01

いつもより大きい月が、山の上にぽっかりと浮かんだ夜だった。

冴え冴えと光る月にあてられたのか、眠気が少しも襲ってこないのにやきもきした私はひとつ大きいためいきをついた。

「眠れない」

困ったことに、口に出すとますます眠れない気がしてくる。
このまま薄闇に浮かぶ天井ばかり見てても仕方ないので観念して布団から抜け出すと、能天気に明るく光る月でも恨みがましく見てやろうかとふすまを開けた。
すると、そこには思っても見ない人が、神妙な表情で空を見上げていた。

「山崎さん」

「雪村くんか。 どうした? 眠れないのか?」

「あー、はい。 月が明るい夜だからでしょうか。 山崎さんは、任務の帰りですか? お疲れ様です」

「そうか。 ・・・・・・眠れないなら、少し話をしないか。 君さえよければ、だが」

意外な申し出だと思った。
なぜなら、山崎さんは監察という隊の中で特殊な任務についているせいか、人を寄せ付けないような雰囲気をまとっていたから。
何か彼との間には、一枚見えない壁があるような感じさえしていたほどだ。
だから、まさか今こんなふうに話をする機会ができるとは思いもしなかった。
少し、緊張して答えを言いよどんでいると、ふと山崎さんは微笑んだ。

「緊張、しているのか? ・・・・・・無理もないか」

「あっ、ち、違うんです。 なんかいつもの山崎さんと違ったので、ちょっと戸惑ってしまったというか・・・・だから、私の方こそお話相手になってくださるなら嬉しいです。 一日の中でお話しすることって少ないので」

そうか、と言うと、山崎さんは縁側にすとんと座り、隣をすっと指をさし勧めた。
私は勧められるまま、そこに座った。


初めて、だったからだろうか。


話をするのも。


―――――― こんなに近くに居るのも。


私がふと視線をうつした時、山崎さんに視線が縫い止ってしまう。




整った横顔。



切れ長の瞳。




監察と言うだけあって、山崎さんの雰囲気は“静”だ。
といっても、斎藤さんのような、涼やかな月の光の色とはまた違う。
まっすぐな強い光を放つ月。
それに、今日の月のような、眠りがたい鋭さがちらちらと垣間見える時があるのだ。
一見穏やかで、今にいたっては鋭さの陰も見えないのだが。

「お休みにならないんですか? なんか、少し顔色が優れないみたいですけど、大丈夫ですか?」

「・・・・・・驚いたな。 任務が立て込んでいて少し疲れているとは思っていたが。・・・・・・君が鋼道さんの娘だと言うのはあながち間違いではないらしい」

静かに見えて、探るように瞳の奥が光った。

「君は、医術はどの程度学んでいた」

「学んでいたわけじゃありません。 父の側にいて手伝っていた程度なので、応急処置と多少の薬草の知識くらいしかありません」

「そうか。 それでも経験があるのとないのとでは大違いだ。 君もここばかりにいて辛いだろうが、もうすぐ出れるようになるだろうからすまないが辛抱してくれ」 

「はい、ありがとうございます」

そういうと、意外にも山崎さんの手は励ますように私の頭をくしゃっと撫でた。
こういうことをするタイプには見えなかったので一瞬驚いたが、それと共に懐かしい既視感に包まれた。

「山崎さんの手、父の手に似てます。 あったかくて、大きくて」

「鋼道さんの?」

「はい。 父の手は、魔法の手なんです。 父が触ると患者さんが安心したように表情が和らぐんです。それをすぐ隣で見てきて、うらやましくて、私も父のような魔法の手が欲しいと思いました。 それが簡単には手に入らないものだとわかったのは、ずっと後なんですけどね」

その魔法の手は、父の経験であり、知識があるゆえなのだ。
そのどれも持っていない私の手など、魔法が使えるわけがない。

「でも、私はあきらめが悪くて。 救えるのは父の手だけじゃない。 救う道はひとつじゃない、と思いたいんです。 父のようにはできない。 でも、私は私のできることをしようって。 今思いつく最大のことを。 ・・・・・・って言っても、やっぱりたいしたことはできないんですけど」

私は、山崎さんの手を見つめた。
どうしてだろう。
見た目は全然似ていないのに、似ているなんて思ったのは。
私は、不思議に思った。

「山崎さんは、その憧れの手に似てます。 ・・・・・・・あっ、す、すいません! 父なんかと似てると言われても迷惑ですね。 それにペラペラとすいません!」

私は、慌てて頭を下げた。
気分を悪くするかと思ったのに、山崎さんは切れ長の瞳を細めて微笑んだ。

「いや、すごく嬉しい。 君にはひとつ気づかせてもらった。 ありがとう。 礼を言う」

とくん――――――

胸の奥が、響いた。
もしかしたら、思っていたほど怖くないのかも、と思う。



“俺は監察という立場上、君のことを信用しない” 



