懐中時計は語る


それは少年の日の記憶だった。
意味ありげにリボンをつけた包み、微かに染まった頬。およそマイクロトフに似つかわしくない、紛れもない恋の匂いを感じ取った。
少しばかり意地悪なほど追求したのは、悔しかったからだ。誰よりも近しく存在していた男に初めて知らない一面を見せられて、取り残されたような寂しさを感じたからだ。
それが自分への贈り物であったと知ったとき、正直言って驚いた。誕生日を覚えていてくれたこともさることながら、何よりマイクロトフの淡い恋の相手が自分であることを悟ったからだ。
真っ赤になって、怒ったように包みを押し付けて去っていったマイクロトフ。だから彼は、生涯知ることはないだろう。
包みを抱いた自分がどれほど嬉しかったか。大切な相手が、やはり自分を大切に思ってくれていたことを、どんなに幸せに思ったことか。
カミューはついにその心をマイクロトフに伝えることができなかった。如何に言葉を尽くそうとも、その心情を余すことなく伝えることは不可能に思われたし、ましてマイクロトフはそうした機微には疎い男だった。だから、次に顔を合わせたときにひとことだけ告げた。
『いつまでも大切にする』、と。
自分のことにだけは不器用なカミューの、それが唯一の真実だった。

 

 

強大な隣国ハイランドを打ち倒し、デュナンに平安をもたらした少年が去って数日になる。軍師シュウが追い掛けている現在、残された仲間になすすべはない。
新たな人生へ向けて各々が準備を始める中、生活の資金を貯えるためにモンスター狩りをする一団があった。失われたマチルダ騎士団の再興を目指すマイクロトフとカミューも、その中の一員だった。
今日も二人はビクトールに誘われるまま、ミューズ近郊まで遠出していた。幾度かのモンスターとの攻防の後、息も荒くビクトールがぼやいた。
「おーい、どうしたんだあ? いつもにも増して激しく燃えてるじゃねーか、あの青騎士団長は」
「……まったくだ。突進する暴れ馬、って感じだな」
しみじみと同意するフリックの横、無理やり付き合わされているルックが憮然とする。
「戦争は終わったってのに、何でこんなことまでしなきゃならないわけ? レックナート様との約束にはないよ」
「ま、そう言うな。新しい国にモンスターが跋扈する、ってのは寝覚めが悪いだろうが」
ルックはじろりとビクトールを睨んだ。
「……よく言うよ。単に、戦いたいだけじゃないの?」
「バレたか」
おおらかに笑い飛ばすビクトールに、フリックが溜め息を吐きながら首を振った。それから、すでに遥か前方を行っている青い後ろ姿を見遣る。
「……何かあったのか?」
問われて、カミューは初めて彼らの方を見た。
「おまえら、朝から全然話してないだろ。喧嘩でもしたのか?」
心から案じているようなフリックとは異なり、いかにも興味津々といったビクトールが割り込む。
「へえ、珍しいな。おまえらが仲違いするのは、おれとルックが仲良しになるより難しいと思ってたが」
「……そういう訳では……」
苦笑しながら、カミューはマイクロトフの背中に目を戻した。背後で仲間が立ち話に花を咲かせているのもお構いなしに、一人でホワイトタイガーを叩きのめしている。その様子は、誰が見ても不機嫌そのものだ。実際、彼は悶々と悩んでいたのである。
事の起こりは昨夜だった。
いつものように一緒に夕食を取ろうとカミューを探していたマイクロトフは、城の片隅でメグと親密に話し込んでいるカミューを見て呆然とした。
カミューが女性に礼を尽くすのはいつものことだが、相手から小さな包みを受け取ってにっこりするのには衝撃を受けた。
彼の女性への礼節は広く浅い。誰にでも同じように綺麗な微笑を見せる。だが、メグに向けている笑顔には、普段と違う暖かさがあった。
無論、確かめずにはいられなかった。部屋に戻ったカミューをつかまえて、語調も荒く詰問した。それが子供じみた独占欲なのは十分承知していたが、恋人の口からはっきりと理由を聞かずにはいられないのがマイクロトフの性分だった。
ところが、カミューは答えなかった。やや困惑したような表情で、さりげなくマイクロトフの疑念の矛先を変えようとする。話術では到底カミューの敵ではないマイクロトフに、納得できる答えは返らなかった。
カミューに対して一切隠し事をしていないマイクロトフには、それは不実に思われた。もともと色恋沙汰の不得手な男である。一度歪んでしまった感情を、容易に元の鞘に収めることができない。
もういい、と捨て台詞を残して別々のベッドで眠った夜が明けても、未だにマイクロトフの心中は穏やかではなかったのである。
いつも以上に無鉄砲な突き進み方をしている男の胸のうちを知るだけに、仲間の疑問に答えられないカミューは溜め息をつくばかりだ。
「……何にしても、あの暴れ馬を止めてくれない? そろそろ戻らないと、夜になっちゃうじゃないか」
ルックが拗ねた口調で言うのに、カミューは頷いた。
「そうですね。みなさんはここで待っていてください。私が連れ戻してきます」
「……一人で大丈夫か?」
もっともなフリックの心配に、肩を竦める。
「……何とかなるでしょう」
優雅な礼を残して、カミューは軽やかに走り出した。

