無欲の力


 

「マイクロトフ、おまえは赤騎士団のカミューと同期だったな」

ふと振られた話題に青騎士マイクロトフは昼食の皿から顔を上げた。
数人の年長の青騎士たちの目が集中している。
突然出た所属の違う友の名に、思わず口元が綻んだ。
「はい、彼とは騎士試験の最終試合で戦いました」
「ふうん」
意味ありげに目配せを交わす先輩騎士たちに、次第に笑みが強張った。彼らの表情は、あまり好意的なものに見えなかったのだ。
「……あの、カミューが何か……?」
「ああ、いや……おまえはあいつと親しいのだな」
「親友────だと思っています、おれは」
すると周囲の眼差しはますます不快な粘り気を帯びた。マイクロトフは姿勢を正して強い口調で尋ねた。
「それがどうかしたのですか?」
男たちは顔を見合わせながら、躊躇いがちに口を開く。
「カミューは……グラスランド人、だな」
「そう聞きました」
「グラスランド人……なのだよな────」
奥歯に物の挟まったような言い方に苛立ち、彼は眉を寄せた。
「それがどうかしたのですか? 騎士の叙位には問題ないはずです。一定の居住資格を満たせば、マチルダ外の出身であろうと……」
「規定ではな。だが、グラスランドは別だ」
一人が鋭く遮った。
「別? 別とはどういう意味です?」
「忘れたか? 我がマチルダ騎士団領が所属するジョウストン都市同盟は、幾度となくグラスランドに侵攻してきた。当然、グラスランド人の同盟に対する感情は良好とは言えない。そうした出自の者が騎士団に入団するのは危険だとは思わないか?」
マイクロトフとて同盟とグラスランドの過去から現在に至るまでの確執は理解している。だが、指摘されてなお、相手の意味するところがわからなかった。
「……危険、というのはどういうことでしょう? おれには仰る意味がわかりかねます」
「まったく、おまえは政治的な配慮に疎い奴だな」
一人が溜め息混じりに首を振った。
「いいか? 同盟にとってグラスランドは侵攻を重ねてきた相手だ。言わば敵、だな。その地の出身の人間が我が騎士団に所属するということは、我らは敵に内部を曝け出しているも同然ということではないか」
マイクロトフは愕然とし、続いて友を敵呼ばわりされたことに憤慨した。
「それではまるで、カミューがグラスランドのスパイだと仰っているように聞こえます!」
「────無論、たかだか移民ひとりが多大な影響力を持つとは思っていないがな」
マイクロトフの勢いに閉口したように、騎士は首を振った。
「だがな、これは赤騎士から聞いた話なのだが……、彼は赤騎士仲間の輪にも入ろうとせず、何を考えているのかさっぱりわからないそうだ。いつも済ました顔で笑っているが、誘いをかけても乗ってこない。一人で城をうろついていることも多いそうだし────」
「やめてください!」
思わず騎士になりたての身分を弁えず、激しい口調で遮って立ち上がっていた。
「カミューはれっきとしたマチルダ騎士です。スパイなどであろうはずがない! そのような詮議じみた疑惑、あまりに……」
「ああ────わかった、わかったよ」
生真面目で堅物であることで有名な少年騎士が、次第に涙声になっていくのに狼狽えたのか、ひとりが慌てて場を取り成した。
「まあ、用心するに越したことはないということだ」
「用心……」
マイクロトフは熱を帯びた眼差しで先輩騎士たちを睨み付けた。
「わかりました! おれが……おれがちゃんとカミューの潔白を証明してみせます────失礼!」
「あ、こら! ちょっと待て、マイクロトフ!」
さっさと結論を出して食堂から飛び出していく後輩に、残された一同は苦笑を洩らす。
「まったく、あいつは……」
「猪みたいな奴だな」
「まあ、いい。これで種は撒いた。実に乗りやすい奴で助かるよ」
不穏な気配で忍び笑いを洩らしている青騎士たち。
だが、マイクロトフはそんな彼らの意図することなど気づこうはずもなかった。

 

 

 

