初日の出

陸遜は、ためいきをつきそうになった。
いや、すぐ隣に恋人がいなければ、ついていただろう。
その恋人も、かれこれ幾日休日返上で働いてもらっているだろうか。
陸遜の仕事の補佐をしているため、連日の忙しさに疲れた表情を隠せないでいる。
こと仕事に関しては普段から意欲的な陸遜であったが、突然舞い込んできた仕事にこんな年の瀬まで仕事をしなくてはならないことになるなんて想定外だった。
陸遜は、この忙しさを今回ばかりは恨めしく思った。
というか、を側に置いて離さないのは、陸遜のエゴ以外の何ものでもないのだが。

、申し訳ありませんね。こんなに仕事を手伝わせてしまって」

「いいえ、お手伝いにもならないかもしれませんが、少しでも陸遜様のお力になれれば嬉しいです」

そんないじらしいことを笑顔で言われては、ますます愛しさが募る。
陸遜は、筆をすらすらと走らせながらも器用に頭ではどうにかとどこかに行けないものかと考えを巡らせていた。
今日は大晦日・・・・・・いや、すでに日は変わり、元旦か。
陸遜は、元旦といえば、と思いついたように言った。

「そうだ。初日の出を見に行きませんか?」

「初日の出?」

「遠い東の島国では、元旦の朝に昇る朝日を見て、その年の無病息災を祈ると聞いたことがあります。幸い日の出はまだですし・・・・・・行ってみませんか?」








初日の出








は、陸遜に手をひかれつつも、後ろ髪を引かれていた。
初日の出を見に行くといって執務室の外に出たものの、仕事を中途で放り投げてきたような形でなんだか後味が悪いのだ。

「あ、あの、陸遜様?仕事はいいんですか?」

「少しくらいいいでしょう。どうせしばらく終わらないんですから。戻ったら嫌でもどっさりと残ってるんですから、今だけでも私に付き合ってください。息抜きも大事ですよ」

「・・・・・・陸遜様って、時々大胆ですね」

もともと仕事が好きで、責任感も人より強いであるが、せっかくの久しぶりの陸遜とのプライベートな時間だ。
好きな人に誘われて嬉しくないわけがない。
外に出る頃には、仕事のことよりも、陸遜と出かけられることへの嬉しさの方が大きくなっていた。

「うわぁ、今日は寒いですねぇ」

は、陸遜の隣で寒さに身を縮め、手をこすり合わせながら言った。
屋敷の外に出ると、息は白く綿のように濃く長く形作られ、しっかり防寒をしたはずなのに外気は容赦なく肌を凍らせる。
完全な日の出までは遠そうだが空はうっすら白んで来ていて、辺りはぼんやりと姿を現し始めていた。
草木に降りている白い霜が、冬の夜の寒さを物語っている。
まだまだ春は遠い―――その景色にはそう感じざるを得ない。

「そうですね。でもこれからくっつきますから大丈夫ですよ。歩いて行くには遠いので、馬で行きますから」

陸遜は、厩から馬をひいてくると、失礼しますと前置いて馬上にを乗せようと軽々と抱えあげた。

「きゃあっ!」

は、陸遜の行動に驚いた。
は女官ではあるけれど、馬上にひとりで乗れないようなお嬢様でもなかったので、その陸遜の行動は思ってもみなかったのだ。

「り、陸遜様!?私、重いですからっ!」

馬上からは言う。
そんなに少し笑って、さすがに慣れた様子で軽やかに乗り込む陸遜。

「女性はそんなこと気にしなくてもいいんですよ。―――ちょっと失礼しますね」

陸遜はの警戒を解くかのようにひとこと告げると、馬上から落ちないようにその細い腰にそっと腕を回し、ぐっと腰を密着させの身体が落ちないように固定した。
は、耳まで赤くして身体を硬くしている。

「大丈夫ですか?」

「ぁ・・っ。は、はい・・・」

すぐ耳元で聞こえる陸遜の声。
耳の後ろに陸遜の頬がぴったりとくっついている。
肩。
背中。
腰。
触れている全てに神経が集中し、まるで燃えてしまいそうだ。
は、甘い気持ちが体を駆け巡り、そっと目を閉じた。