そう冷たく言い放った彼とは、また違った印象を受ける。













どの彼が、本物なんだろう。













知りたい。














一体、どれが本当の山崎さんなの? ――――――

















□  □  □
















新選組の巡察についていけるようになってもなお、父の行方は依然として知れなかった。





それでも、今の私には落ち込んでいる暇もなかった。





「今日は、薬草を取りに行きます。 ついてきてください」

「はいっ!」

私の置ける環境は、少しずつ好転してきていた。
医術の心得があるのを見込まれて、山崎さんと共に屯所の怪我人や病人を診る役目をいただいたのだ。
ここでは、自分が何も役に立てることはないんだと暗く落ち込んでいた矢先、こういう話が舞い込んできたので本当に嬉しかった。
大げさだけど、自分の居場所ができたような、そんな気さえしていた。




山崎さんは草むらに入ると、目的の薬草がないか目をこらしている。
そして、思いついたようにぽつりと呟いた。
最近気づいたのだが、山崎さんはこうやって思いついたようになんの脈略もなくぽつりと会話を始めることが多いのだ。

「ここの人たちは、何かあれば、万能薬と言われている“石田散薬”を使おうとする」

「斉藤さんは特に愛用してますね」

「ああ。 俺も副長が推す薬だから悪い薬ではないと思っていた。 しかし、実際自分で使用してみて効き目に疑問を感じ、松本先生に話をして調べてもらったのだ。 すると・・・・・・」

「・・・・・・・すると?」

「ただの強壮薬だった」

「えーーーーーーーーーーーーーっっっ!!!!」

「あれだけ信じてる斎藤さんには、あれがただの強壮薬だなんてとてもじゃないが言えない。 風邪には多少効くとは思う。 斎藤さんのような体力がある人にはあれで十分だとも思う。 しかし、あれを傷に塗っている姿を見たら・・・・・・なんとも切なくなってくる」

「き、傷には、そうですね。 確かに・・・・・・・・」

「それから俺は、薬に関しては副長の言うことは信用できなくなってしまった」

「私が斎藤さんに言いましょうか?」

「いや、言っても無駄だと思う。 斎藤さんのあの薬に対しての盲信ぶりからすると、君が言ったくらいでは信じてもらえないだろう。 それに・・・・・・・」

「・・・・・・・それに?」

「斎藤さんだけに限ってだが、傷の治りが普通の傷薬をつけた時と同じくらい早い」

「えーーーーーーーーーーーーーっっっ!!!!」

「“偽薬”も薬のうち、ということだろうな」

手際よく薬草を摘み取りながら、話す山崎さんの横顔を見る。
こうやって一緒にいる時間が増えてわかったことなのだが、山崎さんはとても良く話してくれる。
最初の印象から、こんなに話す人だとは思っていなかった。
どちらかというと、寡黙な人なのかと。
それに、困ったことがあると何も言わなくても手を差し伸べたりしてくれて、面倒見もいい。
おかげで今では、新選組の中で、一番山崎さんと会話することが多くなった。

「原田さんや永倉さんに至っては、すでに手にも取らないし、運悪く自分の手に回ってきたときには人知れず縁の下に捨てている状態だ」

「え、縁の下に?」

「ああ。 体力が落ちている人には効く。 まあ、もともと体力のあり余ってるあの人たちには必要のないものだろうからな」

「そうですよね。 強壮薬、ですもんね。 今以上に元気になられても困りますよね」

「ああ、そうだ。 すごく困るな。 しかし、めったにないことだが、風邪の時には飲んでもらわないと困るんだ」

「え、どうしてですか?」

「・・・・・・・副長の指示だからだ」

「ああ・・・・・」

「断ると、面倒なことになる。 あの人も薬屋だったから」

目に浮かぶ。
“俺の薬が信用できんのか” とか、凄んでくる姿が。

「毒でないのなら、無理に意見することもあるまい」

「・・・・・・・・・・山崎さんも縁の下に捨てれば!」

「できたら苦労しない」

そう、心底困った表情を浮かべる。
そんな山崎さんの表情を見て、私は愉しくなってふふと笑った。

「そうですね。 山崎さん、まっすぐな人ですから」

そう言うと、山崎さんは苦笑した。

こうして山崎さんと一緒にいる時間が、増えれば増えるほど。
山崎さんのことを知れば知るほど。
意外な面が見えてきて、山崎さんという人の奥をもっと知りたくなってしまう。






知りたい、とか。






もっと一緒にいたい、とか。






なぜだろう。







そういう気持ちがふくらんでゆく。










大きく、大きく。








ふくらんでゆく。








なんなのだろう。








自分の胸の奥で、くすくすと燻るこの気持ちは。





2009.9.26