火が点いたように廊下を進みながら、マイクロトフは固く唇を噛んでいた。

────カミュー。

騎士となるべく最後の試練において、剣を交えた大切な友。
単純な自分には理解し得ない神秘を孕んだ端正な騎士。
まだほんの数ヶ月の付き合いでしかないけれど、本気で剣を戦わせた後に結ばれた友情は掛け替えのないものだと信じている。
確かに青騎士たちが言うように、彼は何を考えているのかよくわからない。
十五という年齢にはあまりに大人びた仕草や物言い、ひとつ年下の自分から見ても不自然なほどに思慮深い男である。
だが、それが彼らの言うように後ろ暗い背景によるものとは決して是認できないし、考えたくもなかった。
完全に自分を子供扱いして笑ってみせる形良い口元、自分の無遠慮な視線に逸らされることなく返される琥珀の瞳。
ほっそりした身体から繰り広げられる見事な剣技────それらすべてがマイクロトフの心を弾ませる。
そんな大切な人間が不当な疑惑に晒されているなら、晴らしてみせるのが友としての自分のつとめというものだろう。
なのに生来の口下手と、感情を抑制するのが不得手なのが禍して、思うように弁護してやることも出来なかった。それを思うと、口惜しさで涙ぐんでしまうほどだ。
マイクロトフは誠意と情熱に従って、友を求めて城中を探し回った。
そうしてみて、初めてカミューが周囲の注目を集めていることに気づいた。彼を見掛けなかったかというマイクロトフの問いに、殆どの相手が情報を与えてくれたからだ。
となると、やはりカミューの存在は周囲に奇異なものとして映っているのだろうか。ひどく暗い気持ちに襲われるマイクロトフだった。
もたらされた情報の輪を繋ぎ合わせていったとき、彼は僅かに眉を寄せた。
武器庫・保存用食料庫・抜け道、等々。確かに疑われてもやむを得ないような場所にばかりカミューは出没しているようだ。

(何を考えているんだ、カミュー……)

案じるあまりにまたも目頭が熱くなる。
一刻も早く彼の疑惑を解いてやりたい、彼が正当なマチルダ騎士なのだと周囲に認めさせてやりたい。その一念で友の足跡を追い掛けた。
最後に行き着いたのは城の中でも最も重要な一角、白騎士団長の執務室へ向かう通路である。
白騎士団長こそマチルダ騎士団を統括する要だ。戦略的に指導者の抹殺は多大な効力を持つ。その意味に気づいたとき、初めてマイクロトフは愕然とした。

(嘘だ。あんな中傷、おれは絶対に信じないぞ、カミュー!)

幾度も首を振り、彼は友の姿を探して階段を上がる。
果たして────
最後の段の向こうに広がる廊下に、見覚えのあるシルエットが浮かび上がった。屈強の男揃いの騎士団において、あまりに異質な優美な姿。しなやかな獣のように隙のない動きを見せるほっそりした肢体が、窓辺に佇んでいる。
「カ……」
呼び掛けようとして、ふと声が詰まった。いつも柔和に微笑んでいる白い顔を見慣れていたマイクロトフには、今、友が見せている表情は初めて見るものだったのである。
カミューはひどく真剣な面持ちだった。近寄りがたいほど厳しいと言っていいほどに。
窓辺から外を見下ろしている彼の手には数枚の紙切れが握られており、しきりにペンを走らせているのが見えた。

 

────敵に内部を曝け出しているのも同然ということだ。

 

ふと、先程の騎士の声が蘇る。

(そんな、まさか)

