さいたま市浦和区町田けい子ピアノ教室

詳細2


音楽が第二の母語になること

ほとんどの幼児は、楽譜を見て、間違えないで弾くことより、
アドリブや作曲の方が、生き生きとして、好きになることが
多いです。

片言でも、音楽で自分の気持ちが、
表現できるようになると、母語と同じで、
ピアノを弾くことは、「練習しなくては」と、
かまえてやるものではなく、日常生活の一部になり、
講師が、宿題を出さなくても、子供さんは、家で、
どんどん遊び弾きをします。

それは、電車のなかで、「静かにしなさい」と親御さんが、
注意しても、ついはしゃいで、しゃべってしまう幼児と
同じ事かもしれません。

音楽が第2の母語になると、日本人が日本語を話す事を、
止めないのと同じで、ピアノを続けるとか、やめるという
次元ではなくなり、ピアノは心の元気を育ててくれる、
生涯の親友になります。

もし、母語の習得が、名作や芝居や人が書いた原稿を、
間違えないで読んだり、演技するだけで、
日常会話が、存在しないとしたら、空しい生活になるし、
自分の心や頭で、感じたり、考える力も育ちません。

母語は人間の生のなかにあるのと同じように、
音楽も、教則本や楽譜や、楽器の前だけに
あるのではなく、幼児が、心を動かされた時に、
ついデタラメな唄を歌ってしまうようなもので、
人の生のなかに、音楽はあります。
それが、音楽の本質だと思います。

太古の昔の音楽の始まりは、日常生活の中から、
自然に生まれてきたもので、ビジネスとは、関係がない
ものでした。

しかし、時代が進むと、音楽はビジネスになり、
楽器商や、興業主や、出版社や、音楽教室や、
音楽学校ができてきます。

ビジネス的な視点ばかりに偏ると、
「どれだけ利益を出したか」という視点ばかりになり、
「音楽は人の生のなかにあり、
人がよりよく生きるために、音楽はある」
という本質を、見失いがちになります。

もし、母語の習得が、言葉の教室や、教科書のような、
ビジネスで学ぶもので、お金が介在しない、
親子の日常生活で、習得するものではないとしたら、
人が、よりよく生きることに、多大な弊害が出ると思います。

プロの作家でも、母語の習得が、ビジネスとは無縁の
日常会話をまったく経験せず、言葉の教室というビジネス
だけで習得していたら、プロにはなれない予感がします。

私は、講師として、ビジネス的な視点とは距離をとり、
「人の生を応援する音楽」という、
人間的な視点を見失わないように、努力したいと思います。

乳幼児の母語の習得は、日常会話から始まり、
 読み書きを学びます。
子供さんの音楽の習得も、この順番が、無理がなく、
 楽しく学べて、伸びが良いです。

英会話ができる人の方が、できない人より、受験英語の
 習得もらくなのと、同じ事で、音楽で稚拙でも、
会話ができるようになると、楽譜を読んで弾くことも、
会話がまるで、できない人よりも、習得が楽になります。

お子さんが、お話を創作し、作曲して、絵をかいて、
動画を創作する事もできる時代です。

このような自由な創作は、
幼児の独創性や創造力を育て、
幼児の感性でひらめく力は、
大人の予想外の能力を見せる事が、よくあります。

「ピカソは、子供になりたかった天才だ」
という言葉がありますが、画家のピカソは、
まだ、既成概念に染まっていない子供の自由な
創造力から、芸術の本質を、学ぼうとしました。

音楽は、論理的思考を超えた感性の領域も多く、
AIという機械では、できない人間しかできない能力を、
必要とします。

例えば、AIには、「お母さん」というたった一言で、
人を感動させる事は、できません。

子供の「ママ」という、たった一言で、子供のいろいろな
気持ちを感じ取ることは、できません。

音楽を聴いて、人間のいろいろな気持ちを、
感じ取る事は、AIには、できません。

演奏することで、言葉で表現できない多様な心を、
表現することは、AIには、できません。

「人間らしい心を育てる学び」を、模索したいです。

未熟で、努力課題が多い私ですが、
生徒さん独自の世界を表現する、人間らしい喜びを、
音楽でサポートして、生徒さんの心の元気を育てる、
わずかな一助になれたら、私の望外の喜びです。

  2019年 町田けい子

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