さらば天寿星


城に運び込まれたとき、まだ少女には息があった。
必死の祈りもむなしく彼女の死が知らされたとき、最も古くからの仲間だったフリックは叫んだと言う。
ここまで一緒に頑張ってきたのに。
それは一同の心そのままだった。決して戻れぬ戦いと知りながら、別働隊を率いて戦場に散ったキバ将軍に続いて、二つ目の宿星が失われたのだ。
彼らの指導者である若き少年は、最後の戦いを前に意識を失くしてベッドにいる。肉体的な疲労もあろうが、今回ばかりは精神の疲弊によるものだろう。
『城は家、仲間は家族』と常に明るく笑っていた義姉の死は、少年に深い傷を作った。彼と、今は敵となってしまった幼馴染の少年のために、自らを盾にして死んだ天寿星・ナナミ。その快活な笑顔を思い出しては、仲間たちは悲嘆に暮れる。
哀しみが漂う本拠地の中を、一人の青年がゆっくりと歩いていた。いつもなら、彼とすれ違う乙女たちは頬を染めて丁寧に挨拶する。だが今日は、行き交うどの眼も真っ赤である。今更のようにナナミの明るさがどれほど仲間たちの心を温めていたか、彼は苦い思いを噛み締めた。
彼が『レディ』と呼ぶたびに、ナナミは紅くなって喜んだ。ナナミは知らないだろう。彼は誰にでも優しくそう呼び掛けるが、彼女に対してはまた少し違った意味合いを込めていたことを。
彼は最大の敬意を込めて、ナナミを『レディ』と呼んできた。かよわさなど微塵もなく、言動は少年じみていた。だが、彼女は誰よりも素晴らしい娘だった。胸には義弟と同じだけの悩みや苦しみを抱えていただろうに、それを欠片も出そうとはせず、常に仲間を励まし、笑っていた。
失われた笑顔を思うと胸が痛む。彼女の死によって衝撃を受けた指導者の少年を思うと、もっとつらい。だが、今は何より一人の男が案じられてならなかった。

