戦場の旗手[2003年1月〜4月]
Koichi's Room


   
04月14日 第1回阿佐バリ後日談(その6)
 どんな舞台もお祭りも、終わってしまえばあっけないもんで、すべてを片づけたあとの現場に立つと、本当に「アレ」はあったんだろうかと思います。いつも、思います。今までにも、すべての装置や照明をバラしたあとの空になって舞台裏がむき出しになった劇場の舞台や、屋外イベントで仮設ステージが取り払われたあとの日常に戻ってしまったその場所を目の当たりにして、この瞬間だけは何度同じ経験をしても、取り残され置いていかれた迷子のような気持ちになります。それに、何かを作るのは時間もかかるし大変なことですが、それをバラしてもともとあったように復帰するのは、こと舞台に関しては、一瞬(作りあげるまでの時間に比例すると)のことなんです。
 「第1回阿佐バリ」も例外ではありません、祭りのあとはいつもと同じです。すべて片づけ終わって照明も消された神明宮の参道は「しん」としていました。熱気をはらんでいた空気はいつしかどこかに紛れ、その場はむしろつい今しがたまでの残滓を気配として残さないと決めたかのように、毅然としたものですらありました。そうして何かが消えていくきっかけは別段木の葉がざわめくわけでもなく、毎日の夏の空気の中に身を隠すように、しかし有無を言わせないかたちで「すぅー」と動き、消したのです。その感じが今も身体の中に残っています。
 ……。
 実は雨のこと、私はある時点から忘れていました。前日、あれだけ雨に打たれて、「明日雨が降ったらどうしよう……」とかなりビビッていたにも関わらず、です(苦笑)。朝はすごく心配していました。昼ご飯を食べに出たときも、雲の様子を見るためについ空を見上げていました。開演前に客席を作っていたときも、雨が降った場合の対処法をおさらいしていました。でも第1部が終わって、天気予報的には一番危険な時間帯にさしかかったとき、私の中では「雨の心配」がすでに重要なファクターではなくなっていたんです。というより「動き出したこの流れは最後まで止まらない」と確信していました。本来なら、実行委員長としては最後まで冷静に、そしていつ何が起こっても対処できるように気を配っているべきだったのでしょうが……。
 しかしとにかく、第1回阿佐バリの開演中に雨は降りませんでした。そして、「雨は降らなかったんだな」と大きな安堵とともにあらためてそれを思ったのは翌朝のことでした。
 終演後の打ち上げ、そして2次会と、みんな疲れているのに気持ちはウルトラ・ハイ(笑)になっています。最後は大騒ぎで明け方近くにはもうみんなデンデロでしたが、ホントに楽しいうれしい打ち上げでした。でも最後にひと仕事、借りた音響機材を朝イチで返却しなければなりません。S-ツインズのSさんに車を運転してもらい新宿のスタジオへ、その後、音響担当のMさんの機材を返しにMさんのスタジオへ向かっている途中に、Sさんが思いがけない話題を切り出してきたんです。
S「みんな、言わなかったですね」
K「えっ? なんのこと?」
S「雨ですよ。みんな心配してたんだと思いますよ、天気予報でも言ってたし」
K「そうそう、雨ね。そうだ、オレも降ると思ってたんだった」
S「でもみんな、あえて言わないようにしてたんじゃないですかね。誰かがそのことを言ってしまったら本当に雨が降っちゃうんじゃないかって気を回して。なんかオレ、そういうの感じてたんですよ」
K「そっか、そうなんだ。ホント、雨、降らなかったね、よかったよ」
S「はい。でもね、オレは心配してなかったっす、ぜんぜん」
K「そうなの? なんで?」
S「オレ、晴れ男ですから!」
 二日酔いの私の頭(笑)では、ほうけたようなリアクションしかできませんでしたが、このときしみじみと「雨は降らなかったんだな」と思いました。雨の心配はしなくていいと私が感じたのは、きっとこうした「共にこの祭りを成功させたい」という関係者みなさんの思いの強さがあったからでしょう。もちろん雨が降らなかったのは、「思いが自然を動かした」なんて都合のいいことではなく、たまたまそうなっただけでしょうが、それでも結果的に「雨が降らなかった」という現実にとても感謝しています。
 これから毎年「阿佐ケ谷バリ舞踊祭」を続けていけば、ある年には雨が降ってパニックになったり、予想もしなかったトラブルが発生したりと、きっといろいろなことが起こると思います。それでも、この祭りを楽しみにしているたくさんの人に毎年訪れていただけるよう、また踊り手にとっても気持ちよく踊れる場であるよう、努力していきたいと思います。そこでまず、この夏、第2回阿佐ケ谷バリ舞踊祭が開催されます。2日間開催で両日約2時間半の演目という長丁場。去年にも増してバラエティに富んだ演目はバリ舞踊を初めて観るという方から、かなりディープな通のファンまでをもうならせることでしょう。近日中にその全貌をインフォメーションのページでお知らせします。もう少しだけお待ちください。
 ……「いつかは雨も」とは書きましたが、今年もやっぱり雨は降ってほしくないです(笑)。



