世の理に背いても/完結編


この世でただ一人、心から愛した人との初めての夜。
それは悲惨の一語に尽きた。
拷問の訓練も及ばぬ拘束と疼痛、勢い任せの行為がもたらした結果は、身じろぎも叶わぬ倦怠と血染めのシーツだ。
満悦の呻きを洩らしてカミューの体内に欲望を吐き出した後、不器用そうに繋がりを解いた男は、純白の布に点々とした血痕に仰天したらしい。大声で騒がれなかったのが、せめてもの救いである。彼は足音も荒く部屋を幾度も往復して、傷ついた肉体の修復活動に従事した。
傷薬らしき軟膏を塗り込められている間、カミューは涙ぐみそうだった。
マイクロトフの優しさは嬉しい。
不慣れな身体が受けた打撃を心から憂い、丁重に慰労してくれる心根をありがたく思う。
だがやはり、後になって気遣うよりも、最中に気遣って欲しかった。
女性を相手にするのとは訳が違うのだから、彼を責めるのは筋違いだ。けれど、そこに至るまでの愛撫の巧みが覚悟を緩めたのは否めない。あんなにも鮮やかに快感を煽り立てられて、その後の地獄模様を思い描けようか。

 

やめてくれ、と何度も言った───ような気がする。
もっと優しく、とは更に数多く言った気がする。
マイクロトフは聞く耳持たずの様相だった。あるいは加減してくれたのかもしれないが、少なくともカミューには感じられなかった。
彼が悦いなら、と半ば自棄気味に耐えた苦行の刻。
いずれ経験を重ねれば、これも笑い話になるのだろうか。

 

「大丈夫か、カミュー?」
「あんまり……大丈夫じゃないけれど、何とか……」
手当てが済んで、仰向けに横たえられたカミューは、ベッドの端に腰を下ろして覗き込む男の沈痛な面持ちに優しく笑んでみせた。
「初めはこんなものだろう、そのうちに慣れていくよ」
うむ、と彼は腕を組んで考え込んだ。
「おまえの腰は細いからな」
それからくしゃりと黒髪を掻き毟って、疲れたように付け加える。
「気遣ったつもりだが、足りなかったか……」
どうやら乙女を相手にしたときとの差異を痛感しているらしい。
こんなことでマイクロトフの気持ちが退けてしまったら困る。カミュー自身、もう一度体験したいかと問われれば即答を逡巡するが、これも愛の試練、乗り越えれば素晴らしい未来が待っている───筈だ。
だから明るく微笑んだ。鈍痛を訴える腰を庇いながら半身を傾ける。
「少しばかり傷ついたところで構わないさ、おまえと愛し合えるなら」
「カミュー……」
マイクロトフは感激したようにきつくカミューを抱き締めてきた。それがまた腰に響いたが、泣き笑いで堪えた。
「本当にすまない。最後までするのは初めてだから、勝手が掴めなかったのだ。今後は精進する」
「初めて? だっておまえは……」

 

───「年相応の付き合いはしてきた」と言っていたではないか。
思わず身体を離して問い掛けようとしたものの、すぐに苦笑した。
そうか、男を抱くのは初めてという意味か。
だが、「最後まで」と注釈付きなのは何故だろう。マイクロトフらしい、言葉の綾だろうか。

 

「おれが、……何だ? もっと経験豊富だとでも思っていたのか?」
すまんな、とマイクロトフは照れ笑った。
「ずっと決めていたのだ。生涯添い遂げる覚悟が生まれぬ限り、最後までは行き着くまい、と。正真正銘、おれにはおまえが初めての男だ、カミュー」

 

「初めて」なのは分かったが、だから何故「男」と強調するのか。

 

疲労困憊して思考が上手くはたらかないのに、それでいて言葉の端々が妙に引っ掛かる。そんなカミューの頓着を怪訝に思ったのか、マイクロトフは眉を顰め、真剣に凝視してきた。
「……本当におまえが初めてだぞ? すべてを得れば責任が生ずる。その人の一生を負うだけの覚悟無くして交わってはならない、と……考え方が古いとか堅いとか、よく言われたものだが」
「うん……おまえらしいよ」
「だから未熟で、おまえを楽しませられず、そればかりか傷つけてしまった。許してくれ」
互いに不慣れなのだから、別段、謝る必要などない。
それに途中まではたいそう心地好かった───とは流石に言えず、口籠る。
沈黙を、マイクロトフは別の意味に取ったようだった。
「カミュー、その……アレも駄目だったか?」
「あれ、って……?」
「だから……、口でおまえを……。あのとき、髪を掴んで嫌がっていただろう?」
予期せぬ舌技で自身を攻め立てられた羞恥を思い出して頬が染まる。マイクロトフは、だが深刻そうに続けた。
「凄い力で引っ張るものだから、禿げるかと思ったぞ。あれは心地好いから気に入るだろうと思ったのだが……駄目だったか?」

