参考資料2

10周年記念改造文学賞
1等当選:龍胆寺雄「放浪時代」
2等当選:保高徳蔵「泥濘」
ちなみに文学賞の応募数は1330篇、1等賞金は1500円であった。この賞は当時としては「中央公論」と並んで権威ある 登竜門とみなされた「改造」が、文芸ジャーナリズムとして始めて大掛かりな新人募集を行ったものであった。なを、現在作家 の登竜門である芥川賞、直木賞が創設されたのは後の昭和10年のことである。 同時に行はれた評論部門は:1等当選:宮本顕治「敗北の文学」2等当選:小林秀雄「様々なる意匠」であった。
なお「放浪時代」は昭和3年(1928)4月号に掲載された。

受賞前後の状況:「下妻の追憶」より抜書き
----私は机に向かって原稿用紙を広げ、夜更けからしらじらと明けるまで渋りがちなペンを動かしていた。明け方近く一寸 寝床に入ってうとうとして目を覚ましたら、十時を過ぎていた。玄関に訪う客があった。淀橋柏木の一時の仮住まいに客が訪 ねて来るのは珍しいので、いそいでおきて玄関へ応対に出ると客はきちんとした身なりをした若い青年で、差し出した名刺を 見ると「改造」編集部  深田久弥 とあった。座敷に上げて座布団を進めると、その青年がこういって切り出した。実は、 本社の「改造」創刊10周年記念に懸賞募集した小説に、貴方が応募された小説「放浪時代」が1等当選した。選者は藤森成吉、 広津和郎、佐藤春夫の三先生で、応募千二百余編の中から、1等と2等と二編が当選作として選ばれた。雑誌「改造」の4月号 に掲載されるので、略歴と写真をお願いしたい。非常に高い採点を与えられた立派なお作なので、本社としても喜びに耐えない。 ついては、来る十五日に、賞金千五百円也をお渡ししたいので、本社までご足労ありたい。----大体の来意を告げると、 深田久弥はくつろいで、今度は自分個人の意見として、私の応募作品の「放浪時代」を批評して、口を極めて激賞した。佐藤春夫 が特に非常に高く買っている旨を付け加えた。-----深田久弥はのちに、山岳作家となって名を売ったが、当時は帝大文学部 の学生で、改造社で「改造」の編集を手伝っていたらしい。察するところ、このときの懸賞応募作品の荒選りに参加した一人 で、選者の佐藤春夫らの眼に触れる前に、「放浪時代」は、まず深田久弥に選り出されたのではないか、という気がする。そのよ うな、身を入れたほめ方であった。--」

文芸誌「改造」について:「改造」は当時「中央公論」と並んで、権威ある総合雑誌の一つであり、改造社の懸賞小説は、昭和 3年から始められたが、、文壇の確実で決定的な登竜門といわれ、入選者は新人としてジャーナリズムの脚光を浴びた。今の芥川賞 のようなものだろう。当時、才能があり、文学的野望に燃えた文学青年は、殆ど改造の懸賞小説を狙ったといっても過言ではない。 ---戦後になって、社長の山本実彦が昭和27年に没して、「中央公論」をしのぐ名声を博したこともあった「改造」は、社長を失 い、休刊の悲運に転落してゆく。何とか再建しようと努力が行はれたが、昭和30年につぶされた。その事情は複雑で、真相は、 謎につつまれたままだ。何れにせよ、今残っておれば、「中央公論」と肩を並べて、華々しい出版活動をしていただろうに、 「改造」の果たした役割を回顧すれば、惜しみてもあまりある。---(文芸復興第63集:竹森一男「改造友の会のことども」より)
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