   
04月04日 第1回阿佐バリ当日(その5)
 やおみさんが花が生けている頃、第2部開演に合わせてもうひとつの準備が着々と進んでいました。それは夜の舞台効果のメインになる薪(たきぎ)のセッティングです。木々に囲まれた闇の中で揺らめく火、その火明かりが踊り手の姿を映し出す……とまあ、イメージとしてはそれはそれは美しいものなんですが、実際には煙はすごいは火の粉は飛ぶは(笑)で、かなり神経質にならなければいけないシロモノです。とくに火の粉は要注意。頭に落ちれば髪が燃えますし(マジ)、洋服につけば焼け焦げになります(いやマジで)。そこで「これより危険区域」のラインをかなり大きくとって、セッティングしてもらいました。
 今回、この重要な役割を担ったのが、S-ツインズ兄 とA井くんです。
 ここでちょっと解説。S-ツインズ兄は"屈指のバリス・ダンサー" Sさんの双子の兄であり、A井くんはその仲間です。第1回阿佐バリのひとつ前の舞台から設営スタッフとしてお願いしている頼りになるナイス・ガイ's(爆)! 第1回阿佐バリでも、ランシ(幕)吊り(03月24日の写真参照)から、客席作り、照明、そして薪のセッティング&フォローまで、大事な舞台作りは、Sさんも含めた"S-ツインズ&A井トリオ"に、みんなやっていただきました。
 これをね、脇で見てるとおもしろいんですよ。今だから言いますが、まあヤツらったら、仕事の手は止まらないんだけど、口数も多い(笑)。いちいちボケやツッコミを気にして作業している(?)様子は、すごく楽しかったです。もちろん仕事はきっちりでしたけどね。
 スタッフみんなの頑張りでもろもろの舞台装置が整い、午後7時、第2部が開演しました。
 薪に点火し、その中で踊るわちさんの「トペン・トゥア」、そして幕の裏ではガドガドクラブの屋台に人が集まっている……。すみません、実際には私、この光景は見てないんです。なにせ着替えに入ってましたから(苦笑)。でもビデオで観ると、幕を大きく開けたところで座って踊るわちさんと、その背後に見えた屋台に人が集まる感じが妙にオダランみたいな空気で、けっこう私としては気に入っているシーンです。で、ここからモア・ディープな演目に続いていくんですが、いきなりアクシデント発生! 予想以上のお客様で薪の「これより危険区域」をキープできなくなってしまったんです。薪に一度火はつけたものの、あまりの人出から危険だと判断し薪は消火。狙っていた演出はかないませんでしたが、それでも、夜の神明宮の空気に包まれた舞台は、とても素晴らしかったと自負しています。
 そしてS-ツインズ・兄 &A井くんには「ありがとう。今年も頼りにしてまっせ」と言わせてください。
 というわけで、そうなんですよ! 結局、雨は降らず無事に第1回阿佐バリをまっとうできました。ただこの雨の話ではちょっと気のきいた(?)後日談があります。ではそれを次回最終回ってことで!