 

───引っ掛かる。
気の所為ではない。言葉尻が逐一引っ掛かる。

 

「マイクロトフ……その言い方だと、逆は経験があるように聞こえるよ。そんなに積極的なレディと付き合ってきたのかい?」
するとマイクロトフは小首を傾げた。
「積極的……かどうかは分からんが、女性ではない」
「は?」
「生まれてこのかた、女性と付き合ったことはない」
カミューは男の明るい笑顔に凍り付いた。
「女、じゃない……? だったら、おまえの交際相手、というのは……」
「無論、男に決まっているではないか」

 

───そんなことを決められても。

 

あんぐりと口を開いたまま呆然としていると、彼は泰然と説き始めた。
「言っていなかったか、そういえば。おれの理想の恋人は、生涯並んで戦っていけるような……そんな強き人なのだ。それにはおれと同じ、騎士が望ましい。だが、もし先立たれてしまうと辛いから、見るからに頑丈そうな、筋骨逞しい人を選んで交際してきた」
「…………」
「おまえを恋愛対象として考えなかったのは、おまえが親友で、細身で……後は、女好きだと思っていたからだ。言ってみれば、別世界の人間だからな」
「……いや、特に女好きという訳では───」
口を挟むべきはそこか、と叫ぶ自分がいる。しかし、あまりの衝撃に言葉が巧く出てこない。
「だが、告白されて考えを改めたのだ。と言うより、初心に戻ったというべきかもしれない。おれは一生を共に出来る人を求めているのだから、たとえ筋骨隆々としていなくても、おまえは正に理想だ。おれを好いてくれているのだから、親友で女好きという点も問題にならなくなる。おれは漸く、真実に辿り着いたのだ」
朗々と語り上げたマイクロトフは、感極まったように目を閉じて拳を震わせている。
カミューはポツと呟いた。
「じゃあ……、別れたという恋人も男だったのか……」
「ああ」
「その前に付き合っていたのも男か」
「そうだ」
でも、とマイクロトフは傲然と胸を張った。
「くどいようだが、最後まで関係を持ったのはおまえだけだぞ。他の交際相手とも、その時々は真剣に付き合ってきたつもりだが……まことの愛は違うな、カミュー。何ら抵抗無く口に含めるとは、自分でも驚いた」
「そ、そう……」
「一度として、したいとは思わなかった。して貰いたいと思ったこともなかったのだ。だが、「それでは何をどうすれば良いのだ」と文句を言われて、已む無く応じたときもあった。そのとき施された手法を思い出しながら試みてみたのだ。しかし、心地好くなかったとなると、おまえに合わせた鍛錬が必要だな」
「…………」
「それに、やはり腰が細いという点も再考せねばならん。多少の無理も利く頑丈な身体ではないのだから、もっともっといたわらねば」
最後にマイクロトフは、至上の幸福に酔い痴れた眼差しで手を差し伸べてきた。
「よもやおまえが男好きになってくれるとは……嬉しいぞ。カミュー、おれの運命の相手───生涯大切にする。幸せになろう」

 

 

 

幅広い胸の中、カミューはぽたりと涙を落とした。
───男を好きになったのは事実だが、男好きになった訳ではない。
言葉の端々を正したい気もするが、そんなことはもう、どうでもいいことなのかもしれない。
これまで知らなかったマイクロトフのすべてを知った。
彼が全身全霊で愛してくれているのも信じられる。
幸せだ。
きっと、これが幸せというものなのだ。
頬を伝い落ちる涙は、溢れ出た喜びに違いない。

 


静まり返ったロックアックス城の一画。
世の理を捨て去った恋人たちの抱擁が、いつ果てるともなく続いていた。

 

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嗚呼、禁断の真性青。
さらば、マグロだった攻め時代。
童○喪失、おめでとう!(泣笑)

オチに直結するので注意書きも記せず。
長くやってると、変なブームも来るさ〜。
……と、強気に言い訳してみる。すんません。

 

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