「シャボテン幻想」(龍胆寺雄 著 2016.12.10筑摩書房発行;or1974年毎日新聞社発行or1983年北宋社発行)について:




























竜胆寺は自らの栽培経験に基づいて、多数のサボテンの栽培法や、図鑑などの書籍を書いているが、 この本の内容は、文学的な随筆であり、例えばトウモロコシの受粉にに関する文の一部はこんな具合である。
「-----さわやかに晴れた夏のある朝、そよ風の中で陽が輝き、あらゆる緑が生き生きと躍動している時、王冠の羽根飾りの ようにひろげたトウモロコシの雄花から、金色に輝く無数の花粉が、空間が煙ったくなるほど降り散って、風に渦巻き、踊 り、又舞い上がって、銀髪や赤毛をみずみずしく、生き生きと振り乱して躍動している雌蕊に降り注ぎ、これを包んで、 互いに青春の乱舞をする。この中で、植物の必死の願望である受精が営まれ、生殖の意義を遂げる。----云々」

この作品については、多くの意見が寄せられているが、国際的に活躍する高名な写真家である、塚原琢哉氏が毎日新聞 「私の感激した一冊」で述べられた記事を紹介する。

私が感激した一冊・・・シャボテン幻想

平成4年発行毎日新聞記事

・・・写真家 塚原琢哉さんへのインタビュー記事・・・


ことし六月、作家の竜胆寺雄さんが九十一歳で亡くなられたのを新聞の訃報欄で知り、その記事の中に作品歴として「シャボテン幻想」 というのがありました。
 私は、自分の写真集に「海原幻想」というのがあり、続いて「マリア幻想」「シャボテン幻想」の二つを企画し ていましたので、偶然の一致に驚き、なんとか竜胆寺さんの本を探そうと思いました。 八方手を尽くし、北宋社 というところから一九八三年に出た復刻版とでもいうのでしょうか、「シャボテン幻想」を見つけました。
 みなさん竜胆寺雄という作家になじみのない方が多いと思いますが、今売り出しの評論家、川本三郎さんが 龍胆寺さんについてこう書いておられます。
 「龍胆寺雄は明治三十四年生まれ。茨城県で育ち、医者になろうと慶応大学医学部に入学したが、途中 でドロップアウトし、東京でボヘミアン生活を送った。昭和三年に、その放浪生活に材をとった青春小説 「放浪時代」が雑誌「改造」の懸賞募集作品に選ばれ、新しい感覚を持った新人作家として注目を浴びた。 モダニズムの作家として一躍人気作家となり、当時、原稿料収入が今のお金で月に二千万円あったとうい からその人気がうかがえる。ただその後、菊池寛や川端康成が中心だった当時の文壇批判をしたことから 次第に文学界に書く場所がなくなり、作家としてよりもサボテンの研究家として知られるようになった。」 そんな経歴の人です。
 ところで世の中にはシャボテン研究家、シャボテンマニア、シャボテンコレクターと呼ばれる人がいっぱ いいますが、竜胆寺さんはそれらの人とは全く違います。この本を読んでいて、びっくりしました。 作者はシャボテンを通してこの世の中の人間に警鐘を打ち鳴らしているのです。
 人間は「あらゆる生物の進化の末に現れた哺乳類の、そのまた進化の末端に光栄ある座を占めている。」  シャボテンは「あらゆる植物進化の最後の段階に、最も新しい植物として現れた。」「しかし、これから 先、どちらの方がより先まで生き延びられるか、だ。どうやらこうなると、人間が何かの都合で地上で滅びて しまったあと、恐らく眼をおおうような荒涼たる砂漠に、シャボテンだけが、ヌケヌケと生きている、と いうようなことになるのではあるまいか。 人間という「動物」は、なにぶん自分を滅ぼす凶器を持ち過ぎて いるからネ」
 これが本の最後なんですが、僕が追っかけているテーマと一緒なんですね。いや、びっくりし、この本に 感激しました。