年の瀬も迫ったある夜、赤騎士団長執務室には未だ明かりが灯っていた。
渡された冊子に目を通していた赤騎士団副長ランドが、ふと顔を上げて、卓を挟んで向かい合う上官に感嘆の眼差しを注ぐ。
「これはまた……随分な額になりましたなあ」
若くして一団を与る青年は、副官の言葉を聞いて、困ったように微笑んだ。
マチルダ騎士団領では、例年、税収の約八割が騎士団運営費に充てられる。それが更に三分割され、白・赤・青、各騎士団に割り振られるのだ。
「騎士団が税収の八割を使う」と言うと、資金を割き過ぎているようにも聞こえるが、実はそうでもない。あまた在籍する団員の俸給は無論、装備品購入代金もここから捻出する。特に認められた場合を除いては、つとめの遂行に掛かる費用も負担するため、端で思うほど財政事情は楽ではない。
かつてマチルダでは、年末に次年の予算配分が実施されていた。しかし、稀にこの地方を見舞う雪害の処置費用が見積もりづらいという理由から、いつしか春先にこれが行われるようになった。
ひとたび予算が下りた後、どう使うかは各団の裁量に委ねられている。余った資金は次年以降への持ち越しが可能だが、不足する場合が圧倒的に多い。かと言って、戦時下でもない限り、追加金が下りることは皆無に近い。よって、年度末まで困窮せずに済むか否かは、資金の管理者、つまり騎士団長の手腕に掛かっていると言っても過言ではなかった。
さて、カミューが団長に就任して以来、赤騎士団は財政難とは無縁に過ごしてきた。
華やかな容姿に似ず、彼は見事な倹約家で、一団の最高位階者として自由に使える金が充分に与えられていたが、これに手をつけることは滅多になく、就任の翌年には、この予算は「予備費」の枠に統合されるはこびとなった。
また、彼は多くの商人と懇意になった。情報収集が第一の目的だったが、必要備品の値引き交渉を有利に進める点でも、この関係は役立った。
商人たちは、赤騎士団長の美貌と人柄に魅せられる一方で、その卓越した値切りの才を恐れた。予定の採算を割り込み、時に涙目になりながら、それでも彼らはせっせと城に通い続ける。何故ならカミューは、自団騎士の装備充実に留意を欠かさぬ極上の客でもあるからだ。故に商人たちは、薄利多売に徹する覚悟で、発注を得ようる努力を重ねているのだった。
上官のつつましさは、自然と部下にも伝染するものらしい。赤騎士団員は装備品をたいそう大切に扱ったし、無意味な出費を抑えようと尽力した。結果、備品に掛ける経費は大いに浮いた。
また、彼らには他団とは比較にならない有利な事情があった。
古来より赤騎士団は、戦場で、陽動や撹乱といった役割を任されることが多かった。一種の伝統といったものなのか、現在の赤騎士団は、そんな中でも過去最高と称される騎馬部隊を有している。
この技術を更に向上させるため、騎馬訓練には多くの時間が充てられていたが、城内の闘技場を一騎士団が占有する訳にもいかないので、自然、ロックアックス郊外に赴く機会が多くなる。そこで遭遇する魔物が、団の財政を潤してくれるのだ。
魔物は、斃された際に金や物品を落とす。こうした品々は、はたらきの対価として各騎士団の収益になる。訓練をこなし、領民の安全を保ちながら、収入を得る───正に三重の利。野外訓練に励んだ分だけ、余剰金が増すという訳だった。
年度末を待たずに予算を使い果たした騎士団とは悲惨なものだ。そうならぬためにも、団員たちは一丸となって蓄財に勤んでいる。
赤騎士団副長が卓に置いた冊子は、今年度、現在に至るまでの騎士団収支の記録だ。そして、帳簿の一画、「予備費」の欄には、一騎士団の年間予算にも迫りそうな額が記されていたのだった。
「赤騎士団長位を引継ぐ際に薫陶を受けたよ。「無駄金は使うべからず、常に残金に敏感であれ。はじめ豪気に使い過ぎると、年度後半に泣きを見る」───御忠告を忠実に守って今日までやってきたつもりだったが、……少し忠実すぎたかな」
カミューが言えば、副長はすかさず首を振った。
「困窮してからでは遅いのです。騎士たちに厳しい倹約を強いておられる訳でなし、斯様な御考えは無用かと」
「では、もう少し商人の儲けを気遣ってやるべきだったかな」
彼は笑い、手に取った帳簿を捲り始めた。
「過去の繰越金を合わせた額とは言え、この時期、これだけの予備費を持てたのは、団員一同の献身的なはたらきによるものが大きい。そう思えば感慨もひとしおだけれど、……これは少しまずい気がする。このままでは、来年度の予算取得を遠慮してくれと、ゴルドー様に泣きつかれそうだ」
カミューの指摘に同意して頷いたランドが、ややあって口を開いた。
「年明けにでも、少々大掛かりな装備新調をなさっては如何でしょう。わたしが見た限り、替えた方が良さそうな盾が幾つかあったように思います」
