人は、ひとり。
杯は、ふたつ。
月は、大きく丸く空に鎮座している。
今日の月は、殊更大きい。
まるで、あの日のように。
「乾杯、しようぜ」
左之助はぐいと杯を飲み干した。
今日の酒の相手は、月。
共に、呑もう―――
昔 話
千鶴は左之助の十番組と共に、夜の見廻りに出ていた。
「いいっつったじゃねえか。千鶴が夜の見廻りに来る必要なんてねえって」
「言いました、けど」
「いつもとは事情が違うんだぜ?」
左之助が、心配そうにそう言うのもわかる。
今、ある盗人団が街を賑わしていた。
盗みだけだったらまだいい。
それだけじゃ飽き足らず、人殺しまでしてしまうのだから性質が悪い。
しかし、玄人の仕業ではないと、左之助は確信していた。
盗みに入った家での殺人が一度ならず何度もあるので、かなり杜撰な盗人団だ。
家人に見つかるのも恐れない。
迅速な行動などはなから頭にない。
ただ忍び込み、ただ金目のものを探し、騒がれたらあっけなく惨く殺す。
ただ逃げ足だけが速い素人の集団だとしか思えない。
玄人ならば、もっと手際よくやるだろう。
その素人の集団に何度もけむにまかれている左之助はじめ新選組は、かわら版で無能だとここぞとばかりにこけおとされていた。
「ただの空き巣の部類じゃない。人を殺すのも何とも思ってない連中なんだ。―――危険だ」
「原田さんがいたら大丈夫ですよ。それに、もうここまで来ちゃいましたし」
「はあ・・・・・・能天気と言うのか、なんつーか・・・・・・おまえにはまいった」
説得できないとわかると、左之助はあきらめたように笑い、千鶴の頭をぽんと撫でた。
そして、千鶴の高さまで腰をかがめると、すっと瞳をのぞきこんだ。
「絶対に俺の後ろから離れるなよ。俺が守ってやる」
刺激が強すぎる――― 千鶴の頬は、みるみる染まった。
こんなに近いと、意識するな、という方が無理だ。
女性に人気がある左之助の本領を垣間見たような気がした。
その時、甘い空気を切り裂くように、どこからか女性の叫び声が聞こえた。
一瞬にして、左之助の表情は引き締まる。
「こっちだ!!」
左之助率いる十番組が駆けつけると、丁度屋敷から全身黒ずくめの男達が数人出てきたところだった。
左之助は見るだけで痛みを感じそうなくらいの気を放ちながら、にっと不敵に口端を上げた。
「ビンゴ」
その男達は、血しぶきに顔を染めていた。
押し入った家の者に、刀を振り下ろしたのだろう。
「羅刹隊にゃあ見せられねえ場面だな」
盗人団が出てから、夜間の警備に羅刹隊を出さないのはこのためだった。
こんな場面を見たら、血に狂ってしまい、盗人団をつかまえるどころか相当めんどうくさいことになってしまう。
左之助が、囲め、と指示を出すと、十番組が黒ずくめの男達をあっと言う間に取り囲んだ。
「はい、おしまい。あんだけ殺しといてあっけねえなぁ」
「ちっくしょう!!!」
男達は囲いを脱しようと刀を構えたが、そのばらばらな構えから実力も窺い知れる。
それに、多勢に無勢。
勝ち目などない。
「もう逃げられねえよ。観念するんだな。刀を捨てろ」
左之助が冷たく言い放つと、男達は現状を悟ったのか、逆らうこともなく刀を投げ捨てた。
全員を縄で拘束すると、左之助は次々と黒い覆面をはぎ取っていった。
そのうちの頬に傷跡がはしる男の顔を見ると、左之助からびりっと殺気が漏れ出した。
「へぇ・・・・・まだこんなことしてたとは、存外図太いねえ」
「誰だ、てめぇ」
「覚えてねえ、か?それまた、神経図太くできてるみてえだ。あんたの顔にゃ、まだ記憶は残ってるようだけどな」
「!」
「ま、それも無理ねぇか。あんときゃ俺もまだ細っこかったし、こんな槍なんか握ってなかったしな」
「殺せ!! さっさと殺せ!!!」
傷の男が、わめいた。
「うるせえよ」
ぞくりと、した。
抑えることもなくだだ漏れる殺気とは対照的な、静かで冷たい口調に。
千鶴や組員でさえも一瞬で動けなくするほどの寒々とした空気があたりを包む。
それが、尋常じゃない左之助の殺気だということに、ほどなく気づいた千鶴は、左之助に制止の声を張り上げる。
「原田さん!!」
千鶴は、震える手で左之助の羽織をぐいと引いた。
「ああ、わかってる・・・・・・わかってるよ。何も心配するこたぁねえ」
千鶴に向けた笑顔は、ひどく哀しかった。
左之助は、気持ちを落ち着かせるように、大きくひとつ呼吸すると、男に向き直った。
「運命は巡るもんだねぇ。ここで会ったが百年目。あんたにゃ上から討伐命令が出てる。覚悟しな」
「へえ!!よく左之さん、黙って引き渡したね!」
目を丸くして、平助は酒を一気にあおった。
彼らには、上から討伐命令が出ていた。
抵抗しなかった彼らの身柄をそのまま引き渡すのは当たり前のことで、そこまで驚くことでもないと思うのだが。
千鶴は、少し不思議に思ったが、先の左之助の尋常じゃない殺気を思い出し、何か理由があるのだとも思った。
「原田さん、すごい殺気でした。・・・・・・怖いくらいに」
痛い、と感じるくらいの殺気を、千鶴は初めて肌で感じた。
きっと目の前のこの人を殺すだろう、とあの場にいた誰もが思った。
誰かれ構わず殺気を撒き散らす人ではないことを知っているだけになお驚いた。
しかし、左之助は殺さなかった。
手が白くなるくらいぐっと握り締めた槍を振り下ろさなかった。
「殺しても殺したりねえだろうよ。なんで引渡しちまったんだろうな。ばっさりやっちまえばよかったのによお。どっちにしろ、獄門なんだろうからさ」
「ですよね・・・・・・なのに原田さん、生ぬるい、って言ってました」
「ああ、刑の方がエグいことするもんな。少しでも苦しめってことか」
「確かにね。でもさ、自分の手でなんでケリつけなかったのかなあ。俺は理解できねーよ」
「まあな。なんで殺さなかったのか、俺にも理解できねえ」
そう言いながら、ふたりは視線をおとす。
千鶴は、珍しいくらい真面目な表情をする二人を交互に見て、おずおずと尋ねた。
「あの、聞いてもいいですか・・・・・・? あの人は、誰、だったんですか?」
「まあ、昔、な。あいつ、頬に傷があったろ。あの傷の因縁ってとこか」
「因縁?」
新八は、片眉を下げてため息をつくと、ぐいと酒をあおった。
「ああ。今、ああやって明るいのが信じられねえくらいひどかった時期もあるんだぜ?」
「ひどかった? 左之さんが?」
酒の勢いか。
新八は、うなずくとぽつりと昔話を始めた。
「ああ。あれは俺らが新選組を名乗る前のことだったな」