   
03月27日 第1回阿佐バリ当日(その4)
 第1回阿佐バリで美しい花作品を奉納していただいたのは、前年のラトナ・サリの公演のときもここ神明宮で花草木を使って美術を担当してくれたやおみさんです。
 前回は舞台両脇に配置した竹と花を組み合わせた美しいオブジェを作っていただいたのですが、予想以上のすごい人出で舞台袖にまでもお客様があふれてしまい、せっかくの花オブジェが人垣で見えなくなってしまうという残念な結果に! 朝イチの仕込みから竹を地面に打ち込むとことから始めて絶妙のバランスで作り上げたものを、実際に目にすることができた方ははたして何人いたのでしょう(苦笑)。やおみさん当人の無念は想像するに難くありませんが、演出として読みの浅かった私(ごめんなさい!)も、そしてその日の一部始終を見ていた神楽殿さんも、再度やおみさんの花を舞台に上げたい、リベンジに期待したい、と心底思ったのでした。
 そんな経緯もあって、第1回阿佐バリでもぜひにとお願いして作品を奉納していただいたのですが、今回は今回でまた、それはそれはたいへんであったわけですよ(笑)。
 で、前回から続きます。なぜやおみさんが第1部終了と同時に舞台上に駆け込んでこなければならなかったのか。それは時間がなかったからです(笑)。実質この間約1時間とちょっと。それで仕上げたというのはまさに神懸かり的でありました。下の写真見てくださいね。って、写真が悪いからイマイチわからないかもしれませんが(笑)、牛乳ビンを花器として使い(これ、集めるのがたいへんだったんです! 私は力になれませんでしたが。すみません)銅線で束ねるというアイデアで、きっちり時間内で素晴らしい花を作っていただきました。すごいすごい!
 ところで、前年の反省から「どこに花を飾る?」というのが一番の問題でした。「人が入っても隠れない場所で、踊りのスペース外というと……」「じゃ、舞台のツラっきゃないでしょ」と決まったのは、舞台と拝殿のあいだの参道。
 ちなみに、阿佐バリはバリ舞踊を神明宮で神様に奉納させていただく(もちろん正式な神事ではありませんが)お祭りとして、また、阿佐ケ谷名物でもあり歴史もある「阿佐谷七夕祭」のイベントのひとつとして実施させていただいています。で、当日は神明宮神門に出入り幕を作り、拝殿に向かって踊るわけですが、拝殿に向かう参道内はできるだけお客様は遠慮してもらったほうがいいのでは、ということで空けておいた舞台と拝殿を結ぶ参道のスペースにやおみさんの花を飾ることになりました。
 しかし今回は第1部と第2部に分けてプログラムを組むというのが大前提。
 夏の暑い盛りです。第1部に合わせて昼過ぎから生けていたのでは花ももちません。そこで、1部と2部のブランクを利用してセッティングすることになったわけです。その詳細は上に書いたことですね。今回は場所も絞り、コンパクトにまとめていただいたんですが、夜になり、照明に映える花と水をたたえた牛乳ビンが光を受けてキラキラと反射するさまは、とても美しかったと思います。
 今年、第2回阿佐バリでも、やおみさんに花をお願いしています。今回はどうなりますか。設置場所も変わる予定なので、またイチから頭を悩ませることになりそうです(笑)。やおみさん、今回もよろしくお願いします。(まだまだ続く!)




   
03月25日 第1回阿佐バリ当日(その3)
 第1部開演を前にして、実は思わぬアクシデントが発生していました! 門前ではガドガドクラブの皆さんがインドネシア料理の屋台を出してくれていたのですが、目玉のひとつだったビンタンビールが手違いで発送されていなかったことが判明。ガドガドクラブ代表のYさんは最後まで手を尽くしてくれましたが、日曜日ということもあって思うように先方と連絡がとれません。結局、ビンタンビールはあきらめ、ガドガドスタッフがビールを買いに走ることになったわけです(「でも今年は大丈夫!」とYさん談。乞うご期待!)。
 さてさて、第1部が始まった16:00。イメージは夕刻のスタートでしたが、日の長い時期ゆえ、まだまだ明るく暑いなかでの踊り出しです。しかし開演前から、境内参道の両側に設けた桟敷席は、チラシや情報紙、インターネット、口コミなどで集まってきたお客様で、すでにほとんど埋まっています。ナントありがたいことでしょうか! 第1部に出番のない私は舞台の出入り幕になっている神門周辺をスタッフとして、というか一応プロデューサーとして(笑)うろうろしながら、第1曲目のプスパ・メカールのプナリ(踊り手)たちを送り出したときに「とてもいい空気で始まっているぞ」と実感したのでした。
 プログラムは、続いてバリス、トゥヌン、ウィラナタ、レゴン・クンティールへ。途中から音を聞きつけてきた阿佐谷七夕祭の見物客や近所の方たちが、「何やってんのかな?」と神明宮に集まり出し、第1部最後のレゴン・クンティールの頃には、桟敷席のまわりに立ち見の人だかりが!
 こうして約1時間、祭りのテンションを維持したまま、まだ日の落ちる前に第1部は終了しました。
 第2部の開始は19:00。約2時間のブランクがあります。といっても、スタッフやプナリはやることがいっぱい。第1部で踊った人たちはメイクを落とし、クバヤに着替えてスタッフに早変わり。入れ替わりに第2部で踊る人は準備に取りかかります。ガドガドクラブはこの休憩タイムが稼ぎ時、一度に押し寄せるお客様に大わらわです。
 そのなかで、第1部のエンディングが終わるやいなや舞台上に駆け込んできた女性が1名。実は彼女、この前年のリベンジに燃える花草木アーチスト・やおみさんなのでした!(まだまだ続く!)




