夜な夜な


 

草木も眠る丑三つ時、夜な夜な聞こえる奇怪な物音。
それは人の啜り泣きのようであり、荒く弾む獣の息遣いのようでもあり。
ここはかつて吸血鬼が支配した城、蘇りのモンスターが跋扈してきた土地。
未だ成仏し切れない霊魂が、夜毎集って何かを語り掛けようとしているのかもしれない──────

 

「ひぃぃいいい、やめて、やめて、やめてーーーーー!!!!」
少女が耳を塞いで悲鳴を上げた。
「何よ、折角ナナミちゃんにも教えてあげようとしてるのに〜〜」
ニナが両手を腰に当てて憮然とした。
「だってだって! このお城にオバケが出るなんて、聞いてないもん!!」
難しい顔でマルロが遮った。
「でも、ナナミさん。これは確実な情報ですよ。何しろ、あのゲオルグさんの投書ですから」
ゲオルグ・プライム。
今はトラン共和国となった、かつての赤月帝国の六将軍のひとり。『二刀いらず』 の二つ名を持つ勇者。
そんな彼の切実な投書がおさめられた壁新聞が本拠地を飾ってから、十日が経っている。どうしてナナミがその新聞を読んでいないかというと、実はこの新聞、貼り出されるなり何者かの手によって尽く回収されてしまったといういわくがあるからだ。
少ない予算で遣り繰りしている新聞発行責任者・マルロには、再度印刷し直す余裕もなく、この『本拠地新聞・第16号』は幻の品となってしまったのである。
しかし、さすがに人気の高い新聞だ。それでも記事を読んだ者もいる。ニナはその一人で、ナナミを怖がらせて楽しんでいるわけだった。
「何かの間違いじゃないの? だから、誰かが剥がしたんだよ〜! ヘンな噂が立たないように、って」
ナナミが恐々と切り出すが、マルロは妙に冷静に首を振った。
「それがね、ゲオルグさんは現在、医者通いをしているそうなんです。その……一種のノイローゼじゃないかって」
ゲオルグの噂をあちこちで耳にしていたナナミは、それを聞くとますます顔を歪めた。あの伝説の剣士がそこまで追い詰められるとは。とすると、その恐ろしい証言が信憑性を増してくる。
「ぼく、有志を募って原因を解明するべきじゃないか、ってシュウ軍師に相談したんですよね」
「それで? シュウさん、何だって?」
「──『無駄なことに労力を割くな』」
少女たちは顔を見合わせた。確かにあの男の言いそうなことだ。それが指導者の少年の進言ならば、速攻で調査隊を組織しただろうに。
少年は現在、協力を申し出ていた交易商人・ゴードンを仲間に迎えるべく、ビクトールやフリックらと共にトランへの旅に出ている。従って少年サイドからの助力をのぞめないマルロは、何とかナナミを協力者に取り込み、シュウに働きかけて欲しかったのだ。
「うん、シュウさんってそういう人だよね〜〜駄目だわ、こりゃ。ゲオルグさん、可哀想だね〜〜」
早々にお手上げ発言をしたナナミに、マルロががっくりしたときだった。
「──こんなところで人の噂に花を咲かせるな」
背後から低い声が掛かる。驚いて振り返った三人は、ぎょっと息を飲んだ。
厳しい武人の猛々しい印象────を、ものの見事に破壊されてしまった二刀いらずの男が、ぬぼーっと立ち尽くしている。
「ゲ、ゲオルグさん…………」
両目の下には大きな隈。頬はげっそり削げ落ちて、血走った目が爛々と光り、それでいて何処か虚ろなその表情。
ナナミに言わせれば実在の疑わしいオバケより、取り敢えずこちらの方がよほど怖い。それでも一応は気遣いを見せて、腰の引けた姿勢で尋ねる。
「だ、だ、大丈夫? 何か……凄く顔色悪いですよ……??」
「──おれはもう、駄目かもしれん……」
猛将は弱々しく呟いた。マルロが慌てて口を開く。
「やっぱり────、やっぱり相変わらず出るんですか?」
「出る…………」
虚ろに復唱するなり、彼は叫び出した。
「うおおおお、やはりあれは幽霊なのか────!!!」
髪を掻き毟る男。相当キツイ状況にあるらしい。ナナミは必死に男の腕を掴んで宥めた。
「ねね、大丈夫だよ、落ち着いて」
「だ、大丈夫なものか〜〜〜!! 幻聴が聞こえるようになったんだ、おれの人生は終わりだあああ!」
「ゲオルグさん、もう一度詳しく聞かせてください。いったい何がどうなっているのか」
マルロが記者の顔で尋ねると、彼は苦しげに頷いた。
「投書にも書いた通り…………夜な夜な恐ろしい物音がするんだ。こう──何かをこらえるような泣き声みたいなのや、獣のうめきや、ギシギシ軋むような物音が」
「ええ、はい──」
「それが、ほとんど毎日のように聞こえる。最初は気のせいかと思ったが、あれは絶対聞き間違いなどではない。おれは長らく戦場で生きてきた人間だ、度胸も人並み以上と信じていたが────」
そして両手で頭を抱え込む。
「誰も聞いてないと言うんだ! 朝になって立ち番の騎士連中に確かめても、全員が同様に首を振りやがる!!」
「……ええと、あそこの階だと……フリックさん、マイクロトフさん、カミューさんには確かめてみましたか?」
「一番最初にな」
ゲオルグはつらそうに答えた。
「フリックの奴は夜は熟睡するからわからないと言うし、青騎士団長は訓練・訓練でまるで捕まらないから確かめられん。赤騎士団長の方は、狼狽して答えてくれなかった」
「────狼狽? カミューさんが?」
「おれがおかしくなったのではないか、と案じてくれているのだろう」
うーむと考え込むマルロとナナミの横で、ひとりニナが震えている。
「どうしたの、ニナちゃん?」
「え? う、ううん。それは変だよね〜〜、ゲオルグさんにだけ聞こえるなんて、絶対に変!!!」
不審な笑みを押し殺している少女に気づかず、一同は再度考える。
「それと、妙なことがあったんだ」
ふと思い出したようにゲオルグが言った。
「あの新聞が貼り出された日から一週間ほど、物音がぱったり止んだんだ」
「止んだ…………?」
「そうだ、あれほど夜な夜な聞こえてきたのに、ぴったりさっぱりと」
彼は腕を組んで首を傾げた。
「それで一時はおれもほっとして──。だ、だが、三日前からまた…………」
「──始まったんですね?」
「それはもう、前より凄いんだ! あれが幻聴なのだとしたら、おれは本当に御終いだ…………」
「ううん、それは確かに妙ですね…………。ところで、ホウアン先生のところに通っておられるというお話は本当ですか?」
「ああ…………認めたくないが、あの騎士連中が聞こえないと言う以上、やはりおれの耳がおかしいのかと思ってな、診察を受けたのだが……」
「結果は────異常なし、だったんですね……」
途端にナナミが叫んだ。
「や、や、や、やっぱりオバケだよ〜〜〜!! ここには吸血鬼のオバケが出るんだよ〜! いや、いやだよ、夜中にトイレに行けなくなっちゃう〜!!!」
「おまえはいいだろう、階が違うじゃないか!! おれはどうすればいいんだあああ!!」
「──やっぱり、調査隊を派遣すべきじゃないかなあ……」
「調査隊がどうかしたのですか?」
不意に背後から太く頼もしげな声が掛かった。そこには生真面目が服を着たような青騎士団長が怪訝そうに立ち尽くしている。通路を隔てるような格好で立ち話をしている彼らを改めて眺め、その眉がますます寄った。
指導者の義姉と、グリンヒルの女学生、ティントから合流した物静かで勤勉な青年と、そして名高い剣士。取り合わせの奇妙さに、彼は不審を隠さなかった。
「あ、丁度いいところへ!!」
ナナミが手を打ち鳴らした。
「ナナミ殿、おれに用ですか?」
「ねね、マイクロトフさん。本拠地新聞の第16号、読んだ??」
「いや────おれはそういうことに疎いので……。何か問題が?」
「マイクロトフさんたちの部屋のある兵舎の二階ね、出るみたいなの〜〜」
「──出る、とは?」
「…………………………幽霊だ」
押し殺したゲオルグの声、その陰鬱な響きにマイクロトフは思わず一歩後退する。
「ゆ────幽霊とはまた、非現実的な…………」
「けど、けど、ゾンビや吸血鬼がいるんだよ? 幽霊だって出てもおかしくないでしょ?」
マイクロトフは微かに首を傾げた。
「──まあ、確かに聞いたところによれば、ここは以前、吸血鬼の城だったとか」
「そうなの!! でね、ゲオルグさんが怖い物音を聞いてるんだよ!」
「ゲオルグ殿が?」
「────啜り泣きや獣の息、ギシギシする音とか。ね、マイクロトフさんは聞いたことない?」
「啜り泣き、獣の息、軋む音………………」
彼は真剣に考え込む。
「他の騎士さんたちは誰も聞いてないんだって。で、ゲオルグさんにだけ聞こえるのかって……」
「────悩んでいらっしゃるんです」
マルロが後を引き取って言う。
考え込むマイクロトフを、ゲオルグが縋るような形相で見詰めていた。彼が同意すれば、そこで幽霊の存在の証明が立つ。そうすれば、自分が幻聴を聞いているという最悪の事態が回避できるのだ、彼の必死さは当然と言えた。
だが────

