「では、次の編成はこれで問題ないな」
卓上に書面を投げながら、元青騎士団長は不敵に笑んだ。
新同盟軍に身を投じ、己の誇りが求める未来のために剣を振るい続ける男。だが、次に来るであろう戦いが彼にとって特別のものであることは確かだった。日頃と変わらぬ表情で締め括ったマイクロトフに、傍らの元赤騎士団長カミューは僅かに目を細める。
グリンヒル市を攻略したものの、その勢いで攻め込んだミューズ市において手痛い敗戦を喫した彼らに、残された道は限られている。
部下たちも敢えて口を閉ざしているが、漠然と戦いの行方を感じ取っているだろう───次は、故国が戦火に包まれるのだ、と。
「そんな顔をするな」
マイクロトフは、ふと力を抜いた。伸ばされた大きな掌が、白い頬を慰撫する。
「思いは同じだ。だが……マチルダに残った騎士に礼を尽くすためにも、己が誇りに一切の迷いを持ってはならない。おれたちは互いの信念に基づいて剣を取るのだ」
「わかっている」
誰よりも深い痛みを抱えているだろうに、一度決めた道を真っ直ぐに突き進む男の姿を、美しいとカミューは思う。彼はそうして口にすることで、更に自身を鼓舞しているのだろう。その強さは、同じ苦しみを分かつ部下たちをどれほど勇気づけることか。
「互いに手の内を知り尽くした相手だ、精々気を引き締めてかかることにするよ」
仄かに微笑んだカミューに頷くと、マイクロトフはゆっくりと立ち上がった。
「何処へ?」
今宵、てっきり同じ褥に休むものと思っていたカミューが柔らかに問う。
「風呂へ行こうかと」
短い応えにカミューは瞬いた。それから、同様に椅子から腰を上げる。
「……たまにはご一緒するかな」
マイクロトフはやや戸惑ったように彼を凝視したが、すぐに幸福そうに笑った。
「たまには……いいかもしれないな」
満天の星空が見守る城内の露天風呂。
さすがにこの時間帯に利用するものはいないらしく、やや熱い湯がつくりあげる蒸気が静けさの中で夜陰に揺れていた。
マイクロトフが人目を避けて入浴するようになったのには訳がある。
ゆったりと湯に沈んでいく逞しい裸体に刻まれた無数の傷跡───頑強な筋肉によって、ほんの皮膚一枚を削り取っただけで致命傷には至らなかった多くの傷が、彼の印象を険しくしている。
無論、戦いの中に生きる同志たちだ。傷跡の残る肉体を厭うものなどない。ただ、直視し難いものはあった。何故なら、それはマイクロトフは同志たちを庇って身に受けてきた痛みの証だったからだ。
『騎士の紋章』に代弁されるマイクロトフの生き方。仲間を守り、庇うために敵前に恐れることなく我が身を投げる姿は仲間に信頼を掻き立て、しかし同時に微かな自責を植え付ける。己を庇って残る傷など、誰しも見たくはないものなのだ。
マイクロトフはいつしかそれに気付いた。こうして夜半に湯を使うようになったのも、無駄に仲間を悩ませない配慮と言えたかもしれない。
「相変わらず、凄い傷の数だな……」
優雅に四肢を伸ばしたカミューがぽつりと呟いた。
闇の中、寝台で四肢を絡ませているときには然程気にならない。だが、揺れる水面に反射する煌々とした月明りのもとでは、あますところなく男の状態が暴かれてしまう。
「不快か? これでも古いものから順に薄くなってはいるが……」
笑いながらマイクロトフは揶揄した。無論、相手がそれを不快などと微塵も思っていないことを確信した上での軽口であろう。だが、カミューは嘆息しながら言い募った。
「不快、といえば不快だな」
「カミュー……?」
「───無力な自分を見せつけられているようで」
そうして真っ直ぐに男を見詰めたカミューの瞳は、立ち昇る湯煙によってか、微かに濡れているようだった。
「同じだけの信念を持ち、同じだけの危地に立会いながら、……いつもいつも傷を負うのはおまえひとり。これは到底公正とは思えない」
そして、マイクロトフが受けた傷の幾つかは、カミューが負うべき傷でもあり───
「その傷を寄越せ」
感情なく告げられた言葉にマイクロトフは怪訝そうに眉を寄せる。
「おまえの傷を……わたしにも寄越せ、マイクロトフ」