大衆欲情
「風呂に行こうか、マイクロトフ?」
不意に掛けられた声に、男は立ち竦んだ。まじまじと相手を見詰め、慎重に言葉を選ぶ。
「…………本気か?」
問われたカミューは困ったように眉を寄せた。心底不思議そうに首を傾げている。
「よっ、よし!! 待っていてくれ、準備をしてくる!」
カミューの気が変わらないうちにとばかりに、マイクロトフは大股で自室にすっ飛んで行き、大急ぎでタオルと洗面セットを引っ掴んだ。突進する猛牛のように廊下を駆け抜け、所在無く立ち尽くしていたカミューの前で急停止した。
「待…………たせた…………な、さ…………、行こう、か…………」
「……そんなに慌てることもないのに」
微笑んだカミューは『しっとり優しい年上のひと』そのもので、思わずマイクロトフは息を詰まらせた。
(だ、大丈夫だろうか、おれ…………)
恋人同士になってから、カミューと一緒に入浴することはほとんどなかった。以前、友人として付き合っていた頃には、騎士団の訓練の汗を流すときさえ一緒だったのに。
年上の恋人は、肌を重ねるようになってから自分の裸体をマイクロトフの目前に曝すことに非常に敏感になった。マイクロトフに言わせれば、『もっと凄いことを散々してしまっているのだから、何を今更』なのだが、カミューには彼の想像も及ばない、複雑な心理が働いているらしい。
ところがここへきて、やや事情が変わった。
本拠地に風呂職人がやってきて、見事な風呂が作られた。それからというもの、仲間たちは戦いから帰還すると、真っ直ぐに風呂を目指すという日常が始まったのだ。
無論、カミューもその中の一員だ。パーティーを組んだ連中と一緒に風呂に入るのに、マイクロトフだけが除外されるということはない。従って、彼は恋人の綺麗な裸体を満喫することが出来るようになった。一緒に湯船に浸かっている野郎共の視線が万一にもカミューに向かわぬよう、睨みを利かせながらではあったが。
妙なもので、ロックアックスに居た頃にはカミューはとにかくマイクロトフ込みでの入浴を固く拒んでいたのだが、この城ではそうした躊躇が働かないようだ。
長く白い脚を惜しげもなく野郎共に曝し、ほんのり染まった肌を隠すこともなく仲間と談笑する。そのくせマイクロトフが個人的に風呂に誘うとやんわり拒絶するのだから、まったく複雑極まりない男心である。
だから彼からの申し出は実に青天の霹靂であり、マイクロトフにとっては嬉しい誤算だった。思わず懐疑的になってしまい、小声で訊く。
「他に…………誰か一緒なのか?」
カミューはきょとんと瞬いて、くすりと笑った。
「誰か誘おうか?」
「とっ、とんでもない!!」
「さっきレストランから戻ろうとしたとき、テツ殿に呼び止められてな。新しい風呂が完成したから、試してみないかと…………」
「新しい風呂?」
「ジャングル風呂と言うのだそうだ。楽しそうだろう、ツタが這い茂っているらしい」
(た、楽しいとも、カミュー…………おまえと二人、風呂場でしっぽり…………うおおおっ、たまらん! 鼻血がッ)
身体いっぱいで不埒な妄想に勤しむマイクロトフ。一方のカミューは常と変わらぬ礼節を守っている。
「こんばんは、テツ殿。お言葉に甘えて入らせていただきに参りました」
「おうっ、来たな赤いの、……………………青いのも一緒か」
威勢のいいオヤジの濁声にもカミューは丁寧に礼を取る。
「しかし、よろしいのでしょうか? 我らよりも、やはり同盟のリーダー殿が一番湯を浴びられる方が…………」
(こ、ここまできてつまらない気を遣うな、カミュー〜〜)
マイクロトフの魂の叫びが通じたのか、テツは鷹揚に笑い飛ばした。
「なーに、気にすんなって。生憎もう、風呂は済まして寝てらあな。それより、こっちこそ悪ぃな。自信作なんだがよ、色々新しい試みっての? したもんでよ。要するにおめえさんらは実験台ってな訳よ」
「実験…………ですか?」
不思議そうに復唱したカミューに、テツは慌てて手を振った。
「い、いやなに、別に妙なモンじゃねーからよ。ほれ、風呂に植物入れんのは初めてなもんでよ」
「なるほど」
納得したようにカミューが微笑んだ。
「それでは、失礼して…………」
「おう、ゆっくりあったまってくんな!」
