左之助は、を待って待ちぼうけていた。
ひとつためいきをついた時、急に騒がしくなった通りに足を向けた。
角を曲がろうとすると、出会いがしらに誰かにぶつかりそうになった。
「おっと! 気をつけやがれ!!」
「てめえこそ・・・・・・」
左之助は一方的なガラの悪い男の因縁に言い返そうとしたが、その容貌にはっとした。
「額、真一文字に、刀傷。・・・・・・てめえが?」
左之助は、すらりと刀を抜き去った。
刀の先から、殺気が漂い出す。
「あんただろ。のカタキとやらは」
「なんなんだよ、今日はよ。よくからまれる日だぜ。って、ああ・・・・・・ってさっき殺った女か」
「!!?? 殺った、だと・・・・・・・!?」
「あれ、おまえの女か? あっちでおねんねしてるから早く行ってやれよ。でないと、死んじまうぜぇ?」
男が指差す方向を見ると、赤く地面が染まっている。
その真ん中には、左之助が先ほどまで待ち続けていた人物が横たわっていた。
「!」
「じゃあな」
「っ・・・てめえっ! 待てよっ!!!!!」
「ぐぅあっ!!」
左之助は勢いよく刀を振り下ろしたが、男の頬を深くえぐっただけにすぎなかった。
男は、頬から流れる血を抑えて、逃げて行った。
「くそっ!!!! ・・・・・!!!!」
左之助は、男を追うよりも血溜まりの中のに駆け寄ると、汚れるのも構わずに体を抱き起こした。
顔を近づけると、弱いもののまだ息はある。
しかし、この傷では―――
そう左之助が思った時、が弱弱しく笑った。
「アハ、ここまで、か。ま・・・・・・しょーがないね。バチ、あたったんだ。お夏からあなたを盗ったから」
「違う。おまえは俺が選んだんだ。盗ったとか盗られたとかそんなんじゃねえ」
「バカ。そんな顔しないで。こうなるのは、決まってたの。これは持って生まれたもんだから、誰にだって逆らえない。命の火の大きさは最初から決まってるけど、“いつ”ってのは、誰だって、医者にだってわからない。単に私は“今”だったってだけ」
「喋るな」
「だから、そんな顔しないでいいの。左之は、笑ってて」
「だから、喋るなって!」
喋るたびにの口から赤い液が流れ出すのを見て、左之助がたまらず制止した。
そんな左之助を、今喋らなきゃいつ喋るの、とは微笑んだ。
「私の因縁は、ここでおしまい。もし、ね・・・・・・これから先、もしアイツに会っても、左之は手をかけないで。私の因縁に左之を巻き込みたくないから・・・・約束、して。忘れ、て、お願い」
左之助は、うなずいた。
忘れられるわけがない。
初めて心から欲した女のことなのに、忘れられるわけがない。
でも、これは、最期の願い。最期の約束。
左之助は、うなずくしかなかった。
「よかったぁ・・・・・・最期に左之に会えた。目に焼き付けて逝ける」
「」
「うん。私を呼ぶ声も、耳に残して逝ける。・・・・・・ありがと」
左之助は、すうっと頬を愛おしそうに撫でた。
「左之の幸せが、私の幸せ。だから、あんたは笑ってて。ずっと―――」
抗えないまぶたの重みに、すうっとの目は閉じた。
もう、目を開けることはない。
もう、苦しむこともない。
悪夢に悩まされることもない。
の表情は、驚くほど安らかだった。
左之助は、生まれて初めて声を上げて泣いた。
ひとしきり泣いた後、を抱き上げると立ち上がった。
「・・・・・・・・おまえがいねえ世界なんて、死んでるも同じだ」
* * *
「あれてたなーーーー、あの時は」
「誰も手がつけられないくらいだった」
「酒かっくらって、殺気だだもれ、誰彼かまわず喧嘩売って。あんときの左之はなんつーか・・・・・・なあ」
「鬼だったよね」
「ま、そーゆーことがあったのよ。・・・・・・あ、左之には言うなよ。また口が軽いってどやされちまう・・・・つーか、千鶴、おまえ何泣いてるんだよ」
「え? あ、あれ、ホントだ。 どうしたんだろ。 なんか、原田さんの気持ち考えたら、すごく切なくなっちゃって」
千鶴は、いつの間にかこぼれていた涙を拭いた。
愛する人を亡くして、どんなに辛かっただろうか。
そう思ったら、涙が出ていた。
「あいつはああ見えて情が深い奴だ」
「はい、わかります」
「だけど、今はどこか一歩踏み込むのを無意識に制してるみたいな感じがするな」
「そう、ですか」
千鶴は、少し考え込むと、ちょっと行って来ます、と席を立った。
「―――さぁて。・・・・・・千鶴だったら鍵をはずせるかな」
人は、ひとり。
杯は、ふたつ。
月は、大きく丸く空に鎮座している。
今日の月は、殊更大きい。
まるで、あの日のように。
「乾杯、しようぜ」
左之助はぐいと杯を飲み干した。
「よう。これで、やっといけるだろう?」
今日の酒の相手は、月。
共に、呑もう―――
「迷わずいけよ」
ぐいとひとつ飲み干した。
「原田さん」
「・・・・・・千鶴か」
「お邪魔、じゃないですか?」
「いいや。 おまえならいい。ここ、座れよ」
「今日は悪かったな。驚かせちまっただろ」
「いえ」
「ありがとな。止めてくれて、助かった」
あの場で、自身でさえ制御できなかった左之助を止められたのは、千鶴だった。
他の組の隊士ではなく。
千鶴以外だと、多分、衝動のまま止まらなかっただろう。
千鶴の声だから耳に入ったのか。
そう思うと、不思議な気がした。
「もしかして、聞いたか? 誰かから」
「え、いや、な、何も聞いてません」
新八から口止めされてただけに、口がさけても“うん”とは言えない。
でも、千鶴の嘘などお見とおしのようで、左之助は笑った。
「相変わらず、嘘が下手だな、千鶴は。 新八か? あの野郎・・・・・・後でおしおき決定だな」
「・・・・・・ごめんなさい」
「謝るこたぁねえよ。それより、心配かけちまってすまないな。終わったことだから、おまえがそんな表情することねえよ。ようやく区切りついて目出度いって言えば目出度いんだからさ」
左之助は、杯を飲み干して、月を見上げた。
その瞳は切なさに満ちていて、千鶴の心も千切れてしまいそうなほどだった。
「ただ、切ねえ、よな」
多分この先も思い出して切なくなると思う。
それでも、千鶴ならばそれを含めて許してくれるような気がしていた。
左之助は、ぐっと千鶴を抱きしめた。
「今は、こうさせててくれねえか」
「・・・・・・・っ原田さん・・・?」
首筋に、ぽつりと熱い感覚。
最初は熱かったそれは、体温より冷たく温度を変えながら、背中の方に伝ってゆく。
次々と、次々と。
それは、千鶴の心にも、切なさをもたらした。
「・・・・・・わりいな。顔、見せられねえ ―――頼む。・・・このままでいてくれ」
千鶴は、抱きしめた。
少しでも。
少しでも早く、左之助の悲しみが和らぐように。
2009.5.23