親鸞聖人の話
松若丸(後の親鸞聖人)は9歳の時、両親をなくして出家するため生誕の地「日野の里」から
12キロ(3里)の道を歩いて京都三條粟田口の名刹「青蓮院」に着いたのは夕方になってしま
いました。
戎氏は慈円僧正(後に天台宗の座主になる)でしたが「今日はもう遅いから式は明日にしよう」
と言われた時に
明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは
と謳ったといわれています。
慈円はその心根に感動し、夜になっていましたが「入門の式」を執り行いました。
今も「夜中入門の式」として得度式などで執り行われることがあるそうです。
※ 「参考」
古歌に「いまというときいまはなし まの字きたればいの字すぎゆく」というのがあります。
ドイツの詩人シラーは、未来は、ためらいつつ近づき
現在は、矢のように飛び去り
過去は、永久に静かに立っている と「時」を表現しています。