先に立って脱衣場に向かうカミューに続いてマイクロトフが足を踏み出したとき、テツが意味ありげに彼を見た。
「……何か?」
「い、いや、別に…………」
怪しげに口篭もるテツを、いつもなら不審に思っただろう。だが、このときばかりはすでに心は脱衣場のカミューに突進していたので、マイクロトフは首を傾げながらも歩き出した。
その後ろ姿に、テツが小さく手を合わせる。
「……すまねえ、赤いの青いの。だが、おれが悪いんじゃねえ。恨むんなら、嬢ちゃんたちを恨んでくれや…………」
マイクロトフの記憶において、最後に二人だけで風呂に入ったのはいつだったか、思い出せない。先に衣服を脱ぎ始めているカミューをちらちらと窺いながら、いったいどういう心境の変化なのだろうと悩んでしまう。
思い立つと言葉にせずにはいられない男だ。散々迷いながら口を開いた。
「なあ…………カミュー」
「なんだい?」
「おまえ……、おれと一緒に風呂に入るの、嫌ではなかったのか……?」
ここで『そうか、そうだった』などと言われたら死ぬほど後悔しそうだが、一応確認しておかないと、この複雑な心理を持ち合わす恋人がいつ怒り出すか。その方が怖いマイクロトフなのだ。
「…………まあね」
カミューは苦笑して肩を竦めた。
(うッッ、墓穴か?!)
「だが…………まあ、他の仲間も一緒だが、もう散々一緒に入ったからな。今更恥ずかしがったところで遅いし」
(うんうん、悟ってくれて嬉しいぞ、カミュー…………)
「大浴場に一人、というのも捨て難かったけれど……、テツ殿も『誰か誘って』と仰ったし。そうなると、やはり誘いたいのはおまえくらいだし」
(うおおおっ、テツ殿……恩にきます!!)
ついでに恋人にも感謝しようと思ったが、ふと現れた見事な脚に言葉が詰まった。赤い騎士服がひときわ映える、綺麗なラインの白い脚。明るい光の下で見るカミューの生足に、マイクロトフは入浴前からのぼせてしまった。
「…………何をしている? おまえもさっさと脱げよ」
(こ、この台詞…………カミュー、何て大胆な…………)
よろめきつつ、マイクロトフは脱衣籠に騎士服を積み上げていく。興奮のあまり、ボタンが一つ二つ飛んだかもしれない。どうせこのあとたっぷり拝めるのだからと自らに言い聞かせるのだが、しどけなく服をずらしていくカミューにどうしても横目が向いてしまう。
全裸というのも生唾ものだが、衣服から覗く肌というのはまたいっそう男の本能を揺さぶるものがある。やや俯き加減に目を伏せて、肩から騎士服を落としたカミューは、マイクロトフの煩悩を直撃した。
(う…………おおおおお!! カミューの生肌、カミューの生足、カミューの生……(自主規制)……、かっ、可愛いぞっっっ!)
「……先に入るよ」
籠を両手で掴み締め、わなわなと震えているマイクロトフを怪訝そうに一瞥しながらカミューは浴室に消えた。ずっと止めていた息を吐き出し、マイクロトフは感動に咽んだ。
(……カミューがこだわりを捨てて、おれを誘っている……。どういう風の吹き回しか知らんが、多分マチルダを出て開放的な気分に浸っているに違いない。これはもう、応じなくば騎士の恥!! よしっっ!!)
拳を振り上げて自らを激励すると、タオルで局部を隠していそいそと走り出した。早さには情けない定評のあるマイクロトフだが、モノ自体は立派過ぎるほどだ。別に恥ずかしかったわけではなく、すでに臨戦体勢に入ってしまっているのである。これでは恋人に余計な警戒をさせてしまう。それでは非常にまずいのだ。
新品の大浴場はテツの言葉通りツタが張り巡らされ、何処か異国情緒を感じさせる造りになっていた。しかし、そうした情緒には無縁の男の視線の向かう先は一つ、すでにゆっくりと湯船に身体を伸ばしている愛しい恋人のみである。
「……何をしていたんだ? 一番湯はわたしが貰ったぞ」
(一番湯でも何でも貰ってくれ。代わりにおれはおまえを…………って、照れるぞカミュー………………)
いそいそと湯を浴びるなり、勢いよく湯船に沈んだマイクロトフに、カミューが苦笑する。見れば、その頬に湯が飛んでいた。
「……子供みたいだな、そうはしゃぐ奴があるか」
(おまえ……この状況下で浮かれるなと言う方が無理だぞ?)
