03

ひんやりと。













額にひんやりとした手の感触。
















父の手かと思い、重い目をあけた。
















徐々に視点が合ってくると、心配そうに見下ろす人。

「山崎さん・・・・・・・?」

「気づいたか」

「私・・・・・・・・?」

「熱が高い。 疲労からくる風邪だろう。 ゆっくりと休めば治る」

そう言って、手拭をしぼって、額に乗せてくれる。
熱のせいなのだろう。
ぼんやりとする頭が、手拭の冷たさに少し覚醒する。

「・・・・・・すみません。山崎さん忙しいのに・・・・・・・ちゃんと予防もしてたはずなんですけど・・・・・・」

「謝ることはない。 悪いのは俺の方だ。 最近は監察の仕事が忙しくて、屯所のことはまかせきりにすることが多かったから疲れたのだろう。 すまなかったな。 おまえの責任ではない」

「でも・・・・・・・・山崎さんに負担をかけてしまいます」

「俺のことはどうでもいい。 君は熱があるんだ。 自分のことだけ考えてくれ」

優しすぎる山崎さんのせいか。

熱のせいか、ふがいなさからか、涙が溢れる。

「すいません」

「謝ることはないと言っているだろう」

山崎さんの手がすっとのびて、指先で優しく涙を受け止めてくれる。
ひんやりとした山崎さんの手。
私は、気持ちよくて、目を閉じた。

・・・・・・・あれ、なんだろう。

この手も、やっぱりなんだか既視感を覚える。

「・・・・・・・・・やっぱり、山崎さんの手、父の手に似てます」

「鋼道さんにか。 前も言っていたな」

「どうしてでしょうね。 見た目も感触も、全然、違うのに・・・・・・・・でも、すごく、安心する、大きい手」

頬に降りてきた山崎さんの手にもっと寄り添いたくて、自分から頬を寄せた。

すごく、すごく、安心する。

この手があれば、全て大丈夫だと思える。

そんな魔法の手。

「わかったから、少し寝たらいい。 ・・・・・・・そのまえに、少し水を飲め」

山崎さんは、力の入らない私の身体を抱き起こしてくれる。
熱は、恥ずかしいという気持ちまでも奪うのか。
山崎さんが側にいて嬉しいとは思うが、触れられても不思議と恥ずかしさは感じなかった。

「すいません。 支えてもらって」

「いや、俺はこういうことには慣れているし、君が何も気にすることはない」

「ああ、そうですよね。 山崎さんは慣れてますよね。 ・・・・・・変なこと言ってすいません」

すると、私の背を支えながら、少し視線をはずした。

「・・・・・・何だか、調子が狂うな」

「え?」

「いや、何でもない・・・・・・飲ませてあげるから、さあ、口を開けて」

山崎さんは、器に入れた水を私の口まで運んでくれた。
最初は、自分で飲もうとしたが、手が震えてこぼしてしまいそうだったので、見るに見かねて山崎さんが手を貸してくれる。
悪いと思いながらも、口を開けると、すっと水が滑り込んできた。

こくん。

うまく飲み込んだつもりだったのだが、つ、と口の端から、ひとすじ水が零れてしまった。

「・・・・・・・悪いっ」

山崎さんは慌てた様子で、くいっと指で水をぬぐってくれる。

私の唇に、ふと指が触れた。

その瞬間。

あっ、と、戸惑ったような、山崎さんの表情が見て取れた。

「・・・・・・・すまない」

「え、どうして謝るんですか・・・・・・?」

その質問に、ふいと視線を逸らした。

「いや、君の唇が・・・・・・その・・・・・・・」

山崎さんの顔が少し赤らんだのは気のせいだろうか。
熱のせいで、夢を見てるのかもしれない。
いつも冷静な山崎さんが珍しく、言いよどんでいるし。
それに、弱ったというような表情になったから。

「・・・・・・・もう、寝てくれ。 頼むから」

「はい」

私は、可笑しくて笑った。
こんなにあたふたしている山崎さんを見るのは初めてだったから。

何だか、こんな山崎さんにだったら、言えそう。

ぼんやりと思っていたら、止める間もなくその通りに唇は動いていた。

「あの、お願いがあるんですけど、いいですか?」

「ああ」

「・・・・・・・・手を握っていて欲しいんです」

「手を? 子供みたいだな」

山崎さんは、驚いたように目を見張る。
私も驚いている。
いつもならば到底言えないこんなお願いまでできてしまうなんて。

「手を握ってもらうと、安心できるんです・・・・・・駄目、ですか?」

断られると思って尋ねると、山崎さんはまた弱ったと言う様に頬を赤らめ、視線を泳がす。
そして、次には優しい眼差しを向けてくれた。

「・・・・・・・・いや。 いいだろう。 君が眠りにつくまでならば、な。 ・・・・・・手を、出してくれ」

やっぱり、熱がある頭は、どこかおかしいらしい。
こんな表情が見れるのならば、このままずっと熱が下がらなければいい、とも思ってしまう。

私が手を差し出すと、山崎さんは少し逡巡した後、そっと手を握ってくれた。
きゅうっと、少しためらいがちに握る。

嬉しい ――――――

大きくて、包まれるようで、ほっとする。
私は嬉しくて、つい頬が緩んでしまう。

「山崎さん、・・・・・・・ありがとう、ございま、す・・・・・・・・・」





そして、好きです。







そう思ったところで、私は意識を手放した。







手に確かなぬくもりを感じながら。
























すうすうと寝息をたてるを見て、俺は落ち着かない気持ちで見下ろしていた。
くしゃくしゃと、頭をかきむしる。
珍しく、心がかきまわされて、どうにかなりそうだったからだ。
普段は、冷静でいようとしたらどうにかなるのに。
がからむと、自分は急に冷静でいられなくなる。





