凱旋を果たした騎士を迎える石造りの街。人々の敬意と歓声に包まれる筈だった行進は、だが此度ばかりは様相を異にしている。
死者を悼む反旗が揺れる街中を、静謐を道連れに進む赤騎士団。敵兵を退けた戦いは勝利と言えた。けれど、要人を失した現実は敗北にも等しい。誰もがそれを認め、おもてに出さず涙しているのだ。
戦没した騎士団長と第一隊長の喪に服す彼らには、恒例の祝賀の宴も設けられない。失われた位階を埋めねばならない位階者らは、配下の騎士に休養を指示した後、疲れ果てた心身を休める暇もなく中央会議に入った。
閣議が散会したのは、明けて昼過ぎのことだった。
睡魔に霞みがちの瞳を議場から出ていく青年の後ろ背に当てていた新・第七隊長ローウェルを、柔らかな声が呼んだ。
「無事で良かった、ローウェル」
「ランド様……」
戦地を離れてから入城まで、部隊を纏める指揮官には私的会話など許されぬ多忙が続く。新たな統治体制を決議し終えて、漸く身に負う責務から解放されたと見たのか、彼は私人に戻ることにしたらしい。
「ランド様も、御無事で何よりでした」
赤騎士団内でも穏和で知られる新・第三隊長ランドは、ローウェルにとって他騎士と一段異なる存在である。騎士としての尊崇は無論のこと、縁戚者としての繋がりもあるからだ。
二つ年上の従姉妹が騎士に嫁ぐと知ったときには、些か困惑したものだった。
騎士は常に死と隣り合わせだ。従姉妹が寡婦になる可能性を思い、我が身もまた騎士であることを忘れて憂いた。
だが、それも相手が当時赤騎士団の第十隊長を勤めていたランドと知るまでだった。ローウェルの知る赤騎士隊長は武勇にも優れていたが、何より温かな人柄で周囲の敬慕を集めていたからだ。
ローウェルは己の判断を何より信じている。
運気というものも然り、だ。
温厚で誠実なランドが強靱な運気を纏っているのを早々に感じ取っていたのである。
この人ならば───騎士団の中でもそう思える人間は限られる。従姉妹の選んだ伴侶が彼であることを心から祝し、以来、親族として交友を始めた二人なのだった。
互いの無事を喜びつつ、戦没した騎士団長と第一隊長を思えば言葉が詰まる。暫し無言を通したランドが、やがてひっそりと言った。
「亡くなられたのはラディン様、ホルス様だけではない。勇敢に戦ったすべての赤騎士の魂が平穏に導かれるよう、祈ろう。そして、彼らの志を後進に伝えるのだ」
頷きながら、ランドらしい言葉だと思う。
ふと、彼は表情を変えてローウェルを窺い見た。
「新・第五隊長殿が気になるか」
見透かされて苦笑し、青年が去った戸口を見遣る。
「ランド様に赤騎士団の頂点を極めていただきたい……それがわたしの望みでした」
「わたしも何度も答えた。器ではないと」
反射のように返して、そこでランドは微笑みながらローウェルの視線の先を追った。
「……過去形になったな」
「今でもランド様が騎士団長の器でおられると信じております。ただ……」
「分かるよ」
鷹揚に頷いて、懐かしげに目を細める。
「『彼』には特別の風を感じる」
瞬いて見詰めた男は穏やかな記憶に思いを馳せているようだった。
「清涼で力強い風だ。昔、一度だけ同じ風に出会ったことがある。妻を娶って最初の戦の直後だがね」
第十隊長として戦に臨んだランドは、その一戦で位階を一つ上げた。ただ、昇進が上位者の戦没によって生じたことから自責を覚え、苦悩していたのだ。
また、最後まで味方を護ろうとした奮闘の結果、彼は両目を負傷した。完治すると保証されたものの、やはり不安は拭い去れなかったらしい。程無くして生まれる我が子の顔を見ることは出来るのか───当時の彼はそんな焦燥に襲われているようだった。
「……子供に諭されたのだよ」
苦笑混じりに言われ、ローウェルは眉を寄せた。
「城下の子供ですか? それはまた……」
「この街の子ではなかったと思う。仲間の死を悼むだけなら誰にでも出来る、志を継ぐことこそ残されたもののつとめだ───そう言われたのだよ」
「しかし、それは……」
「騎士として当然の責務、……そう言いたいのだろう?」
ランドは静かに笑む。
「不思議なのだ。その子供の言葉は未だ嘗てないほど心に染みた。さながら靱き風が吹き抜けて惑いを押し流すかのようだった。あのような体験は、後にも先にも一度だけだ。だが……わたしは今、『彼』に同じ風を感じている」
ローウェルは深々と考え込んだ。
「子供の名はお聞きにならなかったのですか?」
「聞いていない。わたしも名を明かさなかった。騎士志願者だったが……」
更に思案しながらおずおずと切り出す。
「……ならば、お調べになれば身元が判明したでしょうに」
そうだな、とランドは破顔した。
「調べないと約束したのだよ。従者のころから特定の騎士に目を光らされていては、のびのびと成長出来ぬだろうからな」
ひとしきり笑ったランドは、改めて若き騎士隊長の残像を追うように扉を見遣った。
「だが、もし……、もし無事に騎士に叙位されていたなら、きっと───」
ローウェルは途切れた言葉の先を推し量った。向き直って真摯に告げる。
「此度の一戦にて、わたしは生涯を捧ぐべき光を見つけたような気が致します。おそらくランド様にも御賛同いただけるのではないかと」
「わたしも、この風が騎士団にもたらすものは輝ける未来と信じている。どうだ、ローウェル。共に『彼』を護りながら刻を待つか?」
今はまだ、十代の若き騎士隊長。
けれどいずれ、必ずや彼が位階を極める日が来るだろう。騎士団初の異邦出自たる赤騎士団長、玲瓏たる輝きを纏う指導者としてマチルダの歴史に名を残すに違いない。
そのとき、彼の傍らにて剣を振るうことが叶うなら、それは己自身が頂点を極める以上に誇り高き栄誉になる筈だ。
威儀を正したローウェルは、上官であり、縁者であり、今よりは同志ともなる男に心からの礼を取った。
「───御意。いつかカミュー殿が最高位階に昇られる日のため、誠心誠意を尽くします」