「なんだか・・・・・・嫌 な 予 感 が す る 」
あの日から、ある人物に限って、私の“嫌な予感センサー”が発動するようになってしまった。
ある人物とは―――
「ちゃん」
来た・・・・! 沖田総司・・・・・・っ!
ああ、こんな予感は外れてほしかったと、私はつい肩をぴくんと竦ませた。
沖田さんは、何かと言うと気にかけて声をかけてくれる。
しかし、あまりありがたくない。
なぜなら、この人はとても怖いのだ!
「今日は何ですか、沖田さん」
私は、なるべく不自然にならない程度に冷たい声で答えた。
それは、最大限の壁を作ったつもりだったのだが、沖田さんはそれを物とも思わずに、いつもの調子で軽妙に話し出す。
「この間は悪かったね。 まさか土方さんがあんなことになるなんて思わなくてさ。 ちゃんまで説教されちゃって本当に悪かったと思ってるよ。 もうあんなことはしない」
私は驚いた。 というか、拍子抜けだ。
まさか、この人が “悪い” と思ってるなんて。 そして、それを口にするなんて。
“この間” とは、今思い出しても悔しいけれど、それはつい先日のこと。
沖田さんが、“君 の 秘 密 を 知 っ て い る ” と恐ろしい嘘をついて、土方さんに悪戯するという最悪で最低の悪趣味なことに私を巻き込んだのだ。
悪戯は成功したものの、当然土方さんは激怒した。
あの日の雷は、わたしの人生史上最大級のものだった。
なので、トラウマになっていてもなんら不思議ではないと思う。というか、すでになっている。
「怒ってる? 怒ってるよね? なんか避けられてるみたいだったから」
「いいえ。沖田さんがすることですし、ぜんっっっ・・・・・ぜん 気にしてませんから」
避けているのは本当だし、気にしてないなんて大嘘だけど、この人にいくら怒っても暖簾に腕押しなのであえてやめておく。
この場は、潔く退くのがいいに決まってると、私はこの場を足早に立ち去ろうとした。
「 ゲホゴホ、ゲフォグオォォホッッ!!!! 」
「ギャーーーー!!! 沖田さん!!!」
慌てて駆け寄ると、ふふ、と笑い声がする。
しまった、と思った時には、もう遅い。
「やっぱり優しいね、ちゃんって」
ドキン―――
顔が、近い。
容態を見ようと、慌てて無防備に顔を覗き込みすぎた。
沖田さんの整った顔が間近に迫る。
沖田さん特有の探るような、挑戦的な視線が私を縛る。
私の心拍は、勝手に急上昇しはじめた。
それを誤魔化そうと、多分不自然に身体を離した。
「ちょぉ!!! また、嘘だったんですか!? だから、それは洒落にならないって言ってるじゃないですか!!」
「ごめんごめん。 でもさ、今日は体調がすごくいいんだ。 ちょっと街に出てみない? おいしいおまんじゅう屋さん知ってるんだけど。 あの日のおわびにさ、奢らせてくれない?」
「え、おまんじゅう?」
話に食いついた私に、沖田さんはぷっと吹き出す。
「これだからちゃんは好きだよ。女の子らしくて、素直で可愛い」
「え」
「女の子は甘いものが好きだよね、ってこと」
「はあ・・・・・・・でも、残念ながら、沖田さんには外出禁止令が出てるんです」
「山崎君からだろ? 大丈夫、大丈夫。 結局しぼられるのは僕だけだから。 山崎君はちゃんには甘いでしょ? だから、怒られるのは僕だけ。 ということは、君は気にする必要がない」
「そういう問題じゃないんです! 身体大事にしてください!」
「まあまあ。 それはまた後で聞くよ。 さ、行こう」
「きゃ・・・・・・」
沖田さんは、急に私の手を引いた。
その力は強く、とても病人だとは思えない。
「沖田さんは、いつも強引です!」
「強引なのは嫌い?」
「嫌いって言うか・・・・・・戸惑ってしまいます」
「あはは。正直だね」
沖田さんは私の手をひいて、屯所の外に出た。