今だって、急に倒れて。




急に潤んだ瞳を向けて。




急に、手を握って、と言う。





「・・・・・・本当に、何を、言うんだ。君は」

俺の手の中の、小さい手に力を込める。

「頼むから、かきまわさないでくれ」

やわらかい唇に手が触れた時には、我を忘れてしまいそうだった。

「どうかしている・・・・・・俺は」

熱で赤い頬をしたを見て、さきほど彼女が言っていた言葉を思い返した。

「・・・・・・父、か」

嬉しい、という気持ちは確かにある。
しかし、それを上回るくらいにふに落ちない気持ちが、自分の心を占めていた。

俺は、どこが気にそぐわないというんだ。

“一緒にいると落ち着く”と。

医者の能力が高い鋼道さんと手が似ているとに言われ―――

「・・・・・・・これか」

俺は、思い起こした記憶に、ちくんと痛む箇所を見つけた。
それは、に“父に似ている”と言われたこと。
にとって、俺は“父”だと思うと、いい気分はしなかった。


なぜ、と問うと、答えは、ひとつだ。






「そうか ―――――― 俺は、のことを」








好きなのだ ――――――








俺は、なんて自分勝手なんだ。
想いとは、こんなに傲慢なものなのか。
いつの間にか、俺は、鋼道さん以上の存在でありたい、と心の奥底では思っていたのだ。
いつからなのだろう。
が、こんなに自分の中で特別な存在になっていたのは。

「俺も、案外気づくのが遅いな・・・・・・・」

自分のことには鈍い、という自覚はあったが、これほどとは。

「ん・・・・・・」

見ると、苦しげに眉間にしわをよせていた。






愛しい ――――――






柔らかい頬に、手をのばして、触れた。
そこから、ちりり、と、心臓まで熱さがこみ上げてくる。



それでも、まだ触れていたくて。




ずっと、ずっと、触れていたくて。




手を離すのが、惜しい。




ずっと、このままでいたい。





自分の知らない気持ちが、どんどん押し寄せてきて、冷静な自分を押しのけて行くみたいだった。

「山崎、さん・・・・・・」

熱にうかされてか、でもしっかりと、俺の名を呼んだ。
それが耳に入った時、自分の中で何かがぷつりと音をたてた。

「・・・・・・・・・っ」

気づいた時には、寝ている彼女のまぶたに口付けていた。
唇が離れた時、急に我に返る。

「・・・・・・・・・何をしてるんだ、俺は」


もっと触れたい。


俺は、そんな気持ちをふるい落とすかのように、ふるふると頭を振った。
こんなに自分が理性のない人間だと初めて知った。
このまま、の手を離したくないのは山々だが、これ以上ここにいたら、何をするかわからない。
一度心についた火はなかなか消えることはないだろうから。

俺は、自分でも情けないくらい名残惜しく、きつく握っていたの手をほどき、いつも身に着けているお守りを手の中に収めた。


俺の手のかわりに。



「・・・・・・・はは、呆れたな」

俺の存在を忘れないでくれ、と暗に言っているのか。
伝えられない想いだと知っているのに、どこかで、気づいてくれ、と心の奥底では思っているのか。
何もかもが、裏腹だ。
自分で自分の気持ちが、つかめない。





俺は、立ち上がり、部屋を出た。





ふすまを閉めて、歩き出してもなお、後ろ髪をひかれる気持ちを隠して。





















「ぅん・・・・・・・・・」

あれから、どのくらい時間が過ぎたのだろう。
目が覚めたとき、もうすでに山崎さんはいなかった。
眠るとき、確かにあったぬくもりも、すでになかった。
山崎さんは、忙しい人だ。
当たり前なんだけど、少し寂しく思う。

熱は ―――――― よかった。 下がっているみたいだ。

起き上がろうとした時、山崎さんが握っていてくれた方の手に、何か握っているのに気づいた。
なんだろう、と見てみると、緑色の布に包まれたお守りだった。

「これ・・・・・・山崎さんが?」

もしかすると、山崎さんが身に着けていたものなのだろうか。

嬉しい思いと、それと共に切ない思いが心をよぎった。






だって、こんなことをされると、想いが大きくなってしまう。







山崎さんを好きだという気持ちが。








大きくなって。








大きくなりすぎて。








零れてしまう。












「山崎さん・・・・・・・」










私は、それをきゅっと握り、想いごと抱きしめた。







2009.10.9