キャンバスに交響(多種)水彩
F200号(162cm×260.5cm)
ここで描かれているものは、すべて沖縄県南城市知念で
実際に見た風景をパーツとして一つにまとめ、構成した作品です。
ここでこうして、静かな詩のような風景の前にいると
戦後70年の時をかけて、地球はなんとか本来の姿に
戻そうとしてきているのを感じる。
そう・・すべて を超えて。
人類が本来快適に命を永らえるはずの
宇宙で唯一の恵みの惑星・・みどりの地球。
海も川も山も大地も、汚さず・多く奪わず・節理やバランスを崩さず
感謝の暮らしを保ち続けていれば・・と思わずにはいられない。
朝の使者を使わすような壮大なお日様、
絶えず瞬きをして揺れ動く大空、日没の鮮やかな夕焼け、
月の美しい満ち欠け、雨と雷と、海水の温度を調整する台風、
沖縄のデイゴ(絵の右)とカジュマルの樹(左)
私には女性と男性の印象
地面からは、赤の色と洞穴を連想させるものを廃し、
海になろうかほどの涙を癒した、
偉大な大自然の恵みの力を描きたかっ た。
地球の丸さ、水上の太陽の丸、虹、月が丸くなる・・すべてを円く
包み込む美しさへの感謝の思いを注ぎだした。
海と大地の底に眠る、おびただしい血と屍
悲惨な体験・・逃げられぬ苦悩で苛まれた島 沖縄
今は ダイビングや観光で人気の 沖縄だが
南城市知念での個展の際に見た光景
人智を超えた 畏怖の念を抱く天空のドラマは
集約したいちまいの絵にしたいと思った。
沖縄に限らず、幾多の戦争や、利権の愚かな自然破壊の開発などで
男女、家族、家が引き裂かれてきた。
しかし人間は、またこの70年・・すべてを越えてきた70年を
をフイにしようとしているのだろうか。
すべてを越えて、先に、本来の良き(先に)進まなくてはと
そんな思いで進めた絵だ。
F100号を二枚並べた展示は不自然で嫌いなので
木枠に加工金具を取り付けて、一枚として張り込み制作した。
下書きをして筆を進めるのも苦にならなかったが
半分くらい進んだところで、絵が 私にこう言う声が聞こえた。
『お前に 本当に 私が描けるのか?』
『お前なんかに 本当に 私を表現出来るのか?』
リングに上がった筆を持ったボクサーは、毎日のように こうした
パンチをくらいながら この絵を仕上げた。
200号の大作を、コンデジカメラで撮影するのは、
未熟な腕を大棚に上げての物言いだが(苦笑)、
黄色系が飛んでしまって難しい。