何故、人は抱き合うのか。
その答えを、背を抱く腕が導き出してくれるような気がした。
閑寂たる世界に唯二人、理も則も及ばぬ熱に身を焼いて存在を確かめる束の間の夢。
如何に武を磨いても、不壊なる精神を心掛けたとしても、孤独であるなら生に何の意味があろう。
己の見詰める先を同じだけの毅さで求める伴侶───カミューに出会えたのは生涯最高の僥倖であったに違いない。
しっかりと背に回った腕の温みを噛み締めて、柔髪の隙間から覗いた額にくちづける。
「……もう、おまえと幾度抱き合っただろう?」
先程の意趣返しとばかりに会話を仕掛けると、相変わらず睡魔に襲われているのか、潤んだ琥珀が見上げてきた。
「さあね。覚えているほど少なくもないが、飽きるほどには多くない……そんなところじゃないか?」
その言いようには思わず苦笑が零れた。
「飽きる、……か。そんな例を出されては平静ではいられない。精進せねばならんな」
言うなり、抱き締める腕に力を込めた。僅かに苦しげに反った喉元に舌を這わせ、きつく吸い上げる。掠れた吐息が洩れるようになって漸く離した唇の下、雪白の肌には薄紅の刻印が残った。
愛染の証も永遠ではない。刻とともに薄らいでいく。
だからこそ、それが消える前に再び印したいのだ───彼に触れることを許された我が身を誇るために。
そのまま緩慢に欝血の周囲を漂白し続ける唇に、カミューは戸惑ったように身を捩った。日頃の焦燥めいた要求に慣れた彼には穏やかな愛技こそが違和感をもたらすのだろう。
甘やかに下肢を探ったときに怪訝は確信に変わったらしい。濡れた琥珀を瞬かせながら、微かに弾む声が呼んだ。
「マイクロトフ……?」
不可解を察して、不敵に微笑む。
「少しずつではあるが、おれも学んでいる。騎士団長職の重み、そして……」
白い肩を甘噛みすると、官能を隠さぬ息遣いが応えた。
「……こうした行為の意味も」
肉体の渇望は正直だ。唯一と決めた人を腕にするたび、そのすべてを奪い取りたい衝動に駆られる。
凛然とした赤騎士団長、何ものにも支配されぬ自由な魂を拘束し、己と同じ次元で酔わせる魅惑。
零れる汗の輝きや、洩らす吐息のなまめいた艶が、自身によって引き出されたものだと実感する優越。
けれど、今は思う。
想いは求めるばかりではなく、与えてこそ尊いのだと。
例えば先のカミューがそうだった。
信念の足場を揺らされて、行き場のない葛藤と動揺を抱えた自身。常よりも手荒い求愛にそれを感じたのか、責めるでもなく応えてくれた人。
優しく呼ぶ声、愛おしむように包み込む体温が慰撫となり、激励となった。
明けて後、はっきりと悟ったのだ。
確かにあの夜の交わりはカミューにとって伴侶の無事を確かめるための儀式だったかもしれない。だが、それ以上にマイクロトフの心を癒し、一人ではないと実感させるための情熱であったのだろうと。
彼が傍に在る限り、何処までも進むことが出来る。
己の正義と信念で切り開いた道が何程の辛酸をもたらそうと、彼が心を護ってくれている限り、決して崩れる日は有り得ない。
カミューは与え、導くことを知っている。
生まれ落ちて僅か一年の差異を、これほど大きく感じたことはなかった。求めるばかりだった自身を恥じ、伴侶を憩わせるだけの豊かな男になりたいと心から思う。
「何を、……学んでいるって……?」
握り込んだ掌の中で慎ましく欲望を育てられながらカミューが喘いだ。
どうやら睡魔に想い人を奪われることは阻止出来たようだ。薄く笑いながら、肢体に纏わりつく布をずらす。
「……どうしたら同じだけのものを返せるか、ということだ」
束の間、不可解そうに眉を寄せたカミューだが、胸元に滑り下りた唇に弱く息を飲んだ。
初冬の冷えた大気によって幾分いつもよりも熱を失った肌。軽く吸い上げると、火粒を落とされたように小さな跡が散った。
