可愛い?わがまま

本日、陸家の主は、すこぶる不機嫌だった。








パタパタパタパタ。
この足音は、陸遜付きの女官であり最愛の恋人であるのものだ。
主の手前、足音は極力抑えてはいるものの、それはもう真剣な表情からその忙しさが伺える。
そう。この主は、自分の恋人が忙しく動き回っているのがお気に召さないのだ。
一時たりとも陸遜の側にいない。
これでは、わざわざ自分付きの女官にしたのに意味がないではないか。
はあ、と陸遜は大きなため息をついた。
つかずにはいられなかった。

「一計を案じますか」










□  □  □  □  □










「え」

ふとぐいと誰かに手をひかれ、は吸い込まれるように、いつの間にか開いていた空き室の扉の中に引き込まれた。
その力たるや大。
の力では抗えるわけもなく、慣性に従い引かれるままに手をひいたであろう人物の腕の中にすっぽりと収まってしまった。
パタン。
見る間もなく、用意周到にあっさりと閉じられた扉。
それは、の逃げ道が閉ざされたということだった。

「え、ちょ、何、あっ!な、・・・・・・ぅんっ」

扉が閉められるやいなや、慌てふためくに、覆いかぶさるように口付けてきた男。
相手もわからない状態でされた口付けに、の頭は思考停止状態宜しく。

「んっ!んんんっ!」

押しのけようと必死でもがくが、抱きとめる腕の力は強くびくともしない。
顔を逸らそうにも、あとからあとから唇は後を追ってくる。
誰が、こんなことを。
押し寄せる嫌悪感と恐怖感に、の目の端からは涙が零れた。
抵抗らしい抵抗もできないまま、ほどなく唇は名残惜しそうに離れた。
離れたといってもまだ吐息もかかる距離にある綺麗な顔に、は驚き濡れた目を見開かずにはいられなかった。

「いけませんね。もしこうしていたのが私じゃなかったらどうしたんですか」

「り、陸遜様!」

を恐怖に陥れた犯人は、の恋人陸遜だった。
そして、なぜかなにげに不機嫌そうだ。
怒りたいのはこっちだというのに。
理不尽だとは思ったが、陸遜のじりつくような雰囲気に、の怒りは押されついには消えた。

「それに、どうやらまだ私の口付けは覚えてもらってないみたいですね」

「いきなりだったから・・・」

「いきなりでも忘れないように、その身に焼き付けてもらいましょうか」

罰ですよ、そういうと陸遜は先ほどよりも強く唇を重ねてきた。
深く、深く。
そのままの思考までも絡めとるように。
―――だめだ、あぶないッ!!
このままじゃいつもの陸遜ペースだ、とは霞がかった頭をどうにか揺り起こし、陸遜の胸をぐいと押しやった。

「い、忙しいんですよ、離してください」

「私は珍しく暇なんです」

嘘だ。
騙されるな。
目の前で何の気なく微笑むこの人が暇なわけがない。
もしかすると、この国で一番忙しい人かもしれないのだから。
そうなると、こうのたまうのはいつもの我儘でしかない。
我儘につきあってなんかいられない、は早く仕事に戻りたかった。
このままだと、サボりとみなされて女官長に大目玉だ。

「あの、陸遜様?私、仕事が残ってまして・・・」

「これも仕事です。私は貴方の上司でしょう」

そうです。そのとおりです。この上ないご主人様です。
甘かった―――陸遜から逃げようなんて甘い考えだったのだ。
は、自分の甘さにかくんと力が抜けた。

「貴方の仕事は、他の方に回すよう、女官長に言っておきましょう」

「は?え、でも」

は私に会えて嬉しくないのですか?」

「う」

ズルイ、そんな表情―――こう思った時点で、この勝負、の負けに決まった。

「う、嬉しい、に決まってます」

顔を赤くしてようやく観念した様子の恋人を、陸遜は満足げに抱きしめた。
そういえば、こうやって抱きしめられるのも久しぶりのような気がする、とは思った。
が思った通り、ふたりは久しぶりの逢瀬だった。
忙しくてもに会う時間だけは優先していた陸遜だったが、最近の忙しさはそうもいかなかった。
陸遜は、会えなかった時間を埋めるように、抱きしめる腕にぎゅうっと力を込める。
陸遜のぬくもりが伝わってくると、忙しさで凝り固まったの心の奥の緊張がじんわりとほぐれ、愛しさが滲み出てきた。
は知らず知らず、陸遜の背に回した手に力を込めていた。
会えず寂しかったのは、陸遜だけではないとばかりに。

「では、さきほどのつづきをしましょうか」

「えええええ!!!」

・・・・・・そんなに驚かなくても。
陸遜の発言は、冗談半分、本気半分。
の今の驚きようで、本気半分は封印しなければならないようだ。

「冗談ですよ。私の部屋でお茶でもしましょうか」

本当はそんな時間もないくせに、そう言いたげなを引きずるように、陸遜は執務室に戻った。
そして、久しぶりにほっと息をつける時間をふたりで過ごした。
それは陸遜にとって、貴重な、貴重な時間。
唯一安らげる、貴重な時間。
陸遜にとって、と過ごす時間こそが、自分を解放できるただひとつ。
こそが、唯一―――








□  □  □  □  □









この日を境に、の仕事は毎日陸遜から直接言いつかる仕事のみになり、完全に陸遜の監視下に置かれることになった。
仕事内容は、陸遜の補佐だ。
正直、この仕事の方が忙しいし、キツイ。
よくこんな仕事をこなしていけるものだと、は陸遜を尊敬した。

そんなある日、陸遜の隣で山のような竹簡の整理をしていてはふと思った。

「陸遜様・・・これって・・・」

「そうですね。完全な職権乱用ですね」

とあどけなく笑って言ってのける主である恋人に、は口がふさがらない。
こういうことを平気でしてしまうのがセレブなのかと、少々辟易ぎみのだった。

「嫌でしたか?」

「嫌も何も・・・・・・嫌、なわけないじゃないですか・・・」

好きな人とずっと一緒にいられるのに、と赤い顔して小声で言うの頬に、陸遜からいきなりサプライズ。

「――――ッッッッ!!!」

「いつでもこういうこともできますしね」

口を押さえて、蛙も驚くくらいに飛びのいたに苦笑する陸遜。

「いつになったら僕の恋人はこういうことに慣れてくれるんでしょうねえ」

一生無理です!
は、心の中で叫んだ。


2007.1.12