 

「マイクロトフ!」
背後から掛けられた声に、マイクロトフは振り返ろうともしなかった。ずんずんと歩を進める男に、カミューはやや息を切らせながら再度呼び掛けた。
「マイクロトフ、そろそろ戻らないと日が暮れる」
「……勝手に戻ってくれ」
ようやく返った憮然とした口調に、カミューはまたも溜め息を洩らした。
「まだ腹を立てているのか。いいかげんに機嫌を直せ」
「だったら、おれの納得いく説明をしてくれ」
振り向いたマイクロトフは、不貞腐れた子供のような顔をしていた。思わず苦笑するカミューに、いっそうむっとした表情になる。
「……だから何度も言っただろう。 わたしとメグ殿に、おまえの思っているような関係など、あるはずがなかろう? おまえは本気で疑っているのか?」
マイクロトフは唇を噛んだ。彼とて、よもやカミューが自分以外の誰かに心を移すなどとは考えていない。だが、こうして隠し事をされるのが気に入らないのだ。自分の知らない秘密を、他の誰かと共有されるのがたまらないのである。
何を貰ったのかと聞くのは、あまりに女々しい気がした。それを受け取ったときの喜ばしげな笑顔の理由を聞くのは、もっと不快だった。
悲しいことに、マイクロトフにはその心情をカミューに伝えるだけの言葉がなかった。彼に言えたのは、『メグ殿とどういう関係なんだ』だの、『おれに内緒で何をこそこそしているんだ』だの、不貞を暴き立てるような台詞ばかりだったのだ。
自然、カミューも頑なにならざるを得なかった。しかし、それが仲間にまで害を与えるとあっては話が別だ。昨夜からの関係を、そろそろ修復しようとカミューは歩み寄った。
「……わたしが信じられないとでも言うのか……?」
甘く響く囁きに、マイクロトフは俯いた。
「そうではない、だが……」
やがて、進退窮まったような口調で彼は吐き捨てた。
「……贈り物、を……受け取っていただろう?」
カミューは瞬いた。
「おまえが女性から、ああいうものを受け取るのは初めてだろう? だから……おれは……」
「……見ていたのか?」
気にしていたことを渋々と吐き出したマイクロトフだが、カミューの反応は意外にも、ひどく狼狽したものだった。
「あれは……、贈り物というわけではなくて……」
「だったら、何だ?」
「それは……」
珍しく言葉に詰まるカミューに、マイクロトフは畳み掛けるように詰め寄った。
「やましいことがなければ、言えるはずだろう?」
「だから、それは……」
「カミュー、頼む。おれに隠し事はしないでくれ」
次第に顔を赤らめて訴える男に、カミューが覚悟を決めたときだった。マイクロトフの背後に三体のタイムナイトが現れた。無防備に背中をさらしているマイクロトフに向けて、モンスターが剣を振りかざした。
「危ない!」
カミューは眼前のマイクロトフを横に突き飛ばした。その拍子に体勢を崩した彼がユーライアを抜くよりも早く、敵の剣の一閃が走った。
倒れ込むマイクロトフの目に、カミューの胸元から飛び散る鮮血が見えた。刹那、息が止まるような恐怖と衝撃に見舞われる。
「カミュー……!」
大地に片手をついて身体を支え、さらに反動を利用して敵に飛び込む。マイクロトフの凄まじい剣腕は、ただの一撃ずつでモンスターを葬り去った。
「カミュー!」