「悪くないな。壁とツタのコントラストもしっくりしているし……。しかし、ツタというのはこの熱気でも大丈夫なのかな」
おもむろに膝立ちになって壁のツタを引っ張るカミューに、歓喜の涙が零れそうになった。
あまりにも無防備に背を向ける彼の、背中から腰の辺りまでが湯から出ている。なめらかな背中を伝っていく湯の雫、早くもほんのり桜色に染まった首筋。
水面すれすれに目をやると、今度こそマイクロトフは鼻血を噴きそうになった。揺れる湯の中に浮かぶ白い曲線。いつもなら薄明かりによってしか拝むことの出来ない神秘のラインが輝いている。
女性のような(と言ってもマイクロトフは女性のそれを見たことはなかったが)丸みはない。しかし、男にしては細すぎる腰のくびれから腿へと続くシルエットは、騎士服の上からでさえ素晴らしいと密かな噂になっているカミューだ。
マイクロトフはうっとり溜め息をついた。
(ああ……おれはいつも、こんな綺麗なものを撫でているのか…………)
「マイクロトフ、どう思う? やはりこういう植物は南国のものなのかな?」
残念ながらカミューの問い掛けはマイクロトフを素通りした。不意に背中を撫でられ、カミューは驚いたように振り向いた。そして、相手の顔がすっかり出来上がってしまっているのに困惑したように離れようとした。
「────よせよ」
「カミュー…………」
釘を刺したつもりのカミューだが、もはや全然遅かった。
「綺麗だ、カミューっっっっっ!!!!!」
「ひぃぃいいいいいいいいっ」
滝壷から登場した巨大熊に遭遇したかのような悲鳴。
否、カミューにとって今のマイクロトフはまさにそのものだった。
鼻息を荒くし、両手を振りかざし、全身で湯を飛び散らかしながら覆い被さろうとしている男は、散々腹を空かせたところにひょっこり通りかかってしまった哀れな鮭を捕まえようとする熊の姿であった。
「おまえの誘い、確かに受け取った──!!」
「さ、さ、誘ってなどいなーい!」
「何を言う! 照れ屋だな、カミュー!!! そんなところもたまらないっっ」
「わたしが誘ったのは純粋に風呂で…………ああ、くそっ……」
逃れようと湯船の縁まで進んだところで熊に追いつかれた。背後からがっしと抱き込まれ、耳元に熱い息が吹き込まれる。
「……楽しもうと言ったではないか、カミュー……」
「い、い、言ってない」
「おまえの身体……こんなに熱くなっているぞ…………」
「ふ、風呂に入れば誰だって…………ひ、あっ」
湯の中でやんわりと揉みしだかれ、カミューは心ならずも喘いでしまった。その甘い吐息がマイクロトフへのOKサインとなってしまったことは言うまでもない。
いつもの三倍は執拗に尻を撫で回し、やがて微妙な割れ目を目指したマイクロトフは、珍しく暴発することもなくしっかりとカミューの体内に納まった。
「あ…………あっ!」
湯のせいか、カミューも珍しくそれほど苦痛を感じることなく男を迎え入れ、柔らかな悲鳴を立て続けに上げた。公共の場で絡み合うことへの背徳感が、いつになく彼を煽り立てているようだ。
「やっ、嫌だよ…………マイクロトフ、こんな…………っ」
男が動くたび激しく湯が揺れ、縁にしがみつくカミューを頭から濡らした。やがてカミューも抵抗を諦めたように、声を噛み殺すことに専念し始める。
マイクロトフは念願の風呂場プレイに、もはや言葉もなく、一生懸命、ただひたすら励んだ。
しばらくして、彼はかろうじて自制の欠片を取り戻した。自分の身体の下で、カミューが完全にのびていたからだ。
「カミュー…………?」
(行為中の失神………それも、傷つけたわけではない…………とすると!)