屯所の外に連れ出されてしまっては、もう諦める他ない。
それに、こういう時の沖田さんは、たいてい止められないのだから抵抗するのもやめた。
そう観念したら、今度は繋がれている手に、意識が行ってしまう。
沖田さんの大きな手。
なんだか、恋人同士みたい、と思って顔が熱くなる。
そこへ、前を行く沖田さんも同じことをつぶやいた。
「ねえ、なんかこういうのって、恋人同士みたいだと思わない?」
「っっ! そんなことないです!」
「そうかな。ちゃんはそう思うかも知れないけど、多分、傍から見てる人は僕達のこといい関係だと思うんじゃない?」
「え! は、離してください!」
「だーーーーーめ。 迷子になったら困るでしょ」
「う!」
「それに、繋いでいれば僕の体温もわかる。一石二鳥じゃない?」
“一石二鳥”ではないと言いたかったが、確かに沖田さんの言うとおり体温は確かめられるので、ふりほどこうとぶんぶん振っていた手を止めた。
「わかりました。でも! 体温測るためですからね!」
「うん」
「それから、行くのは近場にしといてください」
「はいはい。ちゃんも心配性だなあ」
沖田さんは、ぷうと頬をふくらませて不満そうに言った。
それがおかしくて、私は笑った。
着いたのは、最近街にできた評判のおまんじゅう屋さん。
噂には聞いていたけれど、かなりの盛況ぶりで人垣ができていた。
人垣の向こうにいるはずの店主に合図を送ろうとぴょんぴょん飛んでいると、沖田さんが私のすぐ後ろから手を上げた。
「店主、こっちにもちょうだい! 五個ね!」
「あいよーーーー!」
沖田さんは人垣をかきわけ、周りの女の人に熱い視線を受けながら、おまんじゅうを買ってきてくれた。
ほかほかのまんじゅうが、私の手の中に渡された。
「はい、どうぞ。 ねえ、こういう時は僕を頼って欲しいな。 せっかく二人で来てるんだからさ」
「そうですよね。 ありがとうございます、沖田さん」
「どういたしまして。 じゃあ、暖かいうちに食べようか」
そう言って、近くのお茶屋さんの縁台に腰を掛け、お茶をふたつ注文した。
私は、おまんじゅうの入った袋を開ける。
ほわん、と甘い香りが鼻腔をくすぐって、幸せな気分になる。
「おいしそう」
「僕は甘いものって気分じゃないし、ひとくちでいい」
沖田さんはそう言って、口を開けたまま。
「 ??? 」
「にぶいなぁ。 食べさせてって言ってるんだよ」
は ? 食 べ さ せ て ?
私の顔は、一気に紅潮する。
「何言ってるんですか! い、いやですよ! ・・・・・・人の目があるし」
今、私の姿は男装なので、男同士で茶屋に座って甘味をむさぼるのは、かなり痛い光景だと思う。
それに、さっきから女性の視線が痛いくらいちくちくと突き刺さってくる。
沖田さんは良くも悪くも街でも有名だし、女性には大人気なのを知っているだけに、今この状態は悪目立ちしすぎる。
「ふうん、人の目がなければいいんだ。 じゃあさ、屯所に戻ろうよ」
「え」
「君が人がいなければいいって言ったんだ。 僕の部屋でふたりっきりで食べよう。 そこだったら誰もいないしいいよね?」
「う」
「え、とか、う、とかは返事じゃないから僕が決める。 てことで、屯所に戻ろう」
沖田さんはうきうきと弾みながら、また私の手を引いて屯所に戻った。
沖田さんの部屋には、みんな療養してると遠慮してか、容態を見るという名目がある山崎さんか私以外はめったに人が来ない。
だから、退屈がるのも、さみしがるのも当然なのだが。
どうして、いつも獲物は私なのか―――
おそらく、退屈だと思った時近くにいるのが私だからなんだろうけど。
おそらく、からかいやすいポジションなんだろうけど。
でも、沖田さんの悪戯は大抵度を越しているので、できることならばどうにかその網にはかからないで過ごしたいと願う。