だが、それはまさしく彼らの疑いを物語るような行為でしかない。
騎士団を束ねる人物の部屋に向かうための通路、そこでメモを取っている友。時折窓の外に視線を巡らせるのは、より詳細な情報を記録しているようにしか見えない。
全身の血が逆流しそうになり、マイクロトフは勢いよく足を踏み出し、分別を忘れた大声をかけた。
「カミュー!」
その刹那、カミューの見せた反応はマイクロトフを深く動揺させた。彼は虚を突かれたようにぎくりとして、慌ててその紙切れを隠そうとしたのである。
ぐしゃりと丸めたそれを騎士服の隠しに無造作に突っ込む仕草も、強張ったように微笑んでみせる顔も、これまで一度も見たことのないもので、彼に対する信頼の一念でここまでやってきたマイクロトフには衝撃的なものだった。
「マイクロトフ……どうしたんだ、おまえ……こんなところへ……」
「それはおれの台詞だ、カミュー」
引き攣った笑いを浮かべるカミューに張り裂けそうな胸の痛みを覚えつつ、マイクロトフはずんずんと彼の前まで歩を進め、強く言い放った。
「何を隠したんだ、見せろよ」
「何の話だ?」
「誤魔化すなよ、見たんだ。何を書いていたのか、見せろ」
「……おまえには関係ないことだよ」
「カミュー!」
関係ない、と切り捨てられたことでマイクロトフは自制を失った。
「いいから、見せろ!」
「あ、ちょっと……何するんだ!」
僅かずつ後退ろうとしていた彼を抱き込むようにして拘束すると、紙切れを押し込んだ隠しに乱暴に手を入れようとする。
「い……痛い、痛いぞ! 離せよ、マイクロトフ!」
小さく身を捩りながら抗議して、紙切れを奪い取ろうとするマイクロトフの手を防ごうとしていたカミューだが、ふと彼の馬鹿力に諦めたように力を抜いた。
「わかった、わかったよ。見せるから離してくれ」
如何にも年下の相手を宥めるような口調。
そのあまりの普段との変わりなさに、またも胸を締め付けられて、マイクロトフはようやく力を緩めた。
するりと腕から零れ出たカミューは一度だけ息を吐くと、渋々といった表情で隠しからぐしゃぐしゃになった紙の束を取り出した。それでも考え込むようにしているのに焦れて、乱暴にそれを奪い取った。
そこにはマイクロトフの見たくなかったものが記されていた。
この階だけではない、ロックアックス城のあちこちの見取り図が、几帳面な彼の手によって実に鮮明に記載されていたのである。
「カミュー……」
それでもまだ、疑いたくない自分がいる。
何処までも彼を信じていたい自分が。
言葉もなく必死に見詰める眼差しに、不意にカミューが表情を緩めた。

「……知られたくなかったんだけれどな」

彼は軽く肩を竦めてみせた。
すでにそれが彼の癖であることを知っている。
……それほどまでに深く彼を想い、見詰めているつもりなのに。

 

「触れ回りたいなら、それでも構わないよ」
────それはまずいだろう。絶対に許されることではない。

 

「出来れば、あまり知られたくはないけれどね」
────知られたら、もう一緒にいられなくなるではないか。
マイクロトフは彼がどういう人間であったとしても、やはり悪意を持てない自分にも気づいたのだった。

 

「まあ……事実だから仕方がない。だいたい、この城は広すぎるよ」
────それは……やはり一都市を代表する城なのだから、広いのは当たり前のことだろう。
侵攻するに於ては、見取り図があるに越したことはないのはわかっている。

────わかっているが────

 

「丁度いい。すまないが、当直騎士の詰め所まで連れていってもらえないか?」
悪びれもなく言う彼に、初めて噛み合わないものを感じた。眉を顰て首を傾げる。
「……詰め所って ?」
「今夜、初めての夜勤なんだ。そろそろ行かないと……」
「そ、それは大変だな────」
「つとめだからね。それより、頼むよ」
「ええと……だから……その…………………………何故??」
「だから言っているだろう? 場所がわからないんだよ」
「カミュー……でも、詰め所は……叙位されてすぐに案内を受けたと思うんだが……」
「……だから」
カミューは微かに頬を染め、やや顔を逸らして答えた。
「はっきり言わせるなよ、わからないものはわからないんだ。あのあたり……というのは何となくわかるけれど……自慢ではないが、無事にたどり着けた試しがないんだよ」
「たどり着けた試しがない……???」
「ああ、もう…………」
彼は更に一段階赤くなった。
「────方向音痴というのはそういうものなんだよ、マイクロトフ」
「!!!!!」

 

 

 

マイクロトフは呆然として目の前で俯いている綺麗な友を見詰めた。
「だって……おまえ───全然そんなこと……一度も……街に出てもちゃんと戻ってくるじゃないか……」
「────犬猫か、わたしは」
秘密を知られたことで照れているためか、普段なら気づかぬはずのない会話の不自然さにカミューは頓着していない。憮然として呟くと、彼はやっと顔を上げた。
「城の外ならいいんだよ。何となく街並みでわかるんだ。でも、こう同じような部屋や廊下が続くと駄目なのさ。だいたいグラスランドでは、こんな大きな建物に出会うことなどなかったんだから」
「 つ、つまり……城内専門の方向音痴、ということか……?」
呆気に取られたままのマイクロトフだが、カミューは真剣に頷いている。
「騎士に叙位されてから、必死に見取り図を作った。だが、地図というものは自分のいる現在地を確保していないと意味がないと実感したよ。だから、窓から見える風景なども付け加えてみたりしているんだが……。今も、本当は詰め所を目指してきたつもりだったのだけれど……おかしいんだよなあ…… 」
深刻そうに図面を見ながら首を傾げている友に、マイクロトフは思わず吹き出した。
仲間の誘いにも乗らずに城をうろついている、という謎がようやく氷解した。如何なることにも上手く対処出来そうな友が、図面を眺めて困惑しながらうろついている姿を想像するだけで、これまでの不安が掻き消えて、代わりに暖かいもので満たされる。
「────ついでに段差も加えておいた方がいいぞ、カミュー」
マイクロトフはにっこり笑って手を差し伸べた。互いの間に伸びた大きな手を怪訝そうに見下ろす彼に、明るく切り出す。
「幸い、おれの方が城の中には詳しそうだ。行こう、カミュー。少しずつ説明をつけながら案内してやる。そうすれば多分、迷わずに行けるようになると思う」
初めて年長の友をリード出来る喜びに弾む声。
それに誘われたように、カミューは苦笑しながらゆっくりと手を伸ばしてきた。その細い手首をしっかりと握り締め、マイクロトフは満面の笑顔になった。
胸の中の先輩騎士たちに胸を張って断言する。