彼は城の西の外れにある道場へと向かっていた。近づくと、いつものように中から自らを鍛錬している仲間たちの掛け声が聞こえた。その声も、どこか覇気を欠いて感じるのは気のせいばかりではないだろう。
道場の入り口に立つと、その片隅に捜していた男の後ろ姿が見えた。彼は小さな息を吐いて、訓練している仲間の邪魔にならないように男に歩み寄った。
「……マイクロトフ」
そっと呼び掛けると、壁に向かって立ち尽くして俯いていた男がゆっくりと顔を上げた。さすがに涙はないものの、その表情に苦渋が浮かんでいる。
「カミュー……」
苦しげに眉を寄せたまま、男は呟き返した。
「やはりここにいたのか」
カミューが考え事をするのにレストランのテラスを使うように、マイクロトフは道場を使う。仲間が訓練に汗を流す、活気溢れる場所を選ぶのがマイクロトフらしいところだった。が、死人のような顔色で考え事をするには相応しい場所ではない。
「行くぞ」
カミューが小さく命じると、男は戸惑ったような目で彼を見つめた。何処へ、とは聞き返さなかったが、自分でも感じるところがあったのだろう、マイクロトフは素直に応じた。
大きな男が肩を落としているのは、見ていて好ましいものではなかった。カミューも十分に彼の痛みはわかっていたが、これ以上マイクロトフが落ち込むようでは騎士たちの士気にも関わる。敢えて厳しい顔で男を促すと、彼は足早に歩き出した。
項垂れたままついてきたマイクロトフは、自分の部屋の前で立ち止まろうとした。しかし、カミューの視線に再び足を踏み出す。マイクロトフを迎え入れると、カミューは自室の扉を閉めた。
「……つらいのはおまえだけではない」
低い口調で言うと、マイクロトフは両手を握り締めたまま顔を背けた。
「わかっている」
その声には、哀しみと同等の憤りがあった。ほとんどカミューと目線を合わせないように振舞うのは、やり場のない怒りをぶつけてしまうのを恐れているためだろう。
「座れ、マイクロトフ」
椅子を引き寄せたカミューの短い言葉に、彼は渋々といった様子でベッドに腰を落とした。
「……自分を責めて何になる。そんなことをナナミ殿が望んでいるとでも思うのか?」
やや和らげた口調で言ったカミューに、マイクロトフは初めて顔を上げた。心痛からか、険しくなった目が燃えるように光っている。
「そんなことはわかっている! だが、考えずにはいられないんだ! 今は騎士団を離れたと言っても、ゴルドーはおれたちの上官だったのだぞ!」
「……一度は忠誠を捧げた男が、卑劣な手段で騎士団領をハイランドに売り、その挙句、新しい主人の義姉を殺した。ああ、見事に我らの責任だな。そうやって何もかも抱え込んで、まったくご苦労なことだ」
冷たく言い放ったカミューに、マイクロトフは驚いたように目を見張る。その目には傷つけられた痛みが過ぎっていた。
「カミュー、おまえ……」
「ならば、おまえはどこで間違えたというのだ? ロックアックス城で、彼ら二人だけを先に行かせたことか。騎士団を捨てたときに、反逆ついでにゴルドーを殺さなかったことか。あの醜悪な権力者に忠誠を誓ったことか、それとも騎士になったことか?」
「カミュー!」
「おまえがそうやって頭を抱えていれば、ナナミ殿は生き返るのか? マチルダ騎士団は失われずにすんだのか。おまえのしていることは、ただの逃避だ」
マイクロトフはさっと顔を赤らめた。憤りが哀しみを上回ったように、勢いも荒く立ち上がる。
「どうしてそんなに冷静でいられるんだ! おまえは何も感じないのか? 確かに、考えてもどうにもならないことだ。それでも考えずにはいられない、それが人間だろう?」
「……考えずにすむ方法を教えてやろうか?」
カミューはしなやかに椅子から身を起こすと、マイクロトフに歩み寄り、両腕を男の首に回した。
「……カミュー……?」
突然の行為に狼狽したようなマイクロトフに構わず、彼は僅かに伸び上がって男に口付けた。器用に男の唇を割り、忍び込ませた舌を絡みつかせる。
いつもなら直ちに応えて貪り返すマイクロトフだったが、今日は別だった。カミューの両腕を掴んで引き剥がすと、信じられないといった顔つきで彼を睨んだ。
「ど、どういうつもりだ?」
「……おまえがあまりにも馬鹿だからさ」
揶揄するように唇だけで笑いながら、カミューはマイクロトフの下肢に手を伸ばす。やんわりと握り込まれて、今度こそマイクロトフは驚愕した。
「カミュー!!」
「……何だ、結構その気になっているんだな」
マイクロトフの情動は、ほとんど条件反射のようなものだ。カミューに触れられただけで、彼は昂ぶる。戯れのような口づけ一つで、すでにマイクロトフは十分煽られていた。こんな形であってさえ。
「やめろ! どういうつもりだ、おまえ?」
「リーダーが寝込んでいる今、われらにできることは何もないだろう?」
ただでさえ、カミューの方から弄られることは滅多にない。混乱しながらも、マイクロトフは背筋を駆け上がる衝動に貫かれていた。
「どんなに悩んだところで、死人は戻らない。ならば我らは、生きてこうすることができるのを感謝するべきだとは思わないか……?」
マイクロトフの中の怒りが頂点に達した。
愛するものを庇って命を落とした少女。その崇高な死を汚すかのようなカミューの冷酷な言い草に、未だかつて彼に対して感じたことのない憤りを覚えた。
マイクロトフはカミューをベッドに突き飛ばした。毟り取るように真紅の騎士服を剥ぐ。ほとんど憎しみさえ感じているような乱暴な動作に、カミューはゆっくり目を閉じた。
男は自らの衣服を脱ぐ間さえ持たず、ましてや相手の状態を思い遣ることなどせず、強引に押し入った。何の準備もなく貫かれ、歯を食いしばるカミューに構わず、直ちに激しい抽挿が開始される。
「……おまえが悪いんだ」
うめきにも似た声が呟いた。うっすらと開いたカミューの目に、苦痛をこらえるような男の顔が映る。怒りに顔を染め、悲憤に暗く光る目でカミューを睨みつけるマイクロトフ。少女が死んでから、ずっと自身に向かっていた怒りが、今はカミューに向かって迸っていた。
「おまえが……!」
鋭く突き上げられて洩らしかけた悲鳴を、だがカミューは必死に押し殺す。男の背に回した手が、縋るように相手の騎士服を掴み締めた。
下肢を伝うねっとりした感触に、自らが傷ついたのを知った。その滴りに助けられ、男の動作がいっそう闊達に進められるようになった。
「……はっ……」
耐え切れずに洩れ出る苦悶の喘ぎは、いつもならマイクロトフの情熱的な口付けによって遮られる。けれど、今日のマイクロトフはカミューに口付けようともしない。行為が愛情によるものではないことの証明だ。
「くそっ、どうして……」
ただ身体の昂ぶりの命ずるままにカミューを犯すマイクロトフは、意味なき自問を繰り返す。凄まじい快楽を得る肉体とは裏腹に、心は冷えていく。
激しいばかりの要求に、いつしかカミューが意識を飛ばしても、マイクロトフは止まらなかった。ぐったりと弛緩した身体を幾度も突き上げながら、彼はうめき続けた。
やがて、泥のように疲労した身体が限界を超え、カミューに折り重なるようにして倒れ込み、夢さえ見ない眠りに転げ落ちた。