「そうだね。各部隊ごとに購入を希望する装備品のリストを提出させてみよう。変に遠慮しないように、おまえから上手く言っておいてくれるかい?」
「拝命致します」
副長はにっこりしながら受諾の姿勢を取った。続いてカミューは、やや表情を引き締めた。
「実は、もう一つ相談がある。昨日、第二部隊が訓練中に珍しい魔物二体と遭遇したのを聞いたかい?」
はあ、とランドは首肯する。
「二体ともハイランド領内に生息する種だったとか……。他領の魔物が侵入してくるとなると、国境付近の警備を増強する必要があるやもしれませぬな」
「それもあるが、今は別の話なんだ。その逸れ魔物たちから得た品々を鑑定したら、極めて値の張る骨董品だった。何だと思う?」
「そうですな……、彼の地には、女神の像や花鳥風月の絵を落とす魔物がいると聞きますが……」
「両方だよ。それぞれ、女神像と絵を落とした。二点で六十万ポッチは下らない」
ランドは驚いて目を瞠った。
「ろ……六十万、でございますか? 「肩当て」が三百も買える額ですぞ」
「三百五」
「は?」
「同一商品を三百も\め買いするなら、五つくらいは上乗せして貰わないと」
商魂逞しい男たちを半泣きにさせてきた遣り取りを垣間見たような気がして、強張り顔で笑むしかない副長だ。気にせずカミューは、さらりと続けた。
「どうして魔物はあんな物を持ち歩くのかな。まったく妙な習性だよ、……御陰でこちらは懐を潤わせて貰っているが。それはともかく、他の魔物から得た金品も合わせて、昨日一日で大金を取得してしまったという訳なんだ」
ただでさえ使わねばと考えていたところへ、更なる収入。余剰の金は、有るに越したことはないが、有り過ぎるのも悩めるものだと、このとき初めて副長は思った。
そこでカミューが語調を変えた。
「それでね、ランド……相談と言うのは、この金の扱いについてなんだ。帳簿には記載しないで、団員に配ってはどうかと考えている。臨時の俸給として、ね」
「臨時俸給……ですか?」
そう、と頷いて身を乗り出すカミューだ。
「はたらきや位階で、各団員の年俸には差がある。だから今回はそうしたものは一切除いて、平等に分けるんだ。全員で頭割りにしたら、たいした額にはならないが、仲間と飲みに行ったり、奥方や子供に土産を買うには充分だろう。部下たちの日頃の実直に対する、ささやかな功労金だよ。たまにはそういうものがあっても良いんじゃないかと思ってね」
たちまちランドは顔を輝かせた。
「妙案にございますな。何かと物要りな時期ですし、皆、喜びますでしょう」
「ならば明日にも、閣議を召集してくれるかい? 部隊ごとに資金を渡すよ、個々への支給は隊長たちに任せた方が早そうだ」
「それが宜しゅうございましょう」
カミューが団員一人ひとりに直々に手渡すのでは時間が掛かり過ぎる。何より、麗しき自団長に面と向かって労をねぎらわれては、感激のあまり卒倒する騎士が出て、以後のつとめに支障を来しかねない。各部隊長が支給の折に「カミュー様からの御心遣いだ」と一言添えれば、団員一同、充分に喜びに打ち震えるだろうとランドは考えたのだった。
「……という訳で」
ひとたび言葉を切ると、カミューは団長衣の懐を探って、紙の包みを取り出した。それをランドが取るのを待って、茶目っ気たっぷりに続ける。
「これがおまえの分。まだ少し早いが……、今年も世話になった。おまえのはたらきには、幾ら感謝しても足りないよ」
「勿体無き御言葉にございます、カミュー様」
副長は心から返して頭を垂れた。それから上目でカミューを見遣る。
「して……、ご自身の分も、ちゃんと確保なさったのでしょうな?」
物欲に薄い上官を知るだけに洩れた一言だったが、案の定、カミューは首を振った。
「わたしはいい」
「全員に均等に配分すると仰ったのはカミュー様ですぞ? それは些か芳しくないと、敢えて言わせていただきましょう」
断固とした異論に、だがカミューはやんわりと説く。
「良いんだよ、別口で貰ったようなものだから」
「……と仰いますと?」
「昨日の成果一式を買い上げてくれた商人が、代金を上乗せする代わりに、新作の書物を何冊か置いて行ったんだ。わたしはそれを貰う。金を得たところで、買うのは書物くらいだから、手間が省けて良い」
それにね、と彼は笑みを噛みながら補足した。
「臨時俸給に充てる資金は、頭数を一人減らすと、ちょうど綺麗に割り切れる額なのさ。端数が出ると、配るのに厄介じゃないか」
成程、と副長ランドは破顔した。実にカミューらしい言いようだったからである。
赤騎士団は財政的に恵まれた境遇下にある。
けれど、カミューのような団長を戴いていることこそが、団員にとっての最大の厚遇ではないかと、ランドはしみじみと思うのだった。