03.告げた想い


(原田さんたちのことだったんだ)

通ってくる患者たちの話を聞いて、志野はうなずいた。
いつもは興味がなかったためそれほど真剣に聞いていなかったが、左之助は試衛館という道場にいて、そこはイケメンだらけの道場らしいのだ。
しかも、かなり有名らしい。
女性たちが病院の中でも色めき立つほどに。

「私は、やっぱり土方さんがいいかな。目の保養」

「ええーーー? 強いし、沖田さんの方良くない?」

「私は原田さんかなぁ。優しいし」

ドキン。名前を聞くだけで、心が揺れる。
昨日の今日だからなのか。

「でも、原田さん最近恋人できたよね。 一緒にいるの見たよ」

「うわ、ほんと? ショックーーーーーっ!」

恋人って、お夏のことだ。
どこから聞いてくるのだろう。
有名人だから、人目につくのだろうか。
こういう情報まで筒抜けだ。
志野は、顔に出さないようにするのが精一杯だった。

「志野は?誰がタイプ?」

「え? わ、私、ちょっとまだ誰が誰かよくわからなくって」

「そうなのーー? じゃあ、今度教えてあげるから、道場に行こうよ」

「えーと、痛そうなのってあまり好きじゃないからーーーー」

「あはは、志野、医者なのに変なのーー!」

「そうだよね」

一度遠くから見かけたことがあるのだが、道場はすごい女の子の数なのだ。
行くのはいいが、あの人垣の中に入っていく勇気など志野にはない。
もみくちゃにされて、ポイだ。
それでも、医者をやっているとはいえ、志野も年頃の女の子だ。
場所は病院なのだが、こうやって異性の話をするのは楽しかった。

(確かに、モテるのはわかる)

志野は、昨夜のことを思い出してうなずいた。
左之助は、すごく優しいのだと思う。
お夏の友達だとはいえ、あまり面識のない志野を護衛してくれたのだから。
夜道だからと、手まで引いてくれて。
でも、あれは見る人が見たら誤解されてしまうだろう。
もうおそらく会うことはないだろうけど、ああいった誤解されるようなことはしないようにしようと、志野は心に決めた。








「めんどくさ・・・・・・」

志野は、今夜も薬を取りに外に出た。
いつものこととはいえ、夜に仕事で外に出るのはかなり億劫なものだ。

「あ」

志野は、驚いた。
外に出ると、腕を組んで壁にもたれかかる左之助の姿があったから。

「はい、捕獲。一人で夜出歩くなって言っただろ」

左之助はにっと笑って、志野の腕をつかんだ。

「捕獲って。そんなこと言ったって、薬が足りなきゃ取りに行かなきゃならないんです。・・・・・・何か、ご用でもありましたか?」

「おまえのこったろうから、またひとりで出歩くだろうと思った。だから、ここで待ってた」

「私を?」

「ああ。おまえを」

怖いくらい、胸が大きく鳴った。
この人は優しいから、女が夜に出歩くのを見過ごすことができないだけだ。
ただそれだけで、他意などないことはわかっている。
そう思っても、そう心に言い聞かせてもなお、志野の心は上ずった。
でも、志野は決めたのだ。
もう、左之助には関わらないと。
志野は、ふいと左之助から顔をそむけ、失礼だと知りつつ腕をつかまれていた手を払った。

「今日は、昨日より遠くないところなので大丈夫ですから」

志野の態度に、左之助はおたおたと慌てた様子で、歩き出した志野の足を止めるように回り込んだ。

「お、おいおい。俺、なんかしたか?悪い、悪かった。腕痛かったか?」

志野は、そんな左之助の様子に、思わず笑った。
強くて、自信に溢れている。
そんな左之助のイメージとは、正反対の顔だったから。

「気を悪くさせたんだったら謝る」

「原田さん、何もしてないじゃないですか」

更に体を折り曲げて笑う志野に、左之助はばつの悪そうな表情を浮かべながらも微笑んだ。

「お気遣いありがとうございます。でも、やっぱり護衛はお願いできません。私なんかに気を使ってくれなくてもいいですから」

そう丁寧に断りをいれると、左之助はぐっと志野の手を取った。
志野は驚いて、左之の顔に視線を移す。

「?? 離してください」

「嫌だ、と言ったら?」

「え」

「あんたを離すのが嫌だと言ったら?」

左之助は、真剣な表情で、志野を見据えた。
困ってしまう。
本当に、困ってしまう。
冗談だとわかってるから、いつもならさらっとうまくかわせるのに、どうしてだろう。
左之助の言葉は、真正面から捉えてしまい、言葉に詰まってしまう。

「・・・・・・ハハハ、、冗談。だけど、行くんだったら一緒に行かせてくれ。というか、行くときは声かけてくれねえかな? あんたが外出歩いてると思ったら、心配で夜も眠れねぇ」