   
03月24日 第1回阿佐バリ前夜から当日(その2)
 前回の続きです。
 神明宮に荷物を置き、家に戻るころには雨も雷も収まり、何ごともなかったかのような夏の夜空が広がっています。TVの天気予報によると翌日は、晴れ、ところにより一時雷雨……。でも、天気ばかりはどうしようもできないですからねえ。雨は、降るときはどうしたって降るし、降らないときは降らない。この、とことんシンプルで揺るぎない摂理を受け入れることが、野外イベントの宿命であり、プロデューサーとしての第一歩なんですね。
 翌朝。清々しいほどの晴天です。
 8:00。音響機材を借りに行くため車を出してもらったS-ツインズ&A井クンと国領駅で待ちあわせ。途中で音響のMさんをひろい新宿御苑のスタジオへ。機材を積み込んで神明宮入りしたのは11:00前でした。
 16:00スタートの第1部出演者&協力スタッフは、すでに10:00に楽屋入りしていて、楽屋作り、プログラムの折り込みなど、準備を整えてくれています。私たちも合流して、PA設置、照明、ランシ吊り、客席作りなど、舞台設営開始。屋台出店をお願いしたガドガドクラブの皆さんも集まり、それぞれが自分の持ち場を固めていきます。
 設営途中ですが、昼前に第1回阿佐ケ谷バリ舞踊祭の成功を祈願して神前で祈祷。これは神明宮の神様にこの祭を奉納させていただくご報告でもあるわけで、きりりと身の引き締まる一時です。「どうかうまくいきますように!」。
 昼食をはさんで、舞台はほぼ設営完了。第1部出演者はメイク・着替えに、スタッフは受付等、最後のお客様の受け入れ態勢を整えます。
 そして16:00。時間通りに第1部が開演しました。
(この先、もちろん続きます)




   
03月10日 第1回阿佐バリ前夜
  第2回阿佐ケ谷バリ舞踊祭の演目は、それぞれの腹づもりとして(笑)固まりつつあるようなので、少なくともどんな曲が踊られるかをお知らせできる日は近いことと思います。
 3月になったとはいえ、まだまだ寒い毎日。こんなときに夏の盛りの8月をイメージするのは難しいんですけど、今回は時間を少し戻して去年2002年の第1回阿佐バリ、それもその前夜にタイムワープしてみましょう。
 第1回阿佐ケ谷バリ舞踊祭は2002年8月3日に行われました。
 その前日である8月2日(金曜日)、熱気に蓋をして閉じこめたような蒸し暑さが東京を覆っていた昼に、私はすでに明日のための準備を終えていました。なぜならば、翌日朝一番で音響機材を借りに行かなければならないため、自分の衣装やら照明機材やらランシ(幕)その他、家にある必要なものを前日のうちに神明宮に運び込む算段になっていたからでした(実はこのへんの段取り、神楽殿さんにいろいろ無理を言って泣きついたのですが、詳しくは割愛・笑)。その日の夕方、神楽殿さんが車で荷物を運んでくださるというので準備万端で待機していたところ、急に雲行きが怪しくなり閃光と雷鳴が! その後立て続けに雷が鳴ったかと思うと、かたまりで落ちてきているのかと見紛うほどの集中豪雨。よりにもよって、神楽殿さんとの待ち合わせの時間とピッタリ重なってしまい、びしょ濡れになりながら荷物を積み込んだ次第です。
 しかしこの雷雨、この日に限ったことではありません。前日も確かその前日も、図ったように夕方になると一雨来るのです。当然私はここで、とてもイヤ〜な気持ちになっていました。「明日、この時間に同じこの雷雨になったらアウトだな」と。最悪の場合を考え、神楽殿さんとも善後策を取り決めていましたが、できれば一番いいかたちでやりたいというのが本心です。でも、神明宮のご祭神は天照大神、つまり太陽神。「明日は雨が降りませんように!」と祈りましたね、マジで。
 というわけで、以下続く(ホントかな? 笑)。