────カミューはもうマチルダ騎士なのだと。
たとえ出自がどうあろうと、胸に輝くエンブレムがすべてなのだと。

 

微笑み返す白く美しい顔に、マイクロトフは誇らしい気持ちでいっぱいになった。
もう二度と疑いの目など向けられぬよう、おれがしっかり庇ってみせる。
おまえが迷わないよう、ちゃんと導いてやる。
おまえがここを第二の故郷と呼べるよう、おれがずっと側にいる────

掴んだ手は柔らかく、とても温かかった。

 

 

 

 

「あれで良かったのだろうか?」
「ああ、攻略としては正しいはずだ」
マイクロトフの去った後の食堂。
先程彼と同じテーブルを囲んでいた青騎士に、数人の赤騎士が混ざっている。
「後先考えないマイクロトフのことだ。恐らく直にカミューに捩じ込んで、事の真意を追求するに違いない」
「……当然、カミューは良く思わない。二人の関係には亀裂が入るな」
「決定的な場合、二人は決裂して二度とつるまなくなる、と」
何やら不穏な会話である。だが、話し込んでいる騎士たちは嬉々として浮かれている。
「ああ……この数ヶ月、長かったなー……」
一人がぼやいた。
「極上の美形が叙位されて、これはもうアタックあるのみ!と思っていたら……」
「もれなく、でっかい番犬がついているとはなー……」
「団が違うからまだいいようなものの、それでも言い寄る隙もないくらい、べったり張り付いているからなあ」
「……あいつはカミューに惚れているのか?」
「いや、あれはまだそこまで至ってないだろう。色恋には疎そうだし」
「それでいて、あそこまで引っ付いているのか……天然だなあ」
「まあ、そこがあいつのいいところでもあるんだが」
先輩である青騎士が一応庇った上で、低い笑いを洩らした。
「────いいか? とにかく抜け駆けは無しだぞ?」
「ついでに実力行使など、もっての他だからな」
「騎士らしく誠実に、あの美貌に敬意をもって口説く!」
「わかっている。誰が落としても恨みっこなし、ということで」
「ああ、麗しのカミュー……何をしたら気を引けるかなー……」

 

 

哀れ、タイミングを外しまくっている騎士数名。
姑息な謀略がかえって二人の距離を急接近させているとは夢にも思わぬ彼らは、いつまでも幸福な妄想に浸っていた。
直後から始まる美貌の少年騎士の、出世街道邁進という大きな障害に阻まれるとも知らず。
そして気づいたときには大きな番犬が、すっかり彼の横の位置を独占しているという哀しい未来も知らずに。

 

────何事も、あまり考えずに突き進むが勝ち、ということもあるらしい。

 


これは2000年初頭、謎の企画
(発案は……だ、誰だっけ??)
に参加させていただいたときの品。
幾つかのSSから共通テーマを推測し、
それをキーワードとして大トリ話へ繋ぐ
……という企画でしたが。

大トリ担当の某嬢(情けの名伏せ)が
企画自体を綺麗に記憶から抹消しているらしい上に、
一年以上も企画トップがサーバー落ち継続という
何ともトホホな状況……(苦笑)

未読のお客様も多いようなので、
已む無く移動してアップし直しました。
ちなみに共通テーマは『○っ○ん』でした……
(注:湿疹でもどっかんでもナイ。)

清らかなりし頃の青赤。
でもちょっとだけ予感テイストでした(笑)

 

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