 

カミューがぼんやりと覚醒したとき、すぐ傍らに横になっていた男は天井を睨みつけていた。身じろいだカミューに目を向けようともしない。すでに室内は暗く、月明りによって何とか相手の表情が読めるだけだ。
「……少しは……眠ったのか、マイクロトフ……?」
掠れた声で問い掛けたカミューに、かなり長い逡巡の後、マイクロトフは頷いた。
「そうか……」
何の思い遣りもなく散々に扱われた身体のあちこちが悲鳴を上げていたが、カミューは満足して微笑んだ。
ふと、天井を睨んでいた男の視線が彼に向けられた。すでにそこに怒りはなく、戸惑った少年のような不安が浮かんでいる。
「……おれを……怒らせようとしたんだな?」
低い声だった。
「怒らせて……こうなるように仕向けたんだな? 何故だ、カミュー。どうしてそんな真似を……」
半身を起こしたマイクロトフに覗き込まれ、カミューは苦笑した。さすがに長い付き合いになると、策を読まれることもある。殊更鈍いマイクロトフも、カミューの意図を察するくらいには進歩を遂げているらしい。
「……おまえは後ろを振り返ってはならないんだよ、マイクロトフ」
カミューは重い手を伸ばして男の黒髪に指を埋めた。
「ナナミ殿の死は、誰のせいでもない……彼女が選んだ道なんだ」
「選んだ……?」
「そうだ」
カミューは深い息を吐いて頷いた。
「無論……彼女が死を選んだという意味ではない。愛するものを守ろうとした……その選択の果てに、命を落とすという結果があっただけ……」
言いさして、微かに首を振る。
「彼女の死を悼むのは当然の感情だ。だが、マイクロトフ……誰にも彼女の選択を変えることなど、できはしなかった」
目を閉じれば、楽しげに義弟と笑い合う少女が浮かぶ。彼女の輝きは、重いさだめを背負った少年をどれほど照らしていたことだろう。
「後悔して立ち止まることは許されない。真実、彼女の死を惜しむなら……その意志を継ぐしかないのさ」
「ナナミ殿の意志……」
「彼女が愛した二人が相争う運命を、一刻も早く断ち切ること。この戦いを終わらせること……」
柔らかく男の髪を撫でていた手が、力なくシーツに落ちる。暴力に等しかった交合は、カミューの全身を打ちのめしていた。青白い頬に疲労の色が滲んでいる。それでも真っ直ぐにマイクロトフに向いた目は、強い光を宿していた。
マイクロトフは唇を噛んだ。
「おれを……立ち止まらせないために、怒らせたのか。そのためにおまえは……」
「おまえの場合、悲しんでいるよりも怒っている方が似合っているよ」
先程とは異なる愛情を込めた揶揄に、マイクロトフはがっくりと項垂れた。
「……それに気づかず、おれは……」
「気にするな。それにおまえ……、ナナミ殿が亡くなってから、満足に眠っていなかっただろう?」
行為の疲労で、短いながらも熟睡できたマイクロトフは、ますますもって肩を落とす。
「そこまで考えていてくれたおまえを、おれは……」
「ああもう、いいから頭を上げろ。そうやって項垂れているおまえを、見たくなかっただけさ。私の計略におまえが乗った、ただそれだけのことだ」
今度はやや強い口調で言うと、マイクロトフはやっと顔を上げた。
「……おまえの言う通りだ」
悄然としていた顔に、光が戻ってくる。
「後悔なんぞ、いつでもできる。今、おれたちがやるべきことは、ナナミ殿のためにもこの戦いを終わらせることだ」
「そうだ。卑劣な手段でマチルダを汚したゴルドーは、死んで代償を払った。今、私たちが主と呼ぶのは、あの少年一人なのだ。彼のために剣を振るうことこそ、我らの騎士としての誇りだよ、マイクロトフ」
「カミュー……」
マイクロトフは切なげに彼を呼び、乱れた前髪を掻き分けるようにして額に唇を落とした。愛しさと、いたわりをこめた口付けに、カミューはそっと目を閉じる。優しい触れ合いによって、身体に残る痛みが和らいでいくのを感じながら。
またマイクロトフが動揺するだろうとわかっているから、言葉にしない想いがある。カミューはナナミの選択を、誰よりも理解できた。自分も彼女と同じ道を選ぶだろう。マイクロトフを守るために、その身を盾にすることを躊躇わないだろう。
ただ一人、自身よりも大切に思う相手を、命に代えて守り抜く。死が避けられない運命ならば、できることならそうして最期を迎えたい。愛する男の腕の中で、その体温を感じながら眠りにつきたい。
マイクロトフならば、『共に命の果てるまで』 と言うだろう。だが彼は、相手よりもほんの一瞬でいい、先に逝きたいと心から思う。自分はそれほど強くはない、マイクロトフの死を見届けることは耐えられない。
「カミュー……すまない、傷つけてしまった……」
ようやく気づいたように、マイクロトフが困惑した声を上げた。乾きかけた血の残る下肢を、痛ましげに撫でる男に笑い掛け、カミューは首を振った。
「いいんだ」
「しかし……。手当てをしよう、カミュー」
「……いいんだよ」
疲れ切った両腕を再度伸ばし、男の身体を引き寄せる。導かれるように降りた唇が、まだ何か言おうとしているのを見て、カミューは無理矢理それを塞いだ。強張ったように緊張していたマイクロトフが、やがて抑え切れなくなったように荒々しく唇を貪り出した。

