想いの伝え方

そう。

それは、唐突にはじまった。

ふたりが出逢ったとき、突然世界は始まって。

毎日の小さなできごとは、日ごとに大きな意味に育っていった。

“愛しい”

その想いは、時にほこほこと、時にはごうと音をたてるように堰きたててくる。



どう伝えたらいいだろう。


どうしたらうまく伝わるだろう。



力強く青く色づいた空に、夏の最中を感じるある日のことだった。










□  □  □  □  □










じりじりと照らす日差しが、肌を焦がすように夏まっさかりを伝える。
そんな中、陸遜とは、さらさらと流れる川辺にささやかな涼みに来ていた。
ここはいつもの城の喧騒も届くこともなく、久しぶりに落ち着いた時間を過ごしている。

「暑いですねえ」

暑い。
うんざりするほど暑い。
今日は、地面の緑さえもぐだぐだと干上がりそうな勢いだ。
そんな気温とはうらはらに涼しい表情をしている陸遜であったが、実のところこの季節はあまり好きではない。
いや、“あまり”では嘘になるだろうか。
“とても”と言った方がしっくりくる。
ともかく、陸遜は夏が嫌いである。
理由は、ただ単純に“暑くて不快だから”。
とても、陸遜らしい理由だ。
普段は、陸遜のもつ“軍師”という立場上そうも言っていられないため、それをおくびにも出さないのだが、実のところはそうだった。
暑い!
溶ける!
今すぐにでも、茹で上がってしまいそうだ!
と、不快に思っている元来夏嫌いの彼が、なぜこんな暑い日に外に出たかというと、の発言がきっかけだった。

今日も、いつもどおり仕事は忙しかった。
陸遜の部署が忙しい理由として、日々机上の仕事を放り投げてほっつき歩いている奴の仕事までがなぜか回ってくるというのがある。
陸遜は、それを文句も言わずやっているよく言えば優等生、悪く言えばお人よしなのだ。
仕事を回す彼らはもちろん確信犯で、“面倒くさいから”という理由が大部分ではあるが、陸遜がこなした方が早いとわかっているため堂々と回してくる。
しかし、陸遜こそ忙しい身である。
何度か突き返したこともあるのだが、彼らの部下がとばっちりを受けて仕事が進まないという気の毒な状況になった。
その彼らの処理能力の限界を通り越した仕事は、呂蒙を通して陸遜のところに戻ってきたので、結局のところ陸遜が尻拭いをするはめになるのだ。
その時の忙しさたるや尋常ではない。
陸遜は、それを身をもってわかっているため、いつもであれば自分の仕事ではないものもそのままこなすのだが、今日だけは事情が違った。
この恐るべき猛暑だ。
暑さが大の苦手な陸遜は、本日ついに何かがぷつっと切れてしまった。
そこへ、が“こういう日は水浴びでもしたいですね”と言ったものだから、“今すぐ行きましょう”という流れになったのだった。
山積みにされていた仕事は、利子をつけて本人へ突っ返してきた。
もう二度と戻ってこない様、本日迄決済のものを選んで置いてきた。
今日陸遜は、何かない限りもう城へは戻らないつもりなので、おそらく彼らは徹夜作業になることだろう。

おかげで陸遜は溜飲を下げ、今すっきりとした気分での手を握っている。
久しぶりの。
本当に久しぶりのふたりきりの時間。
陸遜だけではなく、もまた思いがけずできたこの時間に、心を弾ませていた。
陸遜の隣で花のような笑顔を浮かべ、長い着物をたくしあげ、気持ちよさそうに川の流れに脚を浸している。

「今日はホント暑いですね。でも、私、夏って大好きなんです」

「へえ。どこがいいんですか?」

「そうですね・・・気持ちいい青い空だと思ったら、今度は急に雨が降り出したりして。我侭だけど、ある種潔いところが」

陸遜様に似ていて、と続けかけた言葉をはあわてて飲み込んで、少し染まった頬を冷ますかのように手でぱたぱたと扇いだ。

「陸遜様って暑い日お好きじゃないですよね。なのに、つれてきていただいてありがとうございます」

「・・・あ、バレてましたか?」

「そりゃわかりますよー!これだけいつも見てたら、誰だって陸遜様が暑い日が苦手ってことくらい」

こういうところが、彼女のスゴイところだ。
陸遜に限っては、いつも見ていたって、普通の人はわからない。
陸遜は、何があろうと顔では笑っていられる人間のひとりだ。
それも、その才能は若手にとどまらず、前途洋々、先進気鋭の軍師で、そのポーカーフェイスたるや筋金入り。
そんな悪く言えば裏表のある陸遜の気持ちを読める者など、そうそういるものではない。
なのに、陸遜がどう思っても、たいてい彼女には見破られてしまう。
修行が足りませんね、と思う気持ちとうらはらに、陸遜にはそれが嬉しくもあった。

「本当にありがとうございます」

「私が貴女と来たかっただけですよ」

お礼を言われるまでもない。
隣に座って脚を水に浸すは、とても可愛い。
本当に可愛い。
普段は隠れている白いすらりとのびた脚なんて、まぶしいほどだ。
ほんっっっっとうに眼福です、と、陸遜は心の中で満足げに大きくうなづいた。
暑い日万歳。
これだけで、暑い日に出てきた甲斐があったというものだ。

「陸遜様とこうしてふたりきりでいられるのって久しぶりですよね。・・・実を言うと、今、とってもドキドキしています」

少し小首をかしげ頬を染めたはにかんだ表情で、素直な気持ちを伝えてくるは、とても健康的で殺人級に魅力的だった。
そんな恋人を口説かずにいられようか。
口説かずにいる方が礼を失するというものだ。
そう陸遜は思い、握っている手を強くした。
そして、顔をずいとのぞきこむように近づける。

。頬に、触れていいですか?」

「えっ!? い、いきなりどうしたんですか」

「ダメですか?」

正面きって問われ、は答えに窮する。

「だ、ダメっていうか・・・・・・」

そんなこといつも聞いたりしない―――そう反論しつつ、みるみるうちに熟したトマトのように染まってゆくの頬。

「もうそろそろ慣れてくれてもいいと思いますが」

「いや、でも、恥ずかしくて・・・・・・」

「私に触れられるのが、嫌なわけじゃないですよね?」

不安な気持ちがそうさせるのか。
陸遜は、そっと、そっと、まるで、こわれ物を扱うかのようにに触れた。

「いつだって貴女に触れていたい。こうやって・・・・・・」

「――――っ」

ぴくん―――
ほんの、少し。
指先がほんの少し触れただけで、まるでそこから命令が下されているかのように、の胸は異常なほどに鼓動し始める。
きゅっと胸が痛いほどしめつけられる。
―――慣れやしない。
こんなこと慣れやしない、とは思った。
ほら、今だってそうだ。
胸は高鳴り、はちきれんばかり。
慣れるどころか、触れられるたび、さらに苦しくなってゆく。



名を呼ばれ、は自然と顔を上げる。

どきん―――

そこにあったのは、陸遜の熱っぽくも、真剣なまなざし。

「好きです」

耳に飛び込んできた甘い台詞は、の心にまっすぐに届き、吟味するまでもなくそのまま素直に吸い込まれていった。
と思うと、の中心からじんわりと甘い熱が発せられてくる。
待って、と思っても、もはや止められない。
ああ、逃げられない―――
得とも言われぬ幸福感と共に、心臓を絞り上げられているかのようなこの苦しくて切ない気持ちからはどうにも逃げられない。
やがて、その甘い疼きが全身に行き渡ると、の理性は一枚壁ができたように麻痺しだす。

―――手放そう。
こんな頼りない理性など、もう手放してしまおう。
この想いの波に、なすがまま放蕩おう。

熱っぽく潤み出した瞳で、はうかされたように気持ちを紡いだ。

「私も・・・好きです。陸遜様のこと大好きです」

の果実のような唇から紡がれた告白に、陸遜もまた甘い眩暈をおぼえた。
溢れそうだ―――と、陸遜は思った。
愛しい。
こんなにも貴女が恋しい。
陸遜の心からは、こんこんと愛しさが湧き出、そしてあふれ出していた。
そして、それは尽きることが無い。
陸遜は、身体の奥底から湧き上がる衝動に身をまかせ、の手をとり、頬に口付け、そして強く抱きしめた。

「実はね、これが初恋なんです。・・・信じられないですか?この年で初恋っていうのは」

「え?あのーーー・・・陸遜様、噂されてた方いましたよね?」

間髪いれずずばり直球指摘されて、ここでそれをいいますかと、さすがの陸遜も、うっと詰まってしまった。
恋に関する女官同士のコミュニティーというのは一級品で、通信速度は光よりも勝る。
しらばっくれるのは陸遜の十八番ではあったが、一度詰まってしまった以上言い逃れはできそうもない。

「あのーーーー・・・それはそれで好奇心や、男の性の問題もありまして・・・いや、そうではなく、気持ちの問題で・・・何がおかしいんですか」

珍しく途中で口ごもる陸遜がおかしくて、は途中で笑ってしまった。

「ごめんなさい。だって陸遜様・・・」

「まったく・・・カッコつかないなぁ。参りましたね」

「すみません。・・・ふふふっ」

「いいんですか?人のことを笑っても―――目を閉じて」

陸遜はそうささやくと、の腕をぐいと引き、すいと綺麗な顔を近づけた。

「えっ、わ、わわわ、だ、ダメぇぇーーー!」

どんっ。
突然のことに驚いたは、思わず陸遜を突き飛ばしてしまった。
その力が思いのほか強く、足場が悪かったこともあり陸遜はバランスを崩し、不覚にも川へ背後から落ちてしまった。

「うわっ」

バシャーーーーーーーーン!!

「キャーーー陸遜様っ!!」

なんてことをしてしまったのだろう―――は、躊躇せず水に飛び込み、ばしゃばしゃと陸遜のところまでやってくる。
浅瀬ながらも、落ちた体勢が悪かった。
陸遜は、頭からずぶぬれだ。

「すみません。だ、大丈夫ですか!?」

「大丈夫です。水もしたたるなんとかってやつですよ。それより、なぜあなたまで濡れてしまうんですか。せっかくの着物が濡れてしまったじゃないですか」

「そんなことより陸遜様の方がずぶぬれですっ。髪まで・・・・・・」

「私はいいんですよ。訓練などで慣れてます。それに、今日は天気もいいですし、むしろ気持ちがいいですね」

「でも・・・」

の心は、自己嫌悪でいっぱいだった。
突然だったからとはいえ、恋人に迫られて川に突き落とす人が、この世のどこにいるだろう。
なのに陸遜は、怒らないばかりか、むしろを気遣ってくれている。

「・・・優しすぎます、陸遜様」

「“優しい”?」

「キャッ!」

陸遜は、の腕をぐいと強く引いた。
体勢を崩したは、ざぶんと陸遜のいる水の中へ。
すかさず陸遜は、自分と同じくずぶぬれになったのひたいにキスをした。

「――――っっっ!!!」

「私は、いつもこんなことをしたいと虎視眈々と狙っている男ですよ。それでも“優しい”だなんて言えますか?」

ずっと側に居て思うのだが、陸遜は時々とんでもない行動をとるときがある。
それは、計算ずくであることが多いのだが、そんな陸遜には驚かされてばかりで、今回もまた然り。
鳩が豆鉄砲をくらったような表情をしているに、陸遜は思わず陸遜は吹き出し声をあげて笑った。

「すいません、いじめすぎました。着物はもう諦めてください。代わりに後から新しいのを贈りますから。・・・怒りました?」

「怒るわけないじゃないですか。陸遜様の行動に驚いただけです。・・・もう・・・陸遜様には敵わないなぁ」

「そうは言いますが、そんな私が敵わないのはなんですよ」

二人は顔を見合わせ、そして大声で笑った。

「さてと、あがりましょうか」

陸遜はそういうと、を軽く抱き上げた。
まるで、こういう時にはこうするのが当然かのような自然な動作で。

「キャアッ!り、陸遜様、おろしてください」

「危ないので大人しくしていてくださいね」

と言われても、はこういう時にどうしていいものやらさっぱりわからない。
陸遜に抱き上げられたのは、これが初めてではないのにもかかわらずだ。
腕を首に回すべきなのか・・・いやいや、恥ずかしくて絶対にできない。
いかんせん慣れていないのだ。
いくら恋人とはいえ、こうされて当然だなんて思えない。
頭がついてゆかない。身体もついてゆかない。
唯一ができたのは、陸遜に言われたとおり、ただ“大人しく”固まっていたことだけだった。

「いい子ですね」

陸遜はそう言うと、の額に口付けを落とす。
さらに追い討ちをかけるようなその行為に、ますます固まってしまったであった。

陸遜は、さっきまで座っていた川岸の岩場まで足を運ぶと、ゆっくりをおろす。
ようやく抱き上げられた緊張から解放され、はほおっと一息ついた。
それも束の間。
今から安心したの眼前で、とんでもないショーが繰り広げられようしていた。

「ああ、衣服がまとわりついて気持ち悪いですね」

そう陸遜はおもむろに言うと、なんとの目の前で濡れた上着を脱ぎはじめたのだ。
そして、あれよあれよと言う間に上半身裸の状態になってしまった。
が慌てふためかないわけがない。

「――――っっ!あ、ああああのっ!」

いきなり何をぉぉーーーーーっ!
は大きく目を見開き、思わず叫びそうになった。
陸遜は、武将にしては小柄な体型とはいえ、その見事に鍛えられた引き締まった身体はさすが知勇だけでなく武勇でも誉れ高い武将である。
それを目の当たりにして、は言葉も思ったように出ないほど赤面するほかなかった。
こんな間近で、異性の一糸まとわぬ姿を見たことなどの人生では無かったのだから。

も上の一枚だけでも脱いだ方がいいですよ。風邪をひいてしまいます」

「け、結構です」

脱げるわけがない。
異性の、ましてや好きな人の目の前だ。
とてもじゃないが、恥ずかしくて脱げやしない。
所在無く目を泳がすに、陸遜の悪戯心がむくむくと頭をもたげはじめた。

「・・・・・・脱がせてあげましょうか?」

「は?・・・いえ、何を言ってるんですか」

一枚でも脱いだら、下着ともいえる薄い着物一枚になってしまう。
ただでさえ薄い布地なのに、濡れている今だと身体の線が丸わかりだろう。
どこもかしこも透けてしまう。
そんなこと、断固として“NO”だ。

「そんな遠慮せずに」

「え、遠慮じゃないです。ちょ、待って・・・・っ!」

陸遜は、ぐいと力強くの腰をひきよせた。
そして、どこで覚えたのか、手際よくするするとの着物の紐をとく。
はらりと紐が落ちたかと思うと、待っていたかのように肩から滑り落ちる着物。
水を吸って重くなった着物は自然に地面に落ち、はとうとう薄い着物一枚の姿となってしまった。
その着物はの身体のあちこちへ吸い付くようにへばりつき、いつもは隠れている肌をも透けさせる。
さらに、少しはだけた襟元からのぞく肌の露出もいつもより多く艶かしい。
帯を解いた時点でこうなることは予測済みだったが、ここまで壮観だとは想定外だった。
目の保養を通り越して、目の毒である。
このままでは、悪戯では済まなくなりそうだ。
たまりませんね、とつぶやきをもらすと陸遜は、の頬から首筋までゆっくりと指を滑らせはじめた。

「――――っ!」

ぴくん。
陸遜の指先が触れるか触れないかの距離で、の身体は敏感に反応する。
とくん。
飛び跳ねたのは、身体だけではなく、心臓もだった。
もっと触れて欲しい。
もっと感じたい。
そんな欲張りな想いが、から溢れ出てくる。

「陸遜、様・・・・・・ッ!」

陸遜の指が滑っていくごとに、ぞくぞくぞくと甘い痺れがの身体を突き抜ける。
湧き上がってくる感覚に、はぎゅっと目を閉じた。

「そんな無防備にならないでください」

どうなっても知りませんよ―――と、耳元で陸遜はささやいた。
甘い吐息がの頬をくすぐったかと思うと、唇にやわらかいものが触れる。
驚いて目を開けると、陸遜の整った顔が近くにあった。

「ほら、ね。目を閉じるということは、完全降伏と同じ意味なんですよ」

陸遜は悪戯っぽく笑うと、今度は噛み付くように唇を重ねた。

「んんっ」

奪うような唇の強さに、はまたも目を閉じてしまった。
依然、完全降伏状態続行中である。
息する間も与えられず、苦しくなったが息を吸い込もうとした瞬間、待ってましたとばかりに滑り込んでくる陸遜の熱い舌。
それは、さらに深く、何度も何度も角度を変えて、重なり絡み付く形になる。
何も考えられない―――は、与えられる口付けの波にのまれていた。

「・・・ん、はぁ」

の身体から余計な力を感じなくなった頃、陸遜の唇はいったん離れた。

「好きです、

そう陸遜は切なげに告げ、軽く口付けると、頬擦りするかのようにきゅっとを抱きしめた。

「離しませんから―――初めて、愛しいと、大切にしたいと、離したくないと、ずっと一緒にいたいと思う人なんです。・・・離しません、一生」

手放すわけが無い。
は、陸遜が生まれて初めて唯一望んだ女性だ。
側にいたいと。
この人だけ側にいればいいと。
自分から望むことの少ない陸遜が、公にも私を持ち込んだ唯一なのだ。

「私の想い、伝わりましたか?」

笑顔で問う陸遜に、こくこくと頷くの潤んだ瞳は、間違いなく是と告げている。
しかし、まだまだ気がすんでいない陸遜は、のサインに気づかないふりをし、再度陸遜は唇を重ね始めた。

「まだ、伝わってないようですね。じゃあ、これだとどうです?」

「ん・・・ぅっ、ちょ!・・・り、陸遜さ・・・んんん」

そんなの抵抗も要求も懇願も全て無視して、続ける陸遜。

「いえ、このくらいですかね」

さらに、いやいやこのくらい好きですと、次から次へと唇を思いのたけ重ねてくる陸遜に、の足はたまらず音をあげてかくんと折れた。

「つ・・・伝わってますぅ・・・・・・」

「そうですか?」

情けないほどへなへなになっているを力強く支えると、陸遜は不敵な笑みを浮かべた。

「私としてはまだまだ伝え足りませんけど、これくらいにしておきましょうか。今度は私の想いを全て受け取ってくださいね」

無理です!とは即座に思った。

「好きですよ、

そう言うと陸遜は、をギュッと抱きしめた。
陸遜の肩越しに見えた上天の太陽は霞んで、まるでいくつもあるように見えた。
これじゃ、身体がもたない・・・。
異常なほどの陸遜の愛情表現に、まだまだ翻弄されているであった。


2007.9.10