この人に、こんな表情で頼まれて、断れる女の人っているのだろうか。
少なくとも自分は断れない。
さっきまでの決意はどこへやら、志野はこくんとうなずいてしまっていた。

そして、また伸ばされた手。
その手に磁石のように誘われて、志野はぎゅっと握った。
離したくない。
離れられない。
そうはっきり思うのは、左之助のことが気になっているから。




お夏、ごめん―――





その罪悪感も、左之助と繋いだ手から吸い取られるように白く霞んでいった。





あれから、夜草を取る時は、左之助に声をかけるようになった。
夜草を取りに行く自体は、仕事の一環なので悪いことではない。
ただ、それを誰にも言えないでいる。
もちろん、お夏にも。
やましい気持ちがないのであれば、お夏にひとこと断りを入れられるだろう。
でも、言えない。
この時点で、自分の気持ちはもう左之助に傾いているのだ。
人には言えない感情を持ってしまっているのだ。
最初は、夜草目当てで出た夜も、今では左之助に会うためのようなものだった。

「お夏、元気?」

こうやって、前を歩く人にお夏のことを聞いてしまうのは、胸にはびこる罪悪感から。
それで、自分の心がちくりと音をたてることになっても。

「お夏、いい子でしょ? 左之が好きになったのわかる」

気持ちを悟られないように、志野はわざと軽い口調で言った。
こんなこと言いたいんじゃない。
心と反目することを、口は勝手に告いでしまう。
左之助は、握ってた志野の手を更に強く握り締め、切なそうな顔で振り向いた。

「・・・・・・・気づいててそんなこと言うのかよ。ひでえ女だな」

「え」

「気づいてんだろ? 俺の気持ち」

志野がきょとんとしているのを見ると、左之助は苦笑して続けた。

「俺、こういう駆け引きってあまり上手じゃねえし、知らねえんだ。だから、正直に言う。・・・・・・志野のこと前から知ってた。夜に男装してどこかに出掛けるのを見かけて、それから気づいたらずっと目で追ってた」

「あ、やっぱりおかしかった? 最初から左之にバレてたもんね」

そう笑った志野に、左之助は怖いくらいに真剣な眼差しを向けた。

「その時から、気になってた」

どくん―――志野の心臓は、重く脈打った。
左之助の言った“気になる”の意味がわからないほど子供でも、にぶくもないからだ。
気づかないふりをしたい。
でも、驚いて、頭が真っ白で、気の利いた言葉が出てこない。

「さ、左之には、お夏がいるじゃない」

「あいつとは別れた」

「―――どうして!!!???」

「あいつには悪いと思ってる。でも、もう止められねーんだよ。会ったらどんどん大きくなる。この気持ちをもう抑えきれねえんだよ!」

左之助は、激情にまかせるように、志野を強く抱き寄せた。

「志野が、好きだ。好きで、好きで、どうしようもねえ」

涙が、出た。
左之助の耳元で囁く愛の言葉は、志野の重苦しい罪の心さえも溶かしていく。

「・・・・・・・おまえも俺のことを好きだと思うのは、俺の勘違いか? 勘違いだったら止めろ」

左之助は、震えながら寄せた唇を、そっと合わせ、そして離した。
吐息さえもかかる位置で、瞳と瞳がぶつかる。

「そんな目、すんな。止められねぇ・・・・・・」

どんな瞳?そう思った志野は、間近で交わした左之助の瞳に映った姿を見て気づいた。
同じ。
私も、同じ―――
左之助の瞳に映った自分は。
恋うる顔。

「―――っ!」

志野は、見ていられなくて目を閉じた。
そんな無防備な志野を見て、左之助はくっと眉間を寄せると、切なそうに少し唇を噛んだ。

「止めろよ。俺を止めろ」

「・・・・・・っ、無、理・・・・っ」

「じゃあ、志野の口から聞かせてくれないか。・・・・・・俺が―――欲しいと」

志野は、零れる涙もぬぐわず、顔を上げた。

「・・・・・・き」

一度目は、かすれて声が出なかった。

「好き。左之が、好き」

二度目は、震えながらもはっきりと左之助の耳に届いた。
左之助は微笑むと、深く、深く唇を重ねた。

何が零れ落ちようとも。
何を捨てようとも。
この人だけは、欲しい―――

こんな独占的な感情が自分の中にあったのか。
志野は自分の感情さえ予測がつかなくて、左之助の腕の中で怖くて震えた。

「異常だよ。気が狂っちまいそうなほど―――お前が好きだ」





狂いそう―――それは、志野も同じ。





怖い―――





どうにかなってしまいそう。





こんな自分さえ怖いと思う気持ちさえ、左之助なら抱きとめてくれた。




大切なものは、ひとつだけでいい。




たったひとつ。




左之助、だけ。


2009.5.9