   
02月22日 今年の演目は
 2月22日はネコの日です。にゃんにゃんにゃん……えっと、それはどうでもよくて(汗)、すでにインフォメーションでもお知らせしている通り、今年夏の第2回阿佐ケ谷バリ舞踊祭の日程が決まりました。これで私の気持ちはグッと引き締まったんですが、じゃ、どんな演目、どんな演出で、といったところまでは一気に決まらないんですね、これが。
 今年は「2日間開催、それも両日違うプログラム!」という暴挙を打ち上げてしまったんで(笑)、正直、プログラムが決まるまではちょっとドキドキです。今、出演依頼をしている踊り手の方からはOKの返事を多くいただいていますが、曲は未定がほとんど。「う〜ん、まだ半年先だし。チラシなどを作リ出す4月いっぱいぐらいまでに決まればいいか」と私も思うんですけどね。これから新しく仕込むとなるとあまり時間はないぞ、と。
 阿佐バリでは何を踊るかは当人が決めることなので、こちらからこれをやってくださいということは基本的にありません。なので、演目が出そろうまではプログラムは組めないんです。というわけで、プログラム発表まではもうしばらく時間がかかりそうです。しばしお待ちくださいませ。かく言う私も、実は曲が決まったようでもありまだのようでもありで(笑)、先陣を切ってズバリと言えないところが何とももどかしいんですが(苦笑)。
 ……しかしこれで終わると、あまりにも内容のない回になってしまうので、今、話が出ている候補曲をこっそり(?)教えちゃいます! とりあえず順不同&誰が踊るかは内緒(笑)。

レゴン・スマランダナ/レゴン・ジョボグ/バリス/トペン・トゥア/オレッグ・タムリリンガン/ジャウック・マニス/プライヨン などなど

どうです? 楽しみな曲はありますか?



   
02月08日 私が先生に!?
 先日、私がバリ舞踊を教えるという事件(?)がありました。といっても某カルチャーセンターで、ある先生の代講として2回だけのことだったんですがね。
 バリ舞踊手は男性人口が極端に少ないので、当然のようにその教室の生徒さんも全員女性。でも私が女踊りを教えられるわけもなく、結果的に、バリスの振りから女性にも役立つ(かもしれない)男踊りの基本を教えさせていただきました。
 女性に男踊りというのは、一見ムチャクチャなことのように思われるでしょうが、バリ舞踊では、たとえば「タルナ・ジャヤ」や「マルガパティ」「ウィラナタ」など、男装の女性が踊る演目という性別が入り交じったジャンルがあるので(「男装の女性の踊りを男性が模して踊る」といった具合に、さらに複雑化してしまった男性舞踊もあります)、まったく意味がないこととも言えないのですが、それでも急に男踊りというのは、いくら生徒の皆さんの了解の上のこととはいえ戸惑われたかもしれません。
 それにしても、「教える」というのは本当に難しいですね。バリ舞踊に限らずどの世界でも同じでしょうが、「素晴らしい業績を残した人が必ずしもよい指導者になれるとは限らない」ように、すごい踊り手がいいトレーナーであるかどうかは別問題です。ま、私が感じた「教えるって難しい(汗)」というのは、もっと低次元のことなんで、こんなに話を大げさにする必要はまったくないんですが(苦笑)。
 でも私なりに今回思ったこと。何をもって人に何を伝えるのか……。
 1日目は、自分の中で整理されていないものをあれもこれもで伝えようとし過ぎたうえ、部分的にピックアップした振りの注意点を言葉で説明しようとし過ぎたかも、と反省。踊りを言葉で伝えようとすると、どんどん踊りから遠くなって、余計にオロオロしてしまいます。「最小限の的確な言葉」というのを、いい教育者はきっと持っているんでしょうね。でもそれは一朝一夕にできるものではないので、2日目は作戦変更(笑)、「見て真似してね」形式の稽古に替えました。でも、これはこれで持久戦かなってところもあって、結局、「ダメな先生でごめんね〜!」って結果に。
 ただちょっと見方を変えると(前言を翻しちゃうかもしれませんが)、教えるってのは「やっぱり見せることなのかなぁ」と。古典芸能が基本的に伝承であるように、あるがままを見せて、それを見た弟子がそれを盗んで自分のモノにしていく以外にやり方はないなぁ、と実感しました。
 あ、でも言葉も大事なんですよ。私がバパ・トゥトゥル師匠から聞いた言葉で、すごく心の奥底に入れてる言葉もあるし。う〜ん、ごめんなさい。まだまだ若輩者(っていうと笑う人もいそう)なんで、物事わからないことだらけです。
 そんなわけで、生徒の皆さん、こんな先生で失礼いたしました(汗)。でも何かひとつでも気持ちや身体に残ったものがあったなら幸いです。



