●ビルマ文化の香り漂う町 険しい山々が連なるタイ北西部の町メーホンソンは、海抜約1,000メートルの山間部に位置し、チェンマイからの道路が開通する1965年までは、文明から隔絶された“秘境”の地であった。住民の多くは、ミャンマーやラオス、中国雲南省から、タイの国境をまたがって暮らす少数山岳民族で、タイ・ヤイ(シャン)族を中心に、モン族やカレン族、ラフ族、アカ族、リス族などが人口のおよそ9割を占める。まさに山岳民族の宝庫だ。ひんやりとした霧の立ち込める早朝、町の中心部にある市場へ出掛けてみると、辺りはすでに沢山の地元の人々で賑わっていた。行き交う人々をかき分けながら奥へ進むと、内部は思いのほか広い。フルーツや野菜、肉や魚などの生鮮食料品に混じり、何やら見慣れないものがある。近付いてみると、それは大きな蜂の巣だった。穴の中には乳白色を帯びた半透明のサナギが収まっている。日本でも“蜂の子”は珍味として食用にもされるが、“蜂の子”は幼虫であって、足の生えたサナギではない。「美味しいよ」と薦められたが、さすがに遠慮した。 世界有数の仏教国であるタイには、2万以上とも言われる膨大な数の寺院があり、ここメーホンソンも例外ではない。ところが、メーホンソンの寺院は、いわゆるタイの一般的な仏教寺院とは少々趣が異なり、幾重にも重なる屋根や装飾など、ビルマ文化の影響が随所に見られるタイ・ヤイ(シャン)様式だ。寺院の多くは、上座部仏教を信仰するタイ・ヤイ(シャン)族によって、18世紀後半から19世紀に建てられた歴史的価値の高い建築物ばかりで、タイ・ヤイ文化を知る上でも、とても興味深い。中でも、チョン・カム池の畔にある、ワット・チョン・カムとワット・チョン・クラーンは、同じ敷地に仲良く並ぶ双子寺院で、金色に輝く仏塔とエメラルド色の屋根、赤い壁面のコントラストがとても印象的。また、小高い山の上に大小2つの白い仏塔を持つ寺院、ワット・プラタート・ドイ・コン・ムーからは、メーホンソンの町はもちろん、遠くミャンマーの山々も見渡す事が出来る。
●伝説の民の理想郷 大きなエンジンを載せた細長いボートは、浅瀬を巧みにかわしながら、パイ川を滑るように疾走していた。太古の昔から変わらない美しい渓谷の景色が、まるで連続した絵画のように次々と現れては消えていく。暫くの間、ボートに寝転び、その素晴らしい風景を堪能していると、目の前に忽然と集落が現れた。パドゥン族の村だ。 カレン族系の少数民族に分類されるパドゥン族は、通称“首長族”とも呼ばれ、満月の日に生まれた女子には、真鍮製の輪が、首と足にそれぞれ巻き付けられる。その特異稀な神秘的容姿から、広く一般に知られるようになり、今では、観光客のほとんどが、彼等の村を訪問する為に、メーホンソンへやって来ると言っても過言ではない。 現在、メーホンソン近郊には3つのパドゥン族の村がある。彼等は、元々ミャンマーのカレン州やカヤー州、シャン州といった、タイ国境に隣接する山岳一帯で静かに暮らしていたが、独立以前から続いている民族紛争の戦火や、ミャンマー政府による迫害や弾圧から逃れるため、タイ領内へ避難して来たのだった。これらの村は言わば難民キャンプである。現在、タイで認定されているカレン族全体の難民者数は10万人を超え、さらにミャンマー側の国境近くには、60万人近い国内避難民が居ると言われている。 今回訪れたナン・ピャン・ディン村には、約250人のパドゥン族が暮らしていた。彼等は、電気も水道もない人里離れたこの土地で、自給自足の生活を送っている。村は、UNHCR(国連高等難民弁務官事務所)の保護下のもと、タイ政府や国際NGOなどから、食料品や物資の援助を受けてはいるが、現金収入と言えば、観光客が支払う入村料の250バーツ(1バーツ=約2.8円)と民芸品の売り上げだけである。 土着の精霊信仰や、伝統的習慣を、かたくなに守り続けながら、ミャンマー山中でひっそりと暮らしていた伝説の民は、奇しくもタイで、大勢の観光客の目に触れる事となった。それでも、長い間虐げられて来た彼等にとって、ここは安住の地に違いない。
●ロイヤル・プロジェクト メーホンソンの町から、車で約2時間。いくつもの峠道を越え、ようやく辿り着いたルアム・タイ村は、国王が推進する“ロイヤル・プロジェクト”の一貫として建設された村である。真っすぐ延びた150メートル程の道路の両側には、規則正しく住居が建ち並び、一見してこの村が正確な図面に基づいて設計されたものと判る。ここには、主にタイ・ヤイ(シャン)族が暮らしているが、彼等もまたミャンマーからの難民であった。村のちょうど入口にあるこの村唯一のゲストハウスでは、ラワンの葉を重ねただけの素朴な屋根の下に、テーブルや椅子が強い日射しを避けるように並んでいた。敷地に入ると、奥から初老の男性が現れ、手招きをしている。そこには赤い実をつけたコーヒーの木があり、聞けば、自家栽培のコーヒーが飲めるのだと言う。かつてこの村では、アヘンなどの麻薬の原料となるケシが栽培されていたが、現在はコーヒーを始めとする他の農作物にすべて切り替えられている。早速一杯注文してみたが、これが実に旨い。新鮮な豆から抽出したコーヒーが、こんなに美味しいものとは知らなかった。
2003年3月取材
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Last Update: October 10, 2003
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