マイクロトフは恋人に挿入したまま拳を震わせた。
(やったのか?! おれはついにやったのか!! カミューを達かせることに成功したのか…………ッッ)
────無論、そうではない。彼よりも先に湯に浸かっていた上に、無理な運動をさせられて湯あたりを起こしただけである。
だが単細胞の男には、そんなところに回る気などありはしない。
「カミュー……!! おれたちの記念すべき夜だ!! ああ……、誘ってくれて感謝するぞっっっ」
「……うん、予想通りマイクロトフさんの方が効いたわ」
浴室から聞こえてくる雄叫びも、扉を閉めると聞こえなくなった。隅で怯えたように震えているテツをよそに、四人の乙女たちがひそひそと話し合っている。
「結構効くものね…………。あの道具屋で話を持ちかけられたときは眉唾だったけど」
「でもさ、3000ポッチもしたんだよ? 効いてくれないと困るよな」
「ああ、楽しいわねえ…………催淫のお香なんて、素敵な掘り出し物だわ」
「カミューさん、ちょっと可哀想だったかな」
「いいんじゃない? たまには趣向を変えたほうが刺激になるわよ、きっと」
邪なユニットは、風呂が新設されたのをいち早く聞きつけ、今回の企みを起こした。最初はテツも、何も知らずにカミューを誘うように頼まれた。だが、彼女らが脱衣場に怪しげな香炉を仕掛けるに至って、その恐ろしい計画の全貌を知ることになってしまったのである。
カミューがマイクロトフを連れて現れたとき、これはまずいと思った。しかし、今更どうすればいいのか。態度の割には若い女の子に弱い彼は、心でそっと二人に詫びるしかすべがなかった。
ただ一つ、乙女らの計算になかったのは、マイクロトフが怪しい香を吸い込むはるか前から、すっかりその気になっていたという事実である。さしもの邪カルテットも、彼の煩悩の底力を見誤ったというところであろうか。
「ねね、今度はいつ使ってみようか?」
「そうねえ…………屋外、なんてのも捨て難いわあ」
嬉々として語り合いながら去っていく四人をテツが恐ろしげに見送っていると、今度は風呂場から大きな足音が聞こえてきた。ぎくりと振り向くと、そこにはカミューを横抱きに抱えたマイクロトフが、やけにつやつやとした顔で立っていた。
何やら聞くのが怖い気がするテツだが、一応風呂を預かるものの責任として声を掛けずにはいられない。
「ど、どうしたよ? 赤いのは…………」
青騎士団長は胸を張った。これまでとはどこか違った自信に溢れている。彼はテツの疑問には答えず(さすがに答え難かったようだ)、代わりに誇らしげに輝く爽やかな笑顔で言った。
「テツ殿。新しい風呂にカミューを誘ってくれて礼を言う。生涯、恩にきます」
「お…………おう、いや、なに…………礼を言われるほどのモンじゃねーけどよ…………」
しかも、『生涯』までついているのだ。怖いこと、この上ない。
びくびくとテツが見守る前で、マイクロトフは素晴らしく優しい目でぐったりしたカミューを見た。雄々しい顔をしようとしても、どうにも口元が緩んでしまう。傍から見ると非常に妙である。
「部屋に戻るぞ、カミュー……………………続きをしよう────」
独り言のように呟いて、彼はすたすたと歩み去っていった。
残されたテツは柱の影から二人を見送り、震え上がる。
「続き…………続き…………っておい、赤いのは湯あたり起こしてるんじゃねえか…………っても、もう聞こえねーか」
広い背中が見えなくなると、彼はぐったり弛緩した。
「同盟軍……か。やっぱり皆、ただモンじゃねーなあ…………」
おしまい
タイトルは変換違い。
あまりに受けたのでそのまま使ってしまいました。
風呂場プレイは乙女の夢なのに、また色物(苦笑)
ロマンチックな風呂ネタをアップする日は
来るのだろうか…………。
来なそうだな。それにしても、これで奥江が
「格好良い青、好き〜〜」と言っても
誰も信じてはくれまい……とほほ。