「楽」だが、それは「喜」
ではない。「喜」は「楽」のような表層的で一時的な感情とは異なり、生き方が
間違っていないことへの「神様からのご褒美」のような感情である。人間はその
ように設計されているから、「喜」を「羅針盤」とすれば道を大きくそれることはな
い。そんな内容だったと思います。
 人生の目的を達成するための忍耐や苦痛は、楽しくはないが喜びに通じている。
「今が頑張り所」だと何度か自分を励ましてきたように思います。
 それでは修験者のようにストイックに生きてきたかというと決してそうではありま
せん。ゲームでは「ドラゴンクエスト」のシリーズは全てクリアしました。「ファイナル
ファンタジー」シリーズも好きでした。今は全くやりませんが、若かりし頃はパチンコ
で「達成感」を味わっていたこともあります。食通ではありませんが「食物」にも好き
なものが沢山あります。楽しさを否定しているわけではありません。それだけを求め
てはいけないということ。 
 
人生で大事なのは「志を達成すること」(自己実現)。また、人間は一人ではなく社会的存在
でもあるので自分以外の「誰かのために生きること」も「喜び」につながっていると考えます。

 「参考」語源には諸説ありますが、それぞれ一つずつ紹介します。
   「喜ぶ」・・・魂が寄り揺れるという意味の動詞ヨル(古語)から
    (
自分の成し遂げたことをうれしく思い湧き上がってくるくる感情
   「楽しむ」・・・精神的に満ち足りて、手を伸ばしてよろこぶタノシ(手伸)から

     (外部からの刺激によって味わう愉快な気持ち)
  
 ※生物の教員としては「ホルモン」との関係に触れたくなりますが、趣旨が異なるのでやめます。
   「喜び」(ドーパミン)、「愛情、絆」(オキシトシン)、「安心」(セロトニン)
  

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