ほとんどダンスニーを投げ捨てる勢いで、倒れたカミューに走り寄った彼は、胸部を押さえながらのろのろと半身を起こすカミューに安堵の息を洩らした。
「だ、大丈夫か? すまない、おれのために……」
「……いつも言っているだろう? おまえは一つのことに気を取られると、他に神経が回らなさ過ぎる……」
端正な顔を歪めながらも笑みを作るカミューを、マイクロトフはしっかりと抱き締めた。つまらない嫉妬によって恋人が永遠に失われることになったなら、決して自分を許せないだろう。そのくらいなら、隠し事の一つや二つ、目を瞑ることくらいのことが何だろう。
「……痛いぞ。一応、怪我人なんだが」
なおも胸を押さえたままのカミューに気づいて、ようやく腕の力を緩めたマイクロトフは、今更のように慌てた。赤い騎士服なので出血はあまり目立たないが、白い手袋は真っ赤に染まっている。
「ひ、ひどいのか? 見せてみろ!」
服を剥ぎ取ろうとする男を制して、カミューは自らの胸の合わせに手を入れた。騎士服の破れの下あたりを探っていた手が、再びマイクロトフの前に現れたとき、見覚えのある銀色の輝きが握られていた。
「それは……」
「どうやら、おまえに助けられたらしい」
カミューは優しく微笑んだ。
遠い日に、マイクロトフから手渡された小さな包み。そこには彼の欲しがっていた懐中時計が入っていた。
欲しい、と口に出した記憶はない。当時の彼らの懐具合からすれば決して安くはなかった品を、あまりにも無造作にくれた少年の日のマイクロトフ。
カミューの掌に乗った懐中時計の文字盤は、タイムナイトの剣によって割れていた。騎士服の破れはちょうど心臓のあたりを走ってる。あるいは命さえ落としかねない危険な一撃だっのだ。
「おまえ……、それ……まだ持っていたのか……?」
呆然としながらマイクロトフは呟いていた。彼自身、もう記憶の彼方に埋没していた品だった。カミューがそれを身に付けているのを見た覚えもなかったし、何といっても十年も経っているのだ。
「当然だろう? おまえがくれた、最初で最後のプレゼントだ」
……そうだった。恋する相手に贈り物をするという行為が照れ臭くて、結局あれが最初で最後になったのだ。
割れた文字盤を痛ましげに見つめ、何とか直そうとしているカミューに、マイクロトフは切なさで一杯になった。自分でさえ忘れかけていたものを、長い間変わらず大切に懐に抱き続けていてくれた、愛しい人。
「今度こそ……駄目かな。せっかくメグ殿に直してもらったのに……」
口惜しげに洩らす言葉に、またもマイクロトフは目を見張った。
「……何だって?」
カミューは困ったように、笑いながら白状した。
「大事に使っていたつもりなんだが……さすがに十年も経つと色々と、な。メグ殿はこうしたものの扱いが得意だと聞いたから、修理してもらったんだが……」
「で、では、昨夜メグ殿から受け取っていたのは……」
カミューは時計の鎖を摘んで振ってみせた。マイクロトフは呆然としたまま声も出ない。
「やれやれ、一日でこうなるとは……。もう一度、直せるといいのだが……」
「カミュー、おまえ……」
マイクロトフはおろおろと言葉を探した。
「どうして昨夜、そう言ってくれなかったんだ? 変に隠そうなどとするから、おれは……」
つまらない誤解をして、意地を張った。その結果がこれだ。時計のおかげで急所を外れたからいいようなものの、彼に万一のことがあったなら、マイクロトフも生きてはいられなかっただろう。