   
02月02日 ひょんなことから
 先日、神楽殿さんと一緒にとある能楽師の方のお宅にお邪魔しました。その能楽師というのは、今年の正月に神明宮で奉納能を舞われた工藤さんという方で(掲示板「神明宮で奉納能」参照)、以前、ご自宅に稽古場を作られたという話を伺い、ぜひ一度拝見したいと思っていたのが、ひょんなことから実現の運びとなりました。
 でこれが、稽古場なんてもんじゃなく、まんま能舞台で「すごい!」の一言。松あり調光付照明ありで、ちょっとした公演ならできてしまいそう。どんな芸事でもそうでしょうが、“日々稽古をする”というのが理想でありながら、常に稽古の場所を確保するのはけっこう大変なことです。それが自宅に、それもこんなに素晴らしい舞台があるなんて、う、うらやましい……。
 去年暮れに工藤さんが国立能楽堂で大曲「道成寺」を舞われたときのビデオを拝見し、貴重な能の面(おもて)も見せていただきました。「若い女性を表す小面はテレック、赤ら顔の魔物はジャウック・クラスだ」などと、なかば強引にバリのトペンに結びつけながらも(笑)、面の繊細さや表情の微妙な変化に感じ入りました。現実的な話では、バリ舞のタパール(面)と違って足もとが見えないのはコワイかも。あ、でも前が見えないのもコワイし、どっちもどっちかな。
 というわけで、その後は近くのお店でお酒を。能とバリ舞踊の共通点や相違点などの話や神楽殿さんの雅楽の話などで盛り上がり杯を重ねて、気がつけば(ってそのときは気づいてないんですが・苦笑)私は酔っ払いコース一直線(神楽殿さん、すみません。ご迷惑おかけしました)で、気はデカくなるし話もついついデカくなってしまいます(苦笑)。で、阿佐バリの話になったとき、まあ、私もお調子モンなのであれもこれもと大風呂敷を広げてしまったのですが、そこは百戦錬磨の神楽殿さん、「慌てることはないから、ひとつひとつやるべきことをやっていきましょう」としっかりきっちり諭していただきました。ありがとうございます。
 確かにその通りで、阿佐バリもまだまだ2年目、肩ひじ張って力を入れて、身の丈以上のことをしようと思ってもうまくいくはずがありません。まず今年、今、自分たちにできる最高のものをみなさんに観ていただけるように頑張ろう、と思いを新たにした次第です。
 あ、そうそう! ひょんなことと言えばもうひとつ、「ひょんなことから私が先生に!?」というネタがあるんですが、それは次回ってことで。