戦いはまだ続く。マイクロトフが歩み出さねば、自分もまた、進むことはできないのだ。少年が同盟軍の光であるように、マイクロトフはカミューの光だった。その光を守るためなら、幾らでも傷つくことができる。それが彼の人生最大の選択だったのだから。
眠る少年は義姉の夢を見ているのだろうか。その夢の中で、少女は明るく笑っているだろうか。あるいは、立ち止まりかけている少年を叱咤しているのかもしれない。その口癖で、励ましているのかもしれない。
大丈夫、大丈夫…………、と。
どれほど哀しみが大きくとも、少年は必ず立ち上がるだろう。愛する者の死を超えて、この地に平和をもたらすだろう。戦いの行く末に、彼の心を慰める未来が待っていればいいのだが…………。
乱暴をはたらいた償いとばかりに、溢れるばかりの愛情をこめて与えられる愛撫に甘い喘ぎを洩らしながら、カミューは祈り続けた。そして、愛しい男のぬくもりに包まれて、心でそっと呟いた。

 

今は安らかに、レディ・ナナミ。

 


書いておいて言いたくないが、
……あんたら、喪中だってば(笑)
   うちのカミュー様はどうも誘い受けが苦手であるらしく、
なかなか上手くいきません。
で、強○になるのか???
   マイクロトフ、すぐに後悔するなら
暴走しなけりゃいいのにさ……って、
自分で突っ込んでどうする……。
いえ、別にエッチが主題じゃないんです。
一番言いたかったのは、
<カミューがマイクロトフよりも早死にしたい理由>
だったんですね。
ナナミはオマケか…………(笑)

 

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