「──申し訳ないが、おれには思い当たる節がない。ゲオルグ殿、お疲れなのではないでしょうか」
マイクロトフの答えは無情だった。途端にゲオルグが青褪める。
「あああああ、やはりヤキが回ったのか〜〜〜もう駄目だ、おれはお終いだ〜〜〜〜!!!!!!」
「ゲ、ゲオルグ殿!!」
卒倒したゲオルグをマイクロトフは慌てて担ぎ上げ、ナナミたちに鋭く命じる。
「ナナミ殿、ホウアン殿に連絡を! ゲオルグ殿はおれが連れて行きますから!!」
「う、うん!! わかった!」
「あ、待ってくださいナナミさん、ぼくも行きます!」
一斉に行動に走った一同を冷静に見守り、ただ一人その場に残った少女が小さく呟くのを、聞いたものはいなかった。
「────やっぱり本人は気づかないものよね〜。だけど、さすがに騎士さんたちは団結が強いわ〜。そりゃあ言えないわよね、夜な夜な団長がアレだなんてねえ〜〜〜〜〜………………」

 

 

衝撃の記事を読んだ騎士たちが夜中に必死に壁新聞を回収して回ったこと、運悪くそれを目にしてしまった赤騎士団長が夜な夜な訪れる恋人を必死に一週間拒み通したこと、終に三日前に拒み切れなくなったこと、空腹を満たすがごとき饗宴が再開されてゲオルグを震え上がらせたこと。

それらすべては闇の中に葬られていったとさ────

 

                                      おしまい。


すみませんねえ、すずしろ様。
やはり珍妙なお話に終わってしまいました。
夜な夜な……だもんさ(苦笑)

次は頑張りますから、今回はこれで勘弁して下さいませ──。

 

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