不明な点が多いのですが、「話の種」として取り上げました。
清少納言(女房名)
本名は「清原 諾子(なぎこ)」
父は「清原 元輔」。著名な歌人で「梨壺の五人」の一人。官位は「従五位下」。
「清」は父の姓から。「少納言」は職名のはずですが、親族に「少納言」はいないので
なぜ「少納言」なのかについては諸説あります。
今までは「少納言さんちの清さん」くらいの意味だろうと漠然と思っていましたが調べ
てみたら違っていました。
陸奥守「橘 則光」と結婚し「則長」を、離別後に摂津の守「藤原 棟世」と再婚し歌人
となる「子馬命婦(みょうぶ)」を生んでいます。
藤原 道隆の娘で一条天皇中宮(後に皇后)の「定子」に仕えました。
生没不明ですが、965年頃に生まれ、1,025年頃に没したと推定されています。
紫式部(女房名は「藤式部」)
本名は「藤原 香子」(読みは、かおりこ・たかこ・こうし・よしこなど諸説)。
幼名「もも」という説あり。
父は「藤原 為時」で官位は「正五位下」。花山天皇に漢学を教えた漢詩人ですが
「越前」の国司にまでなっています。そのため「式部」ではなく「越前」を名のっていても
不思議ではありませんでした。
女房名は「藤式部」で「紫」は「源氏物語の「紫の上」(光源氏の正妻格の妻の名)から。
「藤原 宣孝」に嫁ぎ、「女房三十六歌仙」の一人「大弐三位」となる娘「賢子」を産んで
いますが、夫とは三年後に死別しました。
「藤原 道長」の妾だったという説もありますが真否不明です。(求愛されたのは事実)
(紫式部は道長の長女で一条天皇中宮の「彰子」のいわば「家庭教師」)
生没不明ですが、970年に頃生まれ、1,020年頃に没したようです。
[ 参 考 ] 「かみ・すけ・じょう・さかん」
「陸奥守」で思い出したことがあります。
大岡越前守、吉良上野介、遠山左衛門尉などについている「守」「介」「尉」は一等官・
二等官・三等官の例です。役職により使われる漢字は異なりますが読みは「かみ・すけ・
じょう」で共通しており、四等官もまた役職により使われる漢字こそ違え「さかん」であるこ
とが共通していたように記憶しております。
ちなみに「少納言」は三等官の判官(じょう)、「式部省」は太政官八省の一つです。
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