そんなささやかな願いも、本日むなしく散ってしまったのだけれど。
「冷めちゃったかな」
あっけらかんとしたいつもの調子で沖田さんが言う。
自分だけ緊張してるのが馬鹿みたいだ。
「さ、お望みの通り、ここには僕と君しか居ない。 何しようが誰も見ていない。 うん、近くに誰の気配もないし完璧だよ」
わざわざ近くの人の気配まで読んでくれてありがとうございます。
でも、それさえも私のストレスを高めるだけなんですが。
なんとか、お役御免を勝ち取りに、私はおそるおそる沖田さんに切り出した。
「あの、どうして食べさせなきゃならないんでしょうか。 沖田さんはちゃんとひとりで食べられるじゃないですか」
「僕が食べたいのはひとくちだけ。 そのたったひとくちをちゃんの手から食べたいって思って何が悪いの?」
「だから、どうして他人の手から食べたいんですか」
「他人じゃなく、ちゃんの手から食べたいって言ってるんだよ。僕の節のある無骨な手で食べるよりも、ちゃんの細い白い手から食べた方がおいしいような気がしない?」
「し ま せ ん 。 同じ味だと思います」
「夢がないなあ。 僕は絶対においしいと思う。 だから、それを実証したいんだ」
この人の我儘は、いったいどこまで行くんだろう。
底なしの我儘だ。
そう考えた私の表情は、多分苦虫を噛み潰したような変な顔をしていたと思う。
もうこんなことをしているくらいだったら、いっそのことささっと事を済ませて戻った方がいいのではないだろうか。
私は、わかりました、と意を決して、まんじゅうを手に取り半分に割る。
「はい、どうぞ」
「・・・・・・ちゃん、ちょっとさ、これ大きすぎない? 口に入らないし」
「・・・・・・もう、我儘なんだから」
私はぶちぶちと小声で文句をいいつつ、もう半分にお饅頭を割った。
そして、それを口元に運ぼうとして、沖田さんの顔に視線をうつした。
どきん――――――
私の心臓は、嫌になるくらい跳ねる。
沖田さんの萌黄色の瞳が、私を射抜くように見つめていたから。
「・・・・・・・・っ! 目、閉じててください」
「君の表情、見れなくなるから嫌だ」
「見られてたら困るんです」
「僕も困る。 君がどんな表情をして、僕に食べさせてくれるのか楽しみにしてるからね」
いくら言っても、意地悪な沖田さんはそう言うとは思っていた。
でも、このままじゃ手が震えて、手元が狂ってしまいそう。
「しょうがないなぁ・・・・・・はい、これでいいでしょ」
困っていると、沖田さんはあっさり目を閉じてくれた。
意外だという気持ちと、ほっとした気持ちが入り混じって混乱したけれど、これで自分のペースで問題を進めそうだ。
私は、いまだ震える手で、そっと沖田さんの口元に念願のお饅頭を運んだ。
もうすぐ口に入れこめるか、という頃だった。
いきなり、がっと腕をつかまれる。
「ちゃん」
沖田さんの萌黄色の瞳が、私をうつす。
「手震えてるよね。 僕が誘導してあげるよ」
次の瞬間、沖田さんの口の中にあったのは、お饅頭だけではなかった。
「・・・・?・・・・・・!?・・・・・・っ!!!」
私の指先に、沖田さんの舌の熱さと、なんともいえない柔らかい感触が伝わってくる。
そして、ちゅっと名残惜しそうな音を立てて、私の指は解放された。
「ちゃんの指、甘くておいしいね」
ぺろりと口端を舐め、艶っぽく笑って言う沖田さん。
その表情には、少しの反省も色も見えない。
私は、わなわなと湧き上がる震えと、血が昇る顔を抑えることができなかった。
「 沖田さんのエロ魔王ぉーーーーーーーーーーー!!!! 」
「あはは。 ごちそうさまーーーーーー!」
それからまた、私はしばらく沖田さんの2メートル以内には近づかなかった。
2009.9.7