「大丈夫ですか?少し腕に力を込めますよ」

陸遜の言葉に、は素直にこくんと頷く。
とても可愛い―――
こうして恥らい、身じろぐの姿を可愛いと思う。
陸遜は、たまらずつむじにひとつ口付けを落とす。

「り、陸遜様っ」

「あなたがあまりに可愛いせいですよ。さあ、行きましょうか。大人しくしていてください、落ちますよ」

非難の言葉を紡ごう唇をきゅっと噤み、は赤い顔をしてこてんともたれかかってくる。

「そう、いい子ですね。では、少し急ぎますよ。そう遠くはないんですが、空が白みかけてきましたから」

城を出て走り出すと、凍りつくような風が衣服で隠されて入るがわずかに出ているの肌をぱりぱりと凍らせて行く。
それは本当に痛みを感じるくらいの寒さで、は無意識のうちにさらに陸遜に密着していた。
にこうも抵抗されずに密着できることは少ない。
恥ずかしがって、大なり小なり何かしらの抵抗を受ける。
それは無駄な抵抗に終わるのだが、こう素直に寄り添っていられることなどまずないので、陸遜は嬉しい反面、少し拍子抜けな感じも心に残った。
各々、そんな色々な想いを胸に木々の間を抜けると、急に目の前が明るくぱっと開けた。
目の前には大きな湖。
空はすでに朝焼けに染まり、湖までも染めている。
遠くの山々の姿は綺麗に見えはじめ、待望の日の姿は間もなく拝めることだろう。

「わぁ、キレイ・・・」

「間に合ってよかった」

陸遜は馬を止め、自分が降りた後、も抱くように降ろした。
こうやって日の出を見るためにじっと待ったことなど、今までしたことなどない。
初日の出の慣習の話を聞いた時だって、陸遜自身も『こんな寒い中酔狂だ』と思ってしまったのも確かである。
しかし、こうやって体験してみると、大事な人の隣で一緒のものを見て、感動するための時間が持てるのだから、これは素晴らしい慣習だと思う。

「祈りましょうか」

ふたりは目をつぶって、うつむいて無言で祈った。
しばらくして陸遜が目を開けたとき、もまたちょうど目を開け、視線がぶつかった。

「何を祈りました?」

「えっ!?あの・・・・・・いえ、恥ずかしいので言えません」

「そんなこと言わずに言ってくださいよ」

「言えませんっ!」

は、反射的に顔を紅くした。
言えるわけがない。
陸遜とずっと一緒にいられますように、と願ってしまったことなど。
個人的な願い事をするための儀式ではないだろうに、つい陸遜との幸せを祈ってしまった。
そんな欲深な自分を暴露することなど、思っただけでも顔から火が出そうだ。
そんなを、陸遜はじっと期待を込めた見つめる。
陸遜にそんな目で見つめられると、の気持ちを見透かされてしまったような気分になる。
陸遜ならば、本当にありえそうで怖い。
は急に恥ずかしくなって視線をそらした。

「じゃあ、当ててみましょうか?・・・『ずっと一緒にいられますように』なんて・・・・・・」

「えっ!?ええっ!!!!??どうしてわかったんですか?」

「当たりですか?私の願望を言ってみただけなんですが・・・そうですか。当たりですか」

陸遜は、これ以上ないくらい嬉しそうに笑う。
そんな顔をされてしまうと、なんだか言ってもよかったような気がすると、は思った。

「陸遜様は?」

「私も同じですよ。『とずっと一緒にいられますように』と。これだけで十分贅沢な願いなのですけど、もっと願うならば、『今、からキスしてくれますように』と」

「り・・・・っ!」

「ひとつめの願いは、ずっと未来じゃないとわからない漠然とした願いですが、ふたつめの願いならばすぐにでも叶いそうな気がしましてね。―――願いを叶えてくれませんか?さあ、目を閉じてますから」