まぁな、と軽く肩を竦めながらカミューは苦笑した。
「言ってくれ。何故、すぐに答えてくれなかった?」
「……だから、それは」
ふと、カミューは目線を逸らせた。白い頬が微かに紅潮している。
「…………恥ずかしいじゃないか」
「は??」
「十年も、後生大事に持ち歩いているのを知られるのは……」
最後はほとんど聞き取れないほど掠れた声だった。マイクロトフは呆気に取られた。
カミューはあまり素直に心情を吐露することがない。しかし、今回に限っては、僅かながらも相手を混乱させた責任を感じているらしく、珍しく正直になることを決めたようだ。その結果、恥じらって頬を染めるカミューはマイクロトフの感動を掻き立てた。
「カミュー……!」
再び抱き締めようと伸びた手を、カミューはそっと押し退けた。
「……忘れるな、わたしは怪我人だ」
「あ、ああ、すまない。早いところ城に戻って手当てしよう」
「ルック殿が回復魔法を持っているさ」
すっかり仲間の存在を忘れているマイクロトフに吹き出しそうになりながら、カミューは壊れてしまった時計をそっと懐へ戻した。その仕草に胸を打たれながら、マイクロトフは真っ赤になって言った。
「……また……プレゼントするよ。今度はもっと良いものを」
カミューはゆっくり立ち上がって彼を見下ろした。
「ならば……もしこれが直せなかったら、もう一度、同じものをくれるか?」
「同じものを?」
「そうだ」
カミューは輝くばかりに優美な微笑を浮かべた。
「おまえのくれた時計とわたしの鼓動が、同じ時を刻んでいる。常におまえを感じられる……。わたしは十年、そうやって生きてきた。これからも、そうしたい」
「カミュー……」
並んで立ったマイクロトフが、目を細めて頷いた。
「……思い出したよ、カミュー」
傷に障らないように、そっと恋人を腕に抱き寄せた。柔らかな髪が鼻先をくすぐるのを、この上もない幸福感と共に噛み締める。
「おまえはあのとき言ってくれた。『いつまでも大切にする』、と。おれも、同じ言葉をおまえに贈ろう」
形あるものはいつか壊れるだろう。だが、その一瞬の感動は永遠のものだ。遠い記憶を鼓動に重ね、常に傍らで微笑んできてくれた、唯一の伴侶。

「おまえを……いつまでも大切にする」
マイクロトフの腕の中、カミューは艶やかに囁いた。
「……そうか。では今夜、わたしが流した血の分だけ……ベッドで大切にしてもらおうか?」

 


これは、「ちょこれG」という青赤サークルで活動されている
小田えみさんの<HIGH TIME> という御本の、
誕生日プレゼントネタが素材になっております。

作中には品物が何であるか出てこないのですが、
「品物は???」との私の疑問に、
「懐中時計を考えていた」とのお答えで……。
で、後日談を作らせていただきました。

砂を吐く甘さでしたね。
遠くでいちゃついている二人を、
ビクトールらは薄目で見ていたのでしょうか……(笑)

最後のカミュー様の台詞は、
無理矢理に誘い受けを目指したのがバレバレです。
私的には、どうも誘い受けは難しくて苦手なのですが、
小田さんがツボだ、と仰ったので……。

 

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