穏やかに過ぎる情愛がカミューの困惑を煽り続けているらしい。落ち着かなげに視線をさ迷わせる姿を初めて見たような気がする。声を噛む唇にそっと指を這わせると、苛立たしげに歯を立てられた。
「……っ、酷いぞ。噛むな」
「それはこっちの台詞だ」
憮然として背けた頬は仄紅く染まっている。
「そんなふうにされるのは好きじゃない」
───はて、何の機嫌を損ねたか。
我知らず身構え、僅かに半身を起こすと、秀麗な美貌が幼子のように不満を浮かべていた。
「おまえときたら、いつだってわたしの状態など頓着なしで、強引で、乱暴で」
身も蓋もない非難に思わず頭を下げそうになる。が、それよりも先にカミューは口惜しげに呟いた。
「……でも、わたしにはそれでいいんだ」
「……?」
幾度も逡巡するように唇が震えたが、やがて彼は顔を背けたまま続けた。
「何かを考えるだけの余裕など、与えて欲しくない」
世の理に反した関係。
命を生み出すこともない交わりの滑稽。
荒々しい波の中ならすべてを忘れることも叶うのだろう。
思考も及ばぬ獣と還る一瞬ならば、ただ相手を欲し、肉体を一つに溶かす悦びに耽溺出来る。
どれほど愛し合い、互いを必要としていても、カミューにとって理性への呵責を捨て切ることは難しいのだ。特に欲望が絡むとき、彼は摂理に背く己を痛感するのに違いない。
同性を身に迎え入れ、快楽に噎び泣く自身を認めるのは雄としての矜持を揺るがされるに等しいのだろう。もし自分がカミューの立場なら、同様だったかもしれない。
───けれど。
「……寝台であれこれ考えて欲しいとは思わないが、始終余裕のないおれも負担かと思ったのだが」
生真面目に反論したマイクロトフにカミューは苦笑した。
「確かにおまえはいつも余裕がないらしい。わたしにとって何が最も負担か、分からないのかい?」
眉根を寄せたまま真摯に考え込んでいると、嘆息気味の口調が続けた。
「切羽詰ったおまえの前なら、わたしもありのままでいられる。けれど……、余裕じみて観察されていたら、そうもいかないじゃないか。その方が余程負担だよ」
「ありのまま?」
そう、と低く言い捨てて、挑発めいた視線が見据えてくる。
「男でありながら男に溺れ、泣きながらおまえを奪い取ろうとする無様な姿さ」
一瞬言葉も返せず、まじまじと伴侶を見詰めるばかりだった。思案の様を見守る琥珀が興味深げに輝いている。
長いことかかって、漸く短く言った。
「……それを無様というなら、おれは更に上をいくぞ?」
吹き出したカミューが愛しげに黒髪を梳き上げた。
「自覚があるなら良しとしよう」
「おまえから奪うばかりで、何も与えていないと思ったのだが……」
「馬鹿だな」
柔らかく背を引き寄せられて、再びカミューの上に沈む。
「奪われるばかりなら、とっくに抜け殻になっている。同じだけ奪っているから、わたしは変わらずにいられるんじゃないか」
それから少し考えて、言い直した。
「つまり、互いに与え合っているということになるかな。折角の思案を無下にしてすまないが……おまえに小難しい理屈は似合わないよ、マイクロトフ」
揶揄するように背中に立てられた爪が忍びやかに行為を促した。苦笑い、首を振りながら息を吐く。
「おれはただ、優しくしたかっただけなのだが」
「いつだって優しいさ」
カミューは艶やかに微笑んだ。
「……そこに確かな想いがあるなら、ね」
やはり今回も負けたらしい。
想い人の狂乱をじっくりと堪能したい気もするが、今の自分には無理だろう。
思いのままに求める焦燥が、同じ熱を彼に与えているならそれでいい。
何も考えられない酩酊が彼にも同じと言うならば。
力任せに掻き抱いた肢体の戦慄きは、駆け上がる高揚と変じてマイクロトフを包んだ。
捕えた獲物を食い散らす勢いさながらの要求に、広い背に走る疼痛が応える。
───成程、確かに同じだけの想いを伝え合っているようだ。
それが最後の思考だった。
翌朝 →