   
01月25日 初踊りのこと
  ちょこっと前の話で恐縮です。
 2003年を迎えてまだ間もないとある日曜日。その日は私の年明け“初踊り”で、ひとつは目黒にあるインドネシア学校の講堂で行われたインドネシア・日本家族の会主催の新年パーティー、もうひとつは有名な某自然食品屋さんの記念パーティーでした……とまあ、今だからサラッと書きましたけど、気がつかれましたでしょうか? つまり同じ日に2つのイベントを掛け持ちしてるわけで(苦笑)、これがもう思いのほかキツかったです!
 その日の演目はどちらもテレック・ジャウック。といっても別企画の話が偶然同じ日になってしまったということなので、基本的にプナリ(踊り手)はかぶっていません(が、私のほかにRさんも掛け持ち!)。さらに同じテレックとはいえ別の村のスタイルだったため、踊り方は違うしアンセル(キッカケ)は違うしで、切り替えがたいへんでした。
 でも、踊りのことはいいんです、たいへんでもね。が、大荷物を持っての電車の移動がキツかったです。ご存知の方は今大きくうなずいていただけてると思いますが(笑)、ジャウックは、頭にかぶるグルンガンがまず巨大。衣装は男性舞踊のバリス同様のアウィランというヒラヒラをいっぱい付けるので、まあかさばることかさばること。日曜日の人の多い駅構内&電車内で左肩に巨大衣装バッグ、右肩にグルンガンの巨大カゴという出で立ちは、ほかの乗客にとってはすっごくムカツク邪魔なヤツだったと思います

 とまあ、「初踊りだけに今年1年を象徴してるのだろうか?」的なハードな一日でしたが、イベントはどちらもすっごく楽しかったです。昼は在日の奥様方による本場インドネシア料理、夜は各種自然食料理&地酒といった、めったに食べられない・飲めないおいしいものばかり。おいしいものを食べるってのはホント、幸せなことですねぇ。そのうえ、どちらもバグースなプナリの一員として混ぜていただけたので、稽古期間中からずっと楽しかったし、いろいろ勉強になりました。こうした出会いが阿佐バリの輪になるってのが私の理想なんですが、どうでしょう。



01月20日 というわけで戦場の旗手の話
 みなさん、こんにちは。阿佐ケ谷バリ舞踊祭実行委員長のkoichiです。
 このたびKoichi's Roomと称するページが新設されました。はい、今ごらんになっているこれがそうです。このページは、阿佐ケ谷バリ舞踊祭(通称:阿佐バリ)に関するさまざまな出来事を、実行委員長の目を通してリアルタイムでお伝えしていくドキュメンタリータッチの情報および読み物といった趣向を
考えていました。が、まだまだそう差し迫った話があるわけはなく、とりあえず「ゆっくりまったりと始まっちゃってみましょうかね」というわけで、しばらくは阿佐バリやバリ舞踊に関係があったりなかったりという、かなりゆるい私的なページになると思います。すみません。
 というわけで「戦場の旗手」なんですが、……なんと勇壮なタイトルでしょう。よりにもよって、こんなにもゆるく始まってしまったページにはまったく似合いません(笑)。ところがサビアン占星術というものによると、私が生まれ持った星の中で、とくに知識やコミュニケーションを司る水星が射手座26度に入っているそうで、これを表す言葉が「戦場の旗手」。解説では「自分の利益を考えず、主義主張を掲げて伝える」という、う〜ん、よく解釈していいものか悪くとるべきなのか、というよりただのバカではないかと(笑)思ってしまったわけですが、これも何かの縁(というより、自分の生まれた時間の星座がどうなっていたかなんてのは縁以外の何ものでもないです!)。で、「そっか、戦場の旗手か……」とぼんやり思っていたとき浮かんできたのは、ドラクロワがフランス7月革命を描いた「民衆を導く自由の女神」でした。有名な絵なのでご存知の方も多いでしょう。……あっ! いや、私が「民衆を導く自由の女神」だなんて、そんな滅相もないこと言ってませんよ。誤解なきようにお
願いします。ただ、このときのフランス革命を記念して行われるようになったのが確か「パリ祭」(ですよね? 間違ってたらすみません)。昨年、この阿佐バリを始めるときに、神明宮の「神楽殿さん」や阿佐谷の商店会のみなさんに対して「“パリ祭”ならぬ“バリ祭”で盛り上げましょう!」と、今、自分で書いていて泣きたくなるようなダジャレで(爆)、売り込んでいたときのことを思い出しました。
 はい、見事にオチがつきましたね。「初心忘れるべからず。自分の言動に責任を持て(笑)」。それがこの「戦場の旗手」というタイトルに託されているわけです。
 えっと、今回はオープニングということで軽い前フリのつもりでしたが、思いのほか長くなってしまいました。ま、ときにはいい話(?)もあるかもしれないので、これに懲りず今後ともお付き合いください。よろしくお願いいたします!



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