まあるい月が部屋をいつもより明るく照らす夜。
眠れない夜には、その光はいささか明るすぎる。
は、布団から抜け出すと、少しだけすっと障子を開けた。
ちょうど、月が隙間から顔をのぞかせる。
鬼に狙われているは部屋から出ることを禁じられていたが、少しだけなら出てもいいかな、と上掛けを羽織り外に出てみることにした。
なぜなのか、夜にはいらないことまで考えてしまう。
不安が不安を呼ぶ。
このまま部屋にいても、不安が渦巻いて眠れそうもなかった。
外に出ると、ふわりとした風が前髪を揺らす。
それが、ひとりじゃないような感じがして、少しほっとする。
「」
急に名前を呼ばれ、ドッキーーーーンと心臓が跳ねた。
その声の方向をばっと振り向くと、月光に斎藤の整った顔が青白く浮かび上がる。
「斎藤さん」
「こんな時間に出歩くなんてどうしたんだ」
斎藤さんこそどうしたんですかと言いかけて、自分の護衛かと気づき言葉を飲んだ。
「ちょっと、眠れなくて。すみません、部屋に戻ります」
「いや・・・・・・少し話をしないか。今日は月が明るすぎる日だ。おまえさえよければ、だが」
てっきり戻れと言われると思ってたは、斎藤の意外な申し出に驚いた。
がこくんとうなずくと、斎藤は縁側に座り自分の隣を指差した。
「ここに座れ」
斎藤に促されるまま座った。
こうやって屯所でふたりきりで腰を落ち着けて話をするのは、初めてのような気がする。
そう思うとなんだか緊張してきたは、表情を伺おうと斎藤の方を見た。
どきん―――
目が、合う。
深い深い藍色の瞳。
その瞳が月の光に照らされて、違う色にも揺らぐ。
すごく、似合う―――なんて言ったら、怒られるだろうか。
月の光がとてもよく似合う。
静かで、凛としている。そんな月の光が。
斎藤の色気さえ感じる深い深い色の瞳に、さっきとまた違う理由で心臓が鳴った。
は、それを悟られないように、ぱっと目をそらした。
「・・・・おまえらしくない表情をしているな。何か考え事か」
そんなに変な顔をしていただろうか。
空気に聡い斎藤にはかなわない。
もしかしたら、ドキドキしてしまってることも筒抜けでは、と思ってしまう。
「不安、というか・・・・・・何かいろいろ考えてしまって」
は、観念して心の奥にあった澱みをぽつりと話し出す。
「私がもう少し強かったら。もう少し力があればって。たとえ鬼の力だって、もし使いこなせてたら少しは皆さんのお役に立てるかもしれないのにって・・・矛盾してますよね。一方では鬼の力を恐れながら、一方では鬼の力を欲してるなんて」
鬼の力などないほうがいい。それに、みんなの役に立ちたいという気持ちがせめぎあう。
守ってもらってばかりで。
自分の境遇にみんなを巻き込んでしまっている。
「もう少し強ければ、斎藤さんを羅刹にすることもなかったのに・・・・・・」
「前にも言ったが、それを選択したのは俺だ。おまえが気にする必要はない」
「・・・・それでも、私・・・・・」
「納得いかない様子だな。夜の考え事は魔物だ。考えれば考えるほど大きく強くなる。考えた末いい結果など思い浮かばないだろう。ならば何も考えず寝たほうがいい。しかし、おまえのおかれた境遇を考えれば、考えすぎてしまうのも無理はない」
淡々と話してはいるが、もしかして、斎藤さんもそういう夜を過ごしたんだろうか。
いや、多分それ以上に人知れず悩んできているんだ。
「考えるな、とは言わない。しかし、なるべく考えるな。おまえはおまえが今できる限りのことをしているのだからな」
「・・・・・はい」
「これが左之だったら“女は男に守られるもの、おまえが強かったら男の俺の立つ瀬がない。大人しく守られてろ”と言うんだろうが」
「あはは。言いそうですね」
こう見えて、斎藤は優しいところがある。
それにはいつも助けられてきた。
そして今も。
「・・・・・・斎藤さんって、思ったより饒舌ですよね」
いぶかしげな視線を向ける。
「あっ、悪い意味じゃなくて。なんというか、話してくれて嬉しいという意味で」
「そうか。おまえがそう言うならそうなのだろう」
の胸は、また大きく鳴った。
月明かりに、淡く照らされた斎藤の慣れない微笑を見てしまったから。
――― どうしよう。
涙が出そうだ。
きゅっと胸が苦しくて。
さっき、斎藤さんはこう言った。
“夜の考え事は魔物”だと。“考えれば考えるほど大きく強くなる”と。
確かにそうだと思う。
つい素直になってしまいそうになる。
思いが口をついて出そうになる。
好きだと。彼のことが好きだと。
これは、夜の力に違いない。
「どうした」
ふと動きを止めたに、斎藤は尋ねる。
「な、なんでもないです。こんなところで長話もなんですから、部屋に入りませんか」
「こんな夜更けに簡単に男を部屋に招きいれるのは感心できない」
「あ、そうですよね」
「もしかすると、あらぬことをしようとしてるいるかもしれない。・・・・・・俺も含めてな」
「・・・・・っ!」
「冗談だ」
「そんな冗談、斎藤さんが言うとは思いませんでした」
一度雲に隠れた月が、合間から顔を出す。
さあっとあたりの風景の輪郭がはっきりする。
斎藤の姿も、表情も。
「・・・・・・今夜の月は眩しいくらいだな」
「やっぱり・・・・斎藤さんは、月の光がよく似合いますね」
その言葉に斎藤は薄く笑った。
「おまえは太陽の光がよく似合う。・・・・・俺には、少し眩しすぎるな」
斎藤は、をまっすぐに見つめ、すっと目を細めた。
「・・・・・・月と太陽は合間見えることがないもの。しかし、出会ってしまった場合は・・・」
「え?」
「いや、なんでもない。では、そろそろ任務に戻る。おまえはゆっくり休め」
そう言って、すっと立ち上がると、を部屋に押し込めようとする。
「あっ、斎藤さん、今日はお話してくださってありがとうございました。またよかったらお話してください」
「ああ。おやすみ」
「おやすみなさい」
障子がぱたんと閉められる。
は、名残惜しそうに閉まったばかりの障子を見つめる。
斎藤は休めと言っていたが、無理だ。
心臓が激しく鳴って。
苦しくて。
息さえもちゃんとできてるかもあやしいくらい。
「斎藤さん・・・・・・好きです」
布団にぽすんと顔をうずめて呟いた。
障子の明かりが、光量を増した。
ああ、明るい。
今夜は、眠れない―――
2008.10.14