「ちょっ!」

「いいですよ」

さあいいですよ、と言われても、心の準備もないままにできるわけがない。
いや、できない。できるわけがない。

「む、無理ですーーーーっ!」

・・・・・・お願いですから」

陸遜は、目を閉じたまま言う。
ズルイ―――は、陸遜のお願いにすこぶる弱かった。
いつも陸遜はこうだ。を振り回すだけ振り回す。
それにいつもあっさり陥落してしまうのはなのだけれども。
今回もまた、は陸遜に負けた。
は、そろりと陸遜の側に近づいた。
そして、陸遜の頬に手をのばす。

「陸遜様、あの・・・少し下を向いてもらえませんか?」

「こうですか?」

やっぱり、きれいな顔――― 
長いまつげ。
日に焼けていても、肌理の整った肌。
どれをとっても、綺麗だ。
は、陸遜の唇に瞳をうつした。
だんだんと高鳴っていく自分の鼓動に気絶しそうだ。
震える足で。
震える手で。
は陸遜に徐々に近づき、吐息さえ頬をかすめる距離で目をつむる。
そして、触れるだけのキスをした。
そろりと目を開けると、すぐ近くに見たことないような満ち足りた笑みの陸遜。

「ありがとうございます。願いは叶いました―――でも、まだちょっと足りません」

「ん・・・むっ!ちょ・・・陸遜さ・・・ぅんっ・・」

「すみません・・・・・・我慢できなくなりました」

陸遜は、腰を引き寄せたかと思うと、あごをくいとあげ深く唇を合わせてくる。
上を向かされたことで、唇は自然に開き、陸遜の舌はその隙を見逃さずするりと滑り込んできた。
口内をむさぼり、舌を吸い上げられ、たまには甘噛みされる。

「もっと舌をからめて・・・・・・そう、上手ですよ、

キスの合間に囁く陸遜の声が、の耳をくすぐる。
ぞくぞくと背筋を甘やかなものがくすぐってゆく。
たまらない――― は、がくがくと震えだす膝をおさえるのに必死だった。
しかし、陸遜の攻めは止まらない。
やがて、の膝も悠々と陥落してしまった。

「ごちそうさまでした」

ようやく陸遜から解放されたとき、は陸遜に支えられていないと立っていられない状態だった。
陸遜にはよくこういう状態にされる。
それが嫌ではないのだが、麻薬のように癖になりそうで怖い。
いや、すでに癖になっているのかもしれない。
もっと欲しいと思っているのだから。
は、うるんだ瞳で陸遜を見つめた。

「困りましたね・・・・・・そんな瞳で見られると、このまま私の屋敷に連れ帰ってしまいたくなります」

「えっ・・・」

「それもいいとは思いませんか?私の屋敷で新年を祝いませんか?」

このままでは、いつまでたっても陸遜のペースだ。
は、平静を取り戻そうと震える足に喝を入れて反論した。

「り、陸遜様、仕事が残ってますっ」

「・・・・・・が真面目なのはわかってますがねぇ・・・」

「陸遜様は、よくここに来るんですか?」

「ええ。景色もいいですし、何より人が来ないので穴場なんですよ」

忙しい陸遜には、こういうひとりになれて安らげる場所が必要だろう、とは思った。
陸遜の仕事の量たるや尋常ではない。
ならば、少しでも安らげる場所があるならば、それは多いほうがいい。

「私、頑張りますね。陸遜様が安心して休めるように。それから、こうやって陸遜様との時間がもっとたくさんできるように」

それは、の素直な気持ちだった。
言った後、ちょっと恥ずかしくなったのでちらっと陸遜を見たが、陸遜はまた嬉しそうに笑ってくれたのでそれは良いことにする。

「馬鹿ですね――― そんなに私をあおってどうするんですか」

「そんなつもりじゃ・・・・・・」

「まあ、今日は大人しく帰ることにします。寒いですし、風邪をひいたら困りますから。の可愛い唇は帰ってから存分に堪能させてもらうことにします」

うそーーーーーーー!!!

は心の内で叫んだ。
これから受けるであろう陸遜の愛に耐えられるかどうか